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宇宙人でよかった

温泉に入って、畳の部屋でくつろいで、おいしいご飯を食べて。
そんなとき、「日本人でよかったあ」と言う方がいるらしい。
ま、その、うちのオットなんですが。

オットは、先日購入した新しい炊飯器で炊いたご飯が想像以上においしかったらしく、「日本人でよかったあ。お前、そう思わん?」と感極まったように言った。

私、秒でフリーズしました。
素直でいいじゃない。そういう見方もあるでしょう。

でも私は、そんな言い方をする人は、根底に“差別意識”があると感じてしまう。「日本人でよかった」は、「日本人」と「日本人以外」を強く線引きしている。ぴっしり分けている。まずそこに大きな違和感を感じる。そんなに「日本人」と「日本人以外」で何か違いがあるのか。私にはよくわからない。だいたい日本人のこともよくわからない。

「何人でよかった」とか「悪かった」は、少ない経験で単純に導きだせるものなのか。たまたま日本に生まれて、たまたまおいしいお米を食べた。それだけのことが「日本人でよかった」にまで発展するのは、優越感に浸りたいだけではないか。必死すぎる自己肯定に思える。

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M16星ではなくて月

きっと、オットは宇宙人に生まれて、遠いM16星で、めちゃくちゃおいしいM16星定食を食べれば、「M16星人でよかった」と思うはずだ。M16星で育って他を知らないから。

ということは、本当は何人でもよいのである。

何人であっても、「生きていてよかった」と思う瞬間があって、「あー、生きているなあ。うれしいなあ」と思うときがある。

 トラブルだらけの仕事がうまくいったとき。

 好きな人と両思いだとわかったとき。

 猫や犬と一緒に寝ているとき。

お米のおいしさは日本人以外でも感じることはできるでしょう。それをたまたま「日本」に生まれただけで「日本人に生まれてよかった」と結論づけるのは、私は気持ちが悪い。「地球人でよかった」。いや、いっそ「宇宙人でよかった」と言うならまだしも。

おいしいものを食べたときの喜びは、ただ、「おいしい」だけでいいと思う。それより、それを料理してくれた人、炊飯器を開発してくれた人、おいしいお米をつくってくれた人……に感謝すればいいのではないだろうか?

そして一番感謝しないといけないのは、この地球に、だと思う。
人もお米も、この地球で“生きて”いるのだから。

以上、ちょっとした違和感でした。







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