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短いおはなし

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短めのお話をまとめる予定です
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#掌編小説

マフィンを召し上がれ

 フォークを持つエマの手は震えていた。この一品でエマの将来が決まってしまうと思うと無理もない。無理もないが、震えているようでは困るのだ。エマは調理台に向かって前のめりになっていた背を伸ばすと、天井を見上げ、深呼吸をひとつして自分の頬を2回叩いた。ダイニングのテーブルでは、アルノーが紅茶を飲みながら待ち構えている。  アルノー。リースのパティシエ界の重鎮にして、エマの父。彼に「おいしい」と認められなければ、パティシエ修行に出る話は消える。それどころか、パティシエになる夢を諦め

流星群の流れる夜は

「あの流星群がもしも星屑たちの愛の表現だったら」  僕はクラッカーにクリームチーズを塗りつけながら話しかけた。伊澄《いずみ》は特に反応もせずに夜空へオペラグラスを向けているので、さらにスモークサーモンを乗せて話を続けた。 「あの流星群が星屑たちの愛の表現だったら。つまり、あれが星たちが放出した精子のようなものだったら。彼らが競うようにして向かう先の星に受精して、新たな星が産まれるのだろうね。そう、この宇宙は誰かの胎内で、僕たちは知らずにそこに住んでいる微生物のようなちっぽ

私は目玉焼きになりたい

 私ときたら心が狭くて、いらちで、すぐに相手に突っかかってしまう。これはいけない。こないだも、俊太となんて事の無い会話をしていただけのはずなのに、もう口をきかなくなって4日目になる。  きっかけとなった話題は何かというと、「目玉焼きに何をかけるのか」だ。誰もが1度は話題にする、ある意味鉄板のトピックなのだけども、それがまずかった。私は無難に、というか素直に「塩こしょう」と答えたのだけど、俊太はなんかムカつくドヤ顔で「まだそこですか?」感を醸し出しながら上から目線で「ケチャッ

蜂の子ちらし

 コンビニで買い物を済ませて帰ってきたとき、玄関の上あたりに蜂が巣を作っているのを見つけた。大きさはちょうど私の両手を握ってくっつけたくらい。そこそこの大きさだ。  は? と思ってよく見てみると、巣の表面には蜂がわんさか動いている。ハニカム構造の巣の穴のいくつかには、ちらほらと白い栓みたいな物も散見されて、どうやら絶賛繁殖中みたいだ。  うおおおおお。と声に出さない叫び(叫ぶと蜂に気付かれると思った)を上げて玄関内へ逃げ込み、伸ちゃんの元へ急ぐ。伸ちゃんは居間でモンハンを

言の葉すし

 硬めに炊いたご飯を大き目の皿に移して、米酢・砂糖・塩を混ぜたすし酢を全体に回しかけ、お米を切る様にしてなじませます。ぱたぱたとうちわで扇ぎながら作業するのが、なんだか職人になったようで楽しいのです。しばらく扇いでは切って、扇いでは切ってをくりかえして人肌程度くらいになったらOK。あまり切りすぎるとご飯がちょっと、ぼた餅方向に行ってねっちょりしてきてしまいますが、今回ばかりは、それもありです。なにせ、あとで押しますから。  ひと口大に握って、スーパーで買ってきたしめ鯖やサー

14歳の夏休みなのにねこすらいない

 私ときたらここ数日の暑さもあってもうフラフラのイライラだった。漫画やTVだと14歳の夏休みというのは、みんなでどこか海にでかけて(しかもなぜか友達の一人が超お金持ちでリッチなリゾートとか)、男女ペアになったりとか、冷たくてアイス浮いてるソーダ飲んだりとかいろいろと想い出を作るはずなのに、私にあるのは、朝起きてご飯食べて部活行って帰ってクタクタになってアイスなんて全然浮いていないおばあちゃんの作ってくれた紫蘇ジュースを一気に飲み干して寝るの繰り返しだけだった。紫蘇ジュースは美

お盆にはあの人を迎える精霊馬を

 からりと晴れた青空に、威勢よく張り出した真っ白な入道雲。重さを感じるほどのそれを良く見ようと日傘を傾けて仰ぎ見れば、待ち構えていたかのように真夏の日差しが瞳に差し込んでくる。たつ乃は慌てて傘の蔭へと隠れて思わず苦笑する。軒先では、くすくすと笑うように風鈴が揺れていた。  いつもと同じ、暑い夏の庭先。ただひとつ違うのは、60年間連れ添った寅一が隣にいない事だ。 ――そういえば、初めての夏なのね  たつ乃はあらためてそう気づいた。寅一が旅立ったのは昨年の11月。そろそろ冬

