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おまもり

何かに挑戦するとき、不安なとき、そこにお守りがあると、なんだか安心する。
占いを信じない人も、神様を信じない人も、気づけば初詣でお守りを買っているものなのだ。(自分調べ)

ちなみに私はなんでもお守りにしてしまう癖がある。

強い自分でありたいときは、高級ブランドのリップに「強い自分でいれますように」と願いを込めて塗る。
友人のように落ち着きのある自分でありたいときは、その友人がプレゼントでくれたものを身につける。

イヤリングや指輪、ネイル、文房具、洋服、写真、言葉などなど私はいろんなものに願いをこめて、お守りにする。

お守りをもっていると「これがあるから大丈夫」と安心する。しかし、それに頼っている自分に少し情けなさを感じてしまう。

そんなときは魔法の呪文を唱えるのです。
「人ってそんなもんよね。」って。
(ヒトッテソンナモンヨネ~と魔法の杖を振るのです)

気づけば人は何かに頼ってるものなのよ。って考えたら少し楽になる気がする。
それに、お守りにするってことはそれを大切にするってことだと思うから、ものの見方とか扱いをより丁寧にしようと思える。

記事を書いているうちに、「世の中にあふれているもののなかで、どれだけのものが願いをこめてつくられているのだろうか」という疑問が出てきた。

大変だ!疑問が頭のなかをグルグルと走り回り始めた!そろそろ終わろうと思う!(校庭100周ぐらいグルグルしてる)

最後に、祖母の健康のためにお守りを買おうとしてる母の手を見たら、間違えて安産祈願のお守りを手にしていた話をして終わります。

またなんか書きますね。

うみ。

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