「脳を鍛えるには運動しかない!」

…私はこのnoteを個人的記録・ロギングの一環として使用していて、基本的にヒトサマに読んでいただく意図はまったくない。
で、書きたい事柄が溜まっているのだが多忙にかまけてナカナカ投稿できない。
しかしこれは面白いもんで「どーしても、ゼッタイに記事にしたい!」というもの以外書かない、というフィルタとして機能し、さらには「えーワシにはこんなフィルタがあるんかい?(無意識)」的な発見がある。
…で今回の記事もソレだ。いま下書きの記事が2つあるのだが、それらを差し置いて、書かずにおれん。

さて本題。
今日、テニスをした。ダブルス3セット、4時間。
ちなみにあらかじめ言及しておくと、私は現役時代、さるランキングでアマチュアの全国ランク16位、東海選手権ベスト4、最後に出た試合は全日本の45歳以上の愛知県予選の決勝で負けた、という程度の実力。
これは自慢ではなくて(ナゼなら、ゼンゼン自慢できるようなレベルではない)、これから書く内容の正確な理解に必要だから。要するに「そこそこのレベルのテニス」ということが言いたい。

…現在60の私が「最後に出た公式戦」がこの45歳以上なので、今から15年前ということになる。それまでは、結構な時間とエネルギーをつぎ込んで、「トーナメント・プレイヤー」として活動していた(一度は強い選手に勝ったとき、プロになろうかと思ったことがあるほど)で、それ以来の15年間は、テニスは「やったりやらなかったり」で、少なくとも「打ち込む」ということはなくなった。
そして7年前にテニス自体を完全に辞めた。諸事忙しくなったのと「もーいい加減、卒業」ということにしたワケだ。

…で7年間はラケットを握ることもしなかったが、先日ヒョンなことから、再開することになった。
とはいっても、ダブルスの人員が集まらなかった時の「人員補填要員」で、月に2-3回。

しかも、そのときのメンバーの方々は「オール70以上」という感じ。ベテランを越えて、シルバーといった方々だ。

さてここからいよいよ核心に入る。

この「シルバー会」への参加は、今日が2回目。私はかつてのテニスの感覚をほとんど忘れてしまっていて、実に酷い内容。脚は動かないしラケットの真ん中に当たらないし、散々💦。
私がペアとして組ませていただいたのは、現状次のお二方;
先々週: Aさん(84)
今日: Eさん(79)

…さてこの方々の年齢を、「世間的な感覚」で見ると「もうカナリのヨイヨイ(という単語は通じる?)」というイメージだ。

だが私は驚愕した。このお二方、7年のブランクのある私なんか比較にもならないくらい、あらゆる方面で、凄い。よく走るしタッチも正確だし、ボールの威力も相当なもの。私は完全に、恐れ入った(ちゅうか、恐れ入るどころか、私が激しくアシを引っ張るので、私はもう謝罪しっぱなし💦)。
そして3セット4時間を戦い抜く体力。ダブルスとはいえ、3セットをフルに戦えば体力の消耗は相当なもので、現にいま現在の私は完全に疲弊していて、這って移動するような有様。

さらに、これが一番重要なのだが、「見事な滑舌と、脳機能(認知能力)」
私は脳機能の重要なバロメータとして「滑舌」を非常に重要視しているが、これらの方々は「昨日まで会社の重役してたんじゃないのか?」というくらい、アタマがよく切れて滑舌がなめらか。これが、一番重要なのだ。

そして、ここまでの「人生の先達・センパイ」とお話しする機会は、「私設加齢研究所長」の私としては、非常に貴重ゆえに話は自然と「そっち方面」になる。

すると、いまんとここのAさんとEさんが口を揃えて言うのは;
「50からどれだけハードに動くか、が勝負。70過ぎてからハードに動こうと思っても無理だし、途中で辞めたらすべて水の泡」ということだ。

この文章内の情報を箇条書きにまとめると;
・トシとったら、ハードに動く運動が必要
・しかもそれは50代から始める必要あり(ま、百歩譲って『望ましい』)
・途中で辞めたら、辞めた時点で「元の木阿弥」

…はて、これ、どっかで目にしたぞ??
で、思い出したのが、コレ;

