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午後4時のメロンソーダ

セーラー服に袖を通したのはもう何回目だろう、とふと思う。

「卒業まであと30日」の黒板のカウントダウンの紙をめくるのは私の役目で、いつの間にか30から29になる瞬間がすこしだけ惜しい気持ちになる。席に置いたリュックをゆっくりと背負った。

「あれ、海じゃん。まだ残ってたんだ」

振り返ると、後ろのドアには陸が顔をのぞかせていた。

「なんだ、もうだれもいないと思ってたのに」

「失礼だなぁ、忘れ物とりに来ただけだから」と、自分の机から置き勉していたと思われる教科書を取り出す。

「陸、いつの間にマジメになったの」

「逆にいつから馬鹿だと思ってたんだよ」と苦笑いする。陸は小学校の頃、宿題もまともに解かないようなやつだったからなおさら驚いた。

陸とは昔からのいわゆる「幼馴染」というやつで、昔は私より背が小さかったはずなのに、中学校にあがってから急激に私の目線が上になって、他のクラスの女子からもモテるようになって、正直接点が同じクラスということくらいしか無くなってしまった。けれど今、私と陸だけのときは名前で呼んでくれるんだ、と気づいてくすぐったい気持ちになる。

じゃ、と言って帰ろうとした背中を見て、ふと口から出た言葉に自分でも驚く。

「ねぇ、今日家こない。いつもの、ご馳走するから」

「はぁ?」目を丸くして、いかにもうざったいような表情になったから一瞬焦ったけれど、「・・・別にいいけど。あれ、結構すき」ニヒルな笑みを浮かべた彼の顔をみて、私は(引き留めて良かった)と心から思った。


ご馳走というのは、うちの喫茶店でだしているメロンクリームソーダのことだ。いつの間にかメニューには"クリーム"が抜けてメロンソーダになっているけど、それはご愛顧ということらしい。

「ただいまー。」

「お邪魔しまーす」

下町の静かな中でも、少しだけにぎわっているのがうちの店の自慢だ。

「いらっしゃ・・・って、陸くんじゃないの!久しぶりねぇ。まぁ、とりあえず座って頂戴」常連のおじいちゃんの話声にも負けない母の自慢の声がさらに元気になる。ほのかな灯りと共にメリーゴーランドのように回るシーリングファンがすーっと風を撫でていくのが心地よかった。

オレンジ色の革のアームチェアにふたり腰掛け、忙しくなさそうなタイミングを見計らって、母に向かって2本指を立てる。

「何それ」

「お母さんと私しか知らない頼み方。ま、じきに来るから待ってて」

数分後。「はいお待たせしました。ごゆっくり」の言葉と共に運ばれてきたのは、緑色の泡が浮かんでいく液体と、真四角の氷と雪のように白い自家製バニラアイスクリームと色素の眩しいサクランボが添えられたメロンソーダだ。

「うお、すげーな。久しぶりに食べるけど、ほんとに変わってない。いただきまっす」

真っ先に手を伸ばしたのはクリームの部分だった。ソーダスプーンでちょこっとだけ掬った分を口に入れるのが陸のいつもの食べ方で、いつもそれを見ていては気持ちよさそうな顔をしているなぁと思う。

「いっつもアイスから食べるんだ、陸って」甘い目をしたそのくりっくりの瞳をのぞきこんで言う。

「ん。だってここのアイスはうめぇから」

こんなふわふわした顔を見れるのはきっと私だけだろうなと思い、自分のはストローで飲み干す。いつも給食を食べるのは1番早いくせに、このときだけはいつもゆるやかな時間に感じるのが不思議だった。

結局おひらきになったのは4時を大幅に過ぎたころ。夕日が窓ガラスに差し込んで黄色く透明に光る。

「あと、ちょっとで高校生か」

私は私立高校の受験を終えて、もう部屋にはカバーをかけた真新しい紺のブレザーの制服が掛かっている。陸は隣町にある公立高校を目指すらしい。そこではサッカー部の強豪校と言われるくらいスポーツに力をいれている。まさにぴったりの高校だな、と思った。本当は離れるのが寂しい、と言ったら嘘になるけれど、陸が選んだ道なら、ちゃんと幼馴染として応援しなきゃな、とふと頬になにか水っぽいのを感じる。

私はいつの間にか泣いていたみたいだ。ポケットからスマホを取り出して、

「私待ってるから!!!いつでも帰ってきてね!!!」とLINEした。

これくらいしか思いは伝えられないけど、これでよかったと勝手に思うことにした。