1日70円生活をしたあの頃

 ありがたい事にTwitterで少しずつフォロワーさんが増えてきて、それに比例して色々とDMが来るようになりました。で、結構質問が多かった「umemeさんはどうやって今の環境を手に入れたのか?」というもの。なので、この記事では自分が独立した時の話をちょっと紹介していきます。先に言っておきますが、決して楽をしていません。

・ラブホの上の部屋に布団と机とパソコンだけで過ごした日々
 何も考えずに会社を辞めた自分は、真っ先に次の2つを取り組みました。

1:生活資金の確保
2:固定費の削減

 真っ先にアコムにGO。50万満額一気に借りてやりました。今思えば、もっと金利が安くて良い方法あったし、銀行の融資を受けて300万くらい引っ張った方が絶対に良かったなと思います。それでも、50万は手元に手に入りました(が、この時の自分はしょうもない人間だったので、「パチプロになるんじゃー!」といって毎日パチ屋に行ってました。結果、50万が13万まで減りました)。

 次に固定費を減らしていきました。これは、タイミング良く知り合いが「群馬で営業所を開設するんだけど、しばらくそこで住まない?家賃は無しで良いよ!」と言ってくれたので、二つ返事ですぐに引っ越しました。家具なんか全て売り払い、布団と机と友人から液晶漏れしたパソコンをタダで貰い引っ越しました。

 引っ越し先なんかも詳しく聞いてなかったので、着いた時驚きました。凄いボロボロなラブホの上の部屋でした。超治安が悪そうなところです。案の定、自分以外、同じフロアはフィリピン人や中国人だらけでした。

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 これが当時の部屋です。起きたらパソコンをさわるだけの生活でした。
 この時の生活はホントに辛かったといいますか、寂しかったです。ほんの数ヶ月前までは会社にいけば人はいたし、会話やご飯、飲みに行けてたのに今はラブホの上で生活し、お金もないし1人っきり。寝ても覚めても1人だったし、そんな自分が惨めに思えていた事もありました。ホント辛かったな。

・松屋で1時間粘ったあの日
 
いつしかアコムで借りた資金も底が見え始め、財布の中が残り4000円になった時の絶望感はかなりやばかったです。
 しかし、この時に自分は「言い訳をしないで現実を受け止める」ことをしました。とりあえず、残り4000円で2ヶ月は生活できるよう、1週間の生活費は500円と切り詰めました。もはや、1日70円の生活です。コンビニのオニギリも買えないし、飲み物だってカルキ臭が凄い水道水だけでした。だから、200円でパスタの麺を買い、それを少しずつ茹でて味付けなしで食べ、茹でる時に使ったお湯は勿体無いので冷まして飲んでいました。服とかも水で手洗いし干していました。

 ある日、500円を手に入れました(というか、Suicaのカードを解約すると最初に支払った500円のデポジット分が返ってきた)。当時の自分にとっては超大金です。もう悩みました。この500円をどう有意義に使おうか。その時は寒さが身にしみる2月頃。この500円で何をしようかと悩みながら歩いていると目の前に松屋が見えました。

 自分は決めました。これで最後のご馳走にしようと。牛丼に卵をつけて注文。久々のご馳走です。肉です。米です。お茶です。そりゃもう五臓六腑染み渡りました。でも、もったいないからゆっくりゆっくり噛み締めて30分かけて食べたのです。そして、次に空になった丼に紅生姜をたくさん入れてお茶をかけた紅生姜茶漬けです。これをまた30分かけて食べました。周りの目なんか気にしません。気にしている余裕なんてなかったので。食べれるうちに食べなければ次いつご飯にありつけれるか分かりません。

 こうして1時間かけて松屋で食べました。最悪、3日間何も食べなくても大丈夫なくらい自分の胃袋は満足していました。

 そして、久々に満腹を得た事による安堵感。この時、自分は自然と涙を流れてきたのです。お腹は満たされても心が満たされていない事によって涙は流れたんだと思います。本当は、もうこういう生活から抜け出したかったという事に気付いた瞬間でした。

「何も考えずに独立は失敗だったんじゃないのか?」
「会社員に戻ればこんな生活から抜け出せれるのに」

 そんな思いがよぎりました。

・正解の道は自分が決める
 ただ、自分は独立する際に決めた事があります。それはもう労働収入は絶対に得ないという事。つまり、会社員に戻るという選択肢は自分には無いのです。
 こういう貧しい生活をしているのは全て自分のせい。これまで何かやろうと思っていても「今日はちょっと疲れたから明日やろう」「焦ってやる事じゃないからいいや」なんて全て辛い事は先延ばしにしていった結果が、今だったのです。この涙も過去の自分がやってきた事。だから、決して「独立は失敗だった」のではなく、「自分にあまかった」のが原因なだけです。

