火球2. Une autre histoire〜前編〜

未知のウイルスはこの世界に依然蔓延していた。
この世界の階級制度は一時停止されていた。しかし、ウイルスの研究によりワクチンや薬が開発され致死率が下がると再び階級制度が復活した。そしてそれは以前よりもっと全体主義的で、ヒエラルキーを強いるものになっていたのだった。

D市民の僕は車の運転手だ。朝から晩まで働き通しで家に帰っても眠るだけの毎日。
僕は最近A市民のとある資産家の男の運転手をやるようになった。階級が違うので互いに言葉を交わすことは勿論ない。僕はバックミラーでチラリと顔を盗み見るくらいだった。
A市民のその男は温厚そうな顔をしていた。
見た目の温厚さとは裏腹にその男のある噂を聞いていた。それはこの男に僕のようなD市民だけではなく複数のE市民が仕えていること。
そしてそのE市民はまるで人間扱いされない酷い扱いを受けているという噂だった。
僕はその男のことを、刺激に飢え獲物を見つけたらすぐ襲いかかる野獣のようと思い秘かに軽蔑していた。

雨が酷く降る夜だった。その日の仕事が終わり地下駐車場に車を停めて帰宅しようとすると、車の陰に何か動くものを目の端に感じた。覗き込むと裸の少女が泣きそうな顔で小刻みに震えながらこちらを見ていた。まつ毛と髪の長い美しい少女だった。
僕は少女に自分の着ていた上着をかけるとすぐに、おそらくE市民なのだろうと悟った。
「どうしたの?」
「助けて欲しいの。どこにも行く場所が無いの。」
と言うと泣き出したので、さっきまで仕事で使っていた車に彼女を乗せた。
そして落ち着いたところで話を聞くと彼女はE市民になってからというものあの男の家政婦をしていたが、要は性処理をする奴隷だった。他にも複数の同じような境遇の奴隷がいて、夜伽を共にすることもあった。そして、嗜虐的な男の性癖に彼女は身の危険を感じ、命からがら逃げ出してきたらしいのだ。

僕は彼女に同情した。E市民だからと言ってそこまで酷い境遇に追いやられる理由はあるのだろうか?
彼女を元気づけたいと思った。僕は車を走らせた。
雨の都市部の街のネオンを初めて見るのか、彼女は目を輝かせてじっと窓の外を見ていた。
どこか行きたいところはある?と彼女に問うと、少し考えてから海に行きたいと小さな声で彼女は言った。
行き先が決まると、少しほっとした様子で彼女はうとうとしていた。

明け方ごろ、車は海に着いた。雨は止んでいた。
「私、海に来るの初めて」と言った彼女と砂浜に向かって歩く。初めて聴く海の音、潮の匂い、全てが新鮮という様子だった。
彼女の心もとない裸足の小さな足跡が砂浜につく。波がそれをすぐに消した。
僕らはお互いの境遇をまた少しずつ話したり、黙ったりしていた。
彼女は最初こそ泣いていやいやをする女の子のように幼く見えたが、僕と同い年だった。
僕も靴を脱いで、砂浜を走ってみた。足の裏の濡れた砂の感触が心地良い。ふと彼女の方を見るとこちらを切ない目で見つめていた。その眼差しを見て僕は彼女の方にまた走り出した。
僕が駆け寄ると少しいたずらっぽい表情で彼女も走って逃げた。僕は追いかける。彼女も逃げる。
子供のように追いかけっこをした。

彼女の手を掴んだところで抱き寄せて彼女を見つめると彼女も僕を見つめ返した。夜が白んできていたが時間は止まってしまったようだった。
彼女が僕の胸に耳を当てる。
「音がする」
「どんな?」
「海の音に似てる。ドン、ドン、ドン…」
君がそう言う唇をふさぐようにキスをした。彼女も応じた。
少し潮の味がする気がした。その味と匂い…。僕は一生それらを忘れない気がした。
彼女の裸の胸に僕が耳を当てる。
やはり海の音のようにドンドンと波打つ音が聞こえた。
彼女が僕の頭をとても優しい手つきで撫でた。僕も彼女の胸を太ももを腕を撫でてキスをした。
お互いの身体を癒やし合うように、僕たちは静かに交わった。

勝手に仕事用の車を乗り回していてバレないわけが無い。でも、どうにかして彼女と一緒に逃げて、彼女を守ると心に誓った。
「ありがとう。助けてくれて…。」
彼女はそう言うと目を閉じた。







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