それでもこの冷えた手が

週が明けると節分だ。そろそろ柊に鰯を手配しなくては。面倒だが縁起物だ。仕方あるまい。そんな事をぼんやり考えながら駅の改札を出た時だった。ターミナルの側道に、機械仕掛けの腕がいた。かの戦争も今は昔。以前はちらほらと見かけた駅に暮らす子供もいつのまにか消えた。かつて彼らが座り込んでいた辺りを、その腕はキイキイと音を立てながら這っていた。 土台となる四角い箱の上部には球体状の肩関節。そこから伸びた鋼鉄の腕部分には、人を模したのであろう肘関節に手首の関節が見受けられる。まるでナイト

幸運のトースト

星がくっきり瞬く透き通った夜。ムギさんと僕は夜行喫茶のボックス席で、コーヒーを飲んでいた。 今夜の気まぐれな喫茶店の行き先はシシリ国だった。車輪を軋ませゆっくりと夜空から降り立つと、煙突からプシューと大きく煙を吐いて停車する。 車窓の前には広大な山々が連なっている。さすが魔光炉の燃料となるマグネライト鉱石の採掘が盛んな国だ。 「この国では昔、結構な規模の災害があったそうだよ。鉱石の採掘中に、”良くないもの”を掘り当ててしまったらしいんだ」 黒猫のムギさんが、しっぽを揺

猫は猫山へ還る

 小学生の頃に住んでいた地域には「猫山《ねこやま》」と呼ばれる山があった。正式な地名というわけではない。山の一部が猫の顔の形に見えるのだ。なんでもその昔、持ち主のお爺さんが孫を喜ばすために、一部にだけ別の樹木を植えたらしい。当時、仲の良かった渡辺くんの家に遊びに行く途中にそんな事を教えてもらった。渡辺くんが指さす山を見ると、確かに山の一部だけ不自然に色が違った。やや不格好だが、猫の顔の形に見えなくもない。  渡辺くんは、背は小さいがとても足の速い子だった。小学生の頃に足が速

僕と父は生まれ変りについて相談する

雨の日の夜、僕が部屋で読書をしていると、ドアをノックする音がした。開いています、と答えると父が入ってきた。父はにこやかに僕の本棚を指さすと、歩み寄って覗き込んだ。 僕と父は当然親子であるが、同時に読書友達でもある。我が家には「父は僕の本を勝手に読んで良いし、僕も父の本を勝手に読んで良い」というルールがある。時には、友達と言うよりはライバルのように読書談義に花を咲かせる事さえある。そう言ったわけで、父の帰宅が早い夜には、今夜のように僕の買った本を読みに来る事が少なくなかった。

猪飼せんぱいは良いにおい

午後から気合いを入れて仕事するために、コーヒーを淹れてデスクに着いた。すると、ちょうど向かいのデスクの猪飼(いかい)さんが昼食から戻ってきた。 いつもながらの、どことなく小動物を思わせるような足取り。隣を通り過ぎる時に、ふわっといい香りが鼻をくすぐった。僕は、にやけてしまいそうなのを堪えるために、わざと快活に話しかけてみた。 「猪飼さん、お疲れさまです。お昼はどこで食べてきたんですか」 「えっ……、どこって、そのへんのご飯やさんだけど」 猪飼さんは戸惑ったように答える

深海に咲くサクラ

バーカウンターの中でマスター(といっても同級生のたけちゃんなんだけど)が、グラスの底に桜の葉っぱの塩漬けの奴を入れてバースプーンでぎゅうぎゅうと押し潰す。 「なにやってんのそれ」 「や、それっぽいかなって。モヒートみたいに香り出ればと思ってさ」 「名前言われてもわかんない」 たけちゃんは返事をせずにゴミを見る目つきで私を見ると、グラスに桜のリキュールとソーダと氷を入れて棒でくるくるとステアし、しばらく考えて一番上にも桜の葉っぱを置いた。 「よし、試作品1号完成。名付

小泉二丁目交差点のトラック王子

まさか26歳にもなって再び通学することになるとは思わなかった。といっても、生徒ではなく先生としてだけれども。一般教養、いわゆるパンキョーの情報システム課目の講師というとなんだか偉そうな響きだが、ようするにPCの使い方のインストラクターだ。教授陣や助教陣にとっては、なんの面白味も発見も期待できない、”やりたくない課目第1位”だ。 たまたま大学時代の担当教官を訪ねたところ「他に適任がいないから」という理由で情シスの授業を押し付けられそうになっていた師匠が、これ幸いとそのまま私に