1年ほど前に読んで非常に感銘を受けた。
そして私の長年の信念が間違ってなかったことが証明され、「我が意を得たり」の感を強くしたことを、よく憶えている。
で、上記の3項目が見事に書かれているのだ。
さらに私が個人的に「これだ!」と思ったのが「1日30分、120bpmを達成すること」で、その心は「脳血流を激増させることで、脳の代謝を高め認知症を予防する」ということだった。読んだ瞬間にヒザを打ったことも、よく憶えている。
(※bpmは'beat per minute'で、1分間の脈拍数。この120という数字は私用のスペックだが、体格等によって変わるが計算式がある)

この「1日30分、120bpm」というのは、たった数文字の概念に過ぎないが、実践しようと思うとカナリ大変だ。私はテニスを引退したのちもアウトドアが好きで自転車や水泳やお散歩をよくやるが、しかしこれらの「マイルドな運動」では、この「1日30分、120bpm」はゼンゼン達成できない。

そこで私もイロイロ考えた。まず筋トレをスケールアップして「完全ルーティン」にするためにジムに入会。
そして次に「タマタマ降って湧いた」のが、このテニスの話だ。
この本を読まなかったら(私はもうテニスは卒業したつもりだったので)ゼッタイにやらない。
ソモソモ私は「いろんなアクティビティで目標を定め、それを達成したら卒業する」というタイプの人間だったのだが、この理由があったので、戻ってみたわけだ。でなければ、正直もうテニスはやりたくない、というのがむしろ本音だった。

ところが「次々と物凄いセンパイ達に出会った」という次第。
これらの方々は(私はまったく存じ上げないが)すでに何十年も前から私のことをご存じで、往時の私には敬意を払ってくださるが、今はご自身のテニスに相当自信を持っていらっしゃるのがよく分かるのだが、しかし間もなく、それが「なるほどこんだけ自信を持たれるのも、当然のことだ」と分かることになる。
…で、これ私が今より10年若かったら、私はこれらのセンパイ方に今のように敬意を示すことはなかったと思う。これらの方々がどれだけ凄いか、ということは、50歳では分からないのだ。

というわけで、「これは記録しておかにゃならん!!」と思い立ち、早速筆を執った(キーボードを叩いた)次第。私もできる限り、「可能な限り高い肉体的・体力的負荷をかけて、しかもそれを継続させる」ということをせねばならん、と悟った。

最後にエピソード。
このEさんと云う方は79だが、テニスコートへいらっしゃる時は、脚を引きずっていらっしゃるのだ(いわゆる『ビッコ』というやつだが、今はこの単語を使うのは御法度か)。
…ところがコートに上がると、なんちゅうかゼンゼン普通にハードに動かれる。

そしてテニスが終わると、またトボトボとビッコでお帰りになるのだ。
…以前の私だったら、理解できなかっただろう。
「ワザとやってんじゃないのか?」と思ったかも知れない。

しかし今の私は、この現象に完全に納得できる。
先日の記事でも触れたように「問題は、アシとか目とかの『ハードウェア』ではなく、それらをドライブ・駆動するソフトウェアの問題なのだ」ということを知ったから。ゆえに「車椅子に乗ってた人が火事に遭って、車椅子から飛び降りて走り出した」というのも分かる。この場合も、「なんじゃゼンゼン動けるじゃないか」と言ってはいけないのだ。平時には、やはり動けない。ナゼなら「そういう神経回路が脚部を支配している」からである。ところが火事になると、この記事でいう「多重人格の別人格が出現する」ことに相当する現象が起きる。

そして総括。
私はこの先も「めっちゃハードな運動」を続けるつもりでいるが(で、それは85くらいまでは、実は平気でできることなのだ)、その上さらに「うまい暗示を自分にかけて『別人格を登場させる』術を身に着けよう」と目論んでいる。
で、この「うまい暗示」というのは、換言すると「自己認識」でもある。
例えば「80歳というのは、どういう状態か?」というのを誰しもイメージとして持っていると思うが、これが「オンボロでポンコツの状態」と思ってしまっていると、必ず実際そうなる。
だが「60歳のころと、そんなに変わらない」と真剣に信じているとしたら、必ず実際にそうなる。ところが多くの人たちは、無意識のうちに「80ってのはボロボロだ」と信じてしまっているのだ。ナゼなら、自分の周りにいる80はそんなのばっかしだから。

…で、私はこの2週間で、ラッキーなことに「トンデモナイ80代」と2人も遭遇した(で、たまげた)。
そして実際問題として「私が持っている80代のイメージ」というのは、実に大きく書き換えられた、と言わねばならない。

そしてそれはもちろん「素晴らしくよい出来事」なのである。ゆえに記録。

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