左右逆について考えた

魔の地下街と言えば梅田地下街。

JR大阪から地下鉄や阪神線に乗る時はこの迷路を通らなければならない。西梅田から東梅田に乗り換えた経験はないが、もし乗り換えるなら、経路が無数にある。ビルの地下街経由も可能で、ややこしい。

最近は地上でビルにつながる連絡路もあり、立体的に進化を遂げつつある。
ダンジョン界隈では、梅田ダンジョンとして老若男女の鉄板ネタだ。

梅田ダンジョンだけでないが、大阪はエスカレーターも多い印象だ。逆に東京はエスカレーターが少なく感じる。

大阪はこんなところ誰も通らないのではないかと言うところにも、無理やり工事までしているような感じでエスカレーターがある。サービス精神で、改築をしないと気が済まないのか。

東京は昔のままといった感じのところも多い印象で、エスカレーターがなく階段とエレベーターだけのところが多い。新たにエスカレーターを作る空間がないのかも知れない。

エスカレーターがないのだから、みんな階段で健康的だ。

では大阪の人は不健康かというとそうではない。わざわざエスカレーターに乗ってエスカレーターを歩いていた。

今は危ないので、大阪でも禁止されつつある。歩くのは昔の話として読んで欲しい。

階段を使ってもそんなに変わらないと思ってはいけない。大阪ではほんの少しでも早く着く方が合理的だったのだ。

友人と階段とエスカレーターのどちらが早いか競争する子供がいた。
階段派はエスカレーターと差はないと思わせたいのでムキになって急ぐ。
エスカレーター派は有利なエスカレーターで負ける訳にはいかないと、急ぐ階段派を見てさらにムキになってエスカレーターを走り出す。
全くもって不毛で迷惑な競い合いだ。もちろん私の幼少期の話。

前置きが長くなったが、関西と関東の違いでよく出てくるのが、このエスカレーターと醤油である。
エスカレーターの歩かない人の立ち位置が、関東と関西で左右で逆だという話である。

醤油は関西の軟水、関東の硬水などの違いからという説などあるが、今回はエスカレーターの話。

エスカレーターは関東と関西の違いと言うよりも、大阪と大阪に通勤している地域のグループとそれ以外(以下長いので代表して大阪と関東とします)と言った構図で、大阪だけがエスカレーターの右側に止まって乗る。

大阪のエスカレーターの右側に止まって乗るようになった起源は万博の国際標準説や阪急のアナウンスが最初説やなどあるが、そもそも左右逆なのか考えてみたい。

それは歩かない人という着目点から切り取られたもので、左側通行という着目点から考えればエスカレーターは左右逆ではなく、どちらも同じ左側通行をしているだけとも考えられる。

説明しよう。

歩くのが禁止もしくは、歩くと他の人に迷惑、危ないと言う意識がある関東の人は、エスカレーターで左側通行するのが基本と考えると、左側に止まってエスカレーターに乗る。
エスカレーターを歩く迷惑な人や急いでいる人の為に右側をあけておく。左側で、止まって乗るのがスタンダード。

大阪でエスカレーターは歩くのが常識の時代では、左側通行を基本と考えるなら、歩く人がエスカレーターで左側通行で歩く。
歩く人を妨害しない為に歩かない人は右側に乗る。左側を歩くのがスタンダードだった。

エスカレーターを歩く大阪の人は、右側に止まっている人を、歩くのを邪魔をする迷惑な人と認識する時代もあったとか。

いつもエスカレーターで止まって乗る人目線で考えれば、大阪では右側、関東では左側になるが、左側通行を心掛けるなら、大阪ではエスカレーターを左側で歩き、関東でエスカレーターを止まって乗るようにすればどちらも左側だ。

止まっているところに着目するとエスカレーター大阪と東京は逆だが、止まるか歩くかの違いに着目すれば、どちらも左側通行。

関東と大阪で左右逆ではなく同じだと言えなくもない。


もう一つ、左右逆になるといえば鏡。

鏡を見ると左右逆になり、上下が逆にならないのが不思議だ。

これも左右逆なのか考えてみたい。

本当の意味で鏡が左右逆転になるなら、写真のように鏡に写った自分の右手が左側に見えるはずだ。

鏡は上のものは上に、右のものは右に反射して見える。

右手が右側に写ることに違和感があり、上のものが上に写ることには違和感を抱かない。

何故なのか。

まず、左右逆について右手で考えて見よう。
写真のように目の前で振り返った状態で見た自分の姿を想像する。もしくは、鏡の中に入り振り返った自分のイメージする。
右手は左側に見えるイメージである。

イメージでは左側に見えるはずの右手が、鏡では右側にあることに違和感を抱き、自分が勝手に思い画いたイメージと左右が逆転していると認識する。

鏡は、いわば透明な写真を裏から見た画像である。そもそもイメージが間違っている。

透明な写真を右か左端を持って裏返してから見ているイメージが鏡に写る姿だ。イメージと鏡が合うので左右逆になったとは思わないはず。
イメージしたことはないので難しいが。

次に何故上下が逆と認識しないのか。

それは、振り返るという行動が左右しかないと思い込んでおり、逆立ちして振り返るというイメージがないからだ。

逆立ちするのは大変なので、カメラを上下逆にして自分の写真をとったとする。めんどくさければ、普通に写した写真を上下逆さまにしてもいい。

右手は右側にあり、上にある頭は下にある。

その写真と鏡に写った自分の姿を見比べると上下が逆である。左右は逆になっていない。

こちらもイメージがないので頭の中は大混乱間違いなしだが、子どもころから上下逆の写真を毎回見てから鏡を見るようにすれば、鏡は上下が逆と認識できるようになるかもしれない。

裏から見ている透明な写真を左か右の端を持って表にしたものをイメージして、勝手に左右逆と思ってしまうのである。
上か下の端を持って表にしたものはイメージしたことがないので、上下逆とは思いもしないのである。

諸説あり、心理学的には解明されていないようなので迂闊に誰かに話さないことをお勧めする。

あくまでも個人の妄想、感想として理解して頂ければ幸いである。

左右逆になるという気のせいについて考えてみた。

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