ソプラノ歌手 方颖(Fang Ying /イン・ファン)さんインタビューより~モーツァルトについて

ソプラノ歌手 方颖(Fang Ying /イン・ファン)さんの、2019年ザルツブルク音楽祭 モーツァルト《イドメネオ》ご出演に際し、インタビューにモーツァルトについて興味深い内容があったので抜粋で訳してみました。※敬称略

インタビュー本文:理性的に考え、感情的に歌う

<以下訳文>
(前略)
●聞き手:
モーツァルト《イドメネオ》のイリア役を歌われるのは今回が2回目で、1回目はジェイムズ・レヴァイン指揮、ジャン=ピエール・ポネル演出のメトロポリタンオペラでしたよね。このザルツブルク音楽祭と雰囲気がかなり違うかと思いますが、前回のメトロポリタンオペラは「cover plus one」キャストとして、稽古の時間も長かったのでしょうか?オーケストラと合わせる機会はありましたか?
(注:メトロポリタン歌劇場のプロダクションでは各役にカヴァーキャストがおり、万一の際には代役を務める。劇場にとって特に重要なカヴァーキャスト——大抵は将来有望な若手歌手や、長年劇場に貢献してきた歌手——には劇場が本公演で全幕フル出演させることがあり、これを「cover plus one」と呼んでいる。カヴァーは主にメインキャストの稽古を見て、その後カヴァーグループだけで稽古を行う)

■方(ファン):
はい、本番前にレヴァインさんとソロでピアノリハーサルをして貰いました。でもこれは慣例上レヴァインさんはやらなくても良い稽古だったので、この点も含めて彼には大変感謝しています。この稽古に来て下さったことや、本番中さまざまな配慮をして下さったこと(注:舞台上の他のキャストは皆、期間中全公演に出演)、指示を出したり、私の要望を聞いてくれたり、必要な時にはオーケストラの方が私に寄り添ってくれたり。特にこのような稽古時間の少ない公演で、レヴァインさんがオーケストラピットで振って下さるのは本当に助かりました。そして、その時彼がチャンスをくれたからこそ、今回ザルツブルク音楽祭の出演が叶ったと言っても過言ではありません。指揮のテオドール・クルレンツィスさんは私の歌を聴いたことがなく、録音も多くないのですけど、まさにこの時の録音を聴かれて、最終的にこの音楽祭での私の起用を決めたそうですよ。

●聞き手:
そんなことがあったなんて思いも寄りませんでした——お二人の指揮スタイルは全く違うし、歌手への要望も異なるでしょうから。クルレンツィスさんは録音のどこを聴かれたのでしょう、何か思い当たる節はありますか?

■方(ファン):
それは本人に訊いてみないとわかりません。もしかしたら「モーツァルト歌手」にふさわしいかどうかに重きが置かれているのかもしれません。

●聞き手:
「モーツァルト歌手」というのは、とても興味深い話ですね。モーツァルトのオペラは多種多様さまざまな歌手が歌っていて、オペラ歌手のほぼ全員がモーツァルトを歌っているのではないかと思える一方で、聴き手としては「ああ、この人もモーツァルトを歌うのね」という感覚もあり、「モーツァルト歌手」と呼ばれる事は比較的少ないのではないでしょうか。 更に興味深いのは、一般的にこの事があまり論じられないことです。私は方さんが「モーツァルト歌手」に当てはまると思いますし、最近ご出演された演目もモーツァルトが多いですよね:2ヶ月前のメトロポリタン歌劇場で《皇帝ティートの慈悲》セルヴィリア、来シーズンは《ドン・ジョヴァンニ》ツェルリーナ、《魔笛》パミーナ、《フィガロの結婚》スザンナの3役を歌われますが、「モーツァルト歌手」にとって最も重要な要素とは何でしょうか?

■方(ファン):
確かにモーツァルトはさまざまなタイプの声と「互換性」が高いです。 私は声そのものよりも、その歌手の音楽的センスが重要なのではないかと思っています。モーツァルトには独自の音楽言語があって、これは言語を学ぶのと似ているんです。同じようにみんなで一緒に学び、努力すればいずれはみんな習得できるけど、より早く習得できる人もいれば、より情緒的な表現ができる人もいる。人によって得手不得手な言語がありますし、これは生まれつきのものでしょうね。

●聞き手:
大変面白いお話ですね。ムーティさんがヴェルディについて言っていた事を思い出しました。ヴェルディを歌う上で最も重要なのは「ヴェルディアクセント」(Verdi accent)を理解することで、正しいアクセントがあれば、声のタイプが多少ずれていても問題はないと。

■方(ファン):
モーツァルトの場合、声楽作品は比較的シンプルに描かれているので簡単そうに聴こえますが、実はとても難しいのです。どのようにラインを創るのか、レガートをどうやって歌うのか、そして声の純度など、全てが剥き出しに聴いている人の耳に届きます。これはダイヤモンドのようなもので、良いジュエリーを造るためには、色、透明度、カット、セッティング、その他あらゆる面を考慮して造るのと同じですね。

●聞き手:
でも音楽に詳しくない人は、鳩の卵(=大粒で高品質なダイヤモンドの例え)を好むし、大きいダイヤモンドほど注目されるかと。

■方(ファン):
ふふっ、そうですね、私のこの比喩はなかなか正しかったですね。だから聴く人に対しても要望はあります。もちろんカラット数も重要な鑑定ポイントですが、大切なのはそれだけではない筈です。その他に、国が違えば聴く方それぞれの文化や伝統も異なりますから、聴くポイントや好みが異なることもあります。


訳文は以上になります。
本文中に出てくる公演の動画が以下にありますので、もしよろしければ。


La Clemenza di Tito: “S’altro che lagrime”
2019.03 メトロポリタン歌劇場 モーツァルト《皇帝ティートの慈悲》より


Idomeneo, Salzburg Festival, 12-08-2019
2019.08.12 ザルツブルク音楽祭 モーツァルト《イドメネオ》より