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ハンミョウ・お話のカケラ

たまにはややヤヤコシイ話もしてみたい('ω')

前々から「うーむ、こういうことが言いたいのだがうまく言えそうにない…」と思っていることを、なんとなく「む、今日は言えそうな感じだ」と思う夜がある。そんな日です。

ハンミョウという虫がいます。

地面にじっとしている。近づくと、ぴょんと跳ねて逃げます。が、数メートル離れたとこでまたじっとしてる。また近づくとぴょんと逃げる。繰り返しです。

その行動がまるで「ついてこい」「こっちだ」と言っているようなのでこの虫を別名「ミチオシエ」ともいう。
別段珍しい虫でもなく河原によくいる。今年もまたこのハンミョウ・ミチオシエが見られる季節になったようです。昨日見ました。

当方はこの虫を見ると毎年あることを思うのです。それはちょっと話が飛ぶようですが、

世の中に、こんなに「物語」があふれている時代っていままであったのかなあ…と。

マンガ。アニメ。映画。小説。ゲーム。歌。いやそんなプロの仕事以外でもブログ、ネットでどこをどう見ても他人様が作った物語にあふれている。その物語の中には一定のルールというか決