 この経験から、自分は先延ばしでやる事はしなくなりました。今の自分は過去の自分が作り出してきたものであり、未来の自分は今の自分が作り出すものです。
 自分は、この日を境に自分に言い訳をする事をやめました。出来ないんじゃなくて、やらないだけ。失敗したんじゃなくて、自分がよく考えなかっただけ。全ての原因は自分にある。人のせいにしない、環境のせいにしない。それも自分の考え方1つで何とでもなる。自分が選んだ道に反省はすれど、後悔をする事はしない。失敗だったと思っても、自分が選んだ道を全て正解だったと思えるよう努力して変えていけば良いだけ。

 自分がそう思うようになってから、快進撃が始まりました。その月から売上が10万、次は25万、そして80万…と少しずつ上がっていったのです。理由は明確で、単に自分に言い訳をしなくなったからです。もう無理、分からない、辛い…そんな事を言わなくなりました。その結果、こうも変わったのです。そういえば、前の会社の社長がこう言っていたのを思い出しました。

「結果が出る人は目の前の壁をどう乗り越えようかと知恵を働かす。結果が出ない奴は目の前の壁からどう逃げようかと言い訳に知恵を働かす。」

 本当にその通りだなと思いました。
 あの時のラブホの上で過ごした生活はホントに辛かった思い出しかありませんが、後悔なんかしていません。あの経験も後に正解だったと思えるようになったし、32歳になった今でも、これまで歩んできた道に後悔した経験など1つも無いと言い切れます。

 ラブホの上で過ごした経験、1日70円だった生活、涙流した日。あれらは全て「今まで辛い事を先延ばしにしてきた事」「頑張ったフリをしてきて逃げてた自分」「向上心なく勉強をしてこなかった自分」の人生のツケが来たと思っています。だから、そこから逃げないで頑張ってツケを清算したあの時の自分を褒めたいです。もうあんな生活はしたくないので、今の生活にあぐらをかかず、怠惰な生活を送るとまたあの時に戻るよって事であの写真は戒めとして今でもスマホの写真フォルダーに入っています。

・盛者必衰の世界
 そういう経験をしてきたからこそ、お金の大事さや驕りは身を滅ぼす事を強く感じています。実際、私のまわりの経営者達もお金が入る事で生活水準を一気に上げて、良い車やタワマンに住んだり毎日飲み歩く人もいました。が、そういう人は大体数年後には消えています。生活水準を一度上げると下げる事は難しいです。だから、自分は生活水準を上げたいとは思いません。

 さすがに家族が出来たので住む場所はセキュリティーとか重視するので高くなりましたが、車もフリードですし、焼肉なんて牛角で十分です。笑 寿司はスシローで十分で、好きなファミレスはココスとジョナサンです。だから、月収20万でも十分生活していけるレベルに抑えています。いつお金が無くなるかも分からないので。
 
 盛者必衰の世界。どんなに勢いあって盛り上がっていても、必ず終わりはきます。その終わりがある事を見据えて動かなければ苦しみが待っています。

・お金で幸せは買えない
 お金が全く無かった頃は稼いだらあれもしよう、これもしよう!なんて夢を抱いていました。しかし、実際にお金を手にして分かった事は、お金で欲は満たせど幸せにはならないという事です。
 大金を手に入れた25歳の時、一度自分の本能の赴くままにお金を使ってみました。毎日飲んだり良い物買ったり美味しいご飯食べたり旅行したり。その時々は楽しいのですが、結果、虚無感しかなかったです。

 結局、自分がやった行動は快楽を求めているだけであり、幸せではありませんでした。今の自分の本当の幸せは子どもの笑顔と妻の存在です。お金をかけなくても、家のリビングにいけばいつでも幸せが手に入ります。

 妻が苦しんで子どもを産んでくれたあの日、自分はこの家族をずっと幸せにしようと心から思いました。子どもの成長を身近で見続けていきたいし、笑顔が絶えない家庭にしたい。だから今の自分は、家族を守るためにお金を稼ぎ続けます。お金で幸せは買えないし、幸せは自分で見つけるものだと思います。けど、何か起きた時にお金が無い…といって辛い目に合わないようにお金はあった方が良いです。

 あの時の経験があったからこそこれは強く思います。

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