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虎に翼 ~さよーならまたいつか!~

虎に翼が大好きで、時々、感想などを書いている。
今日は主題歌の「さよーならまたいつか!」について。

虎に翼はのすごいところは今までの連ドラに出てくることのないような、ヘビーな問題を扱っているところ。

男尊女卑で差別され続けてきた女性だけじゃない

今週は在日コリアンへの差罰がテーマ。

連続放火事件、犯人に疑われたのは在日朝鮮人の金顕洙。何か、問題が起きると、朝鮮人だからと、罪をなすりつけられ、疑われ続け、無実を訴える気力さえなくしてしまっている。

朝鮮人だから犯人にちがいない!と偏見の目で見る裁判官の入倉さんに

関東大震災の時、災害に見せかけ、在日朝鮮人が暴動を起こしていると、うその情報が出回り、罪のない人たちが殺された事件を例に出し、偏見から起きてしまった、事件があることを指摘した。

隠しておきたかったであろう、日本の過ちを表に出した。

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「口の中はたと血がにじんで空に唾を吐く」

毎朝このフレーズを聞くたび、どんなにくやしかっただろう…って思う。

「土砂降りでも構わず飛んでいく その力が欲しかった」

どこかに逃げることもできず、誰かに理解してもらうこともできず、亡くなっていった、名もなき人々の声が、100年たった今、ドラマになって、100年後に生きる私達に、訴えかけている


100年たってしまったけど、知ること。理解されることで、癒される傷があればいいなと思う…

どういう時に、どのようになったら「ゆるし」は起きるのだろう…

どこから春が巡り来るのか 知らず知らず大人になった
見上げた先には燕が飛んでいた 気のない顔で

もしもわたしに翼があれば 願う度に悲しみに暮れた
さよなら100年先でまた会いましょう 心配しないで

いつの間にか 花が落ちた 誰かがわたしに嘘をついた
土砂降りでも構わず飛んでいく その力が欲しかった

誰かと恋に落ちて また砕けて やがて離れ離れ
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
100年先も憶えてるかな
知らねえけれど さよーならまたいつか!

しぐるるやしぐるる町へ歩み入る そこかしこで袖触れる
見上げた先には何も居なかった
(ああ居なかった)

したり顔で 触らないで 背中を殴りつける的外れ
人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る

誰かを愛したくて でも痛くて いつしか雨霰
繋がれていた縄を握りしめて しかと噛みちぎる
貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ
100年先のあなたに会いたい
消え失せるなよ さよーならまたいつか!

(今恋に落ちて また砕けて 離れ離れ)
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
(今羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ)
生まれた日からわたしでいたんだ
知らなかっただろ さよーならまたいつか!

米津玄師  さよーならまたいつか 

さよーなら、またいつか!は怒りの歌だ
怒り、悔しさを歌う主題歌が今までの朝ドラであっただろうか…

「私」はこの「肉体」に「魂」が「受肉」して「私」として生きている
だから、よろこびや、いいことばかりじゃなくて、苦しみも悲しみも全部体験したくて、その時代、その土地を選んで生まれてきているという。

「生まれた日からわたしでいたんだ
知らなかっただろ さよーならまたいつか!」


とても難しい歌詞だけど、何度も何度も聞いていると、何かがわかる
そんな気がする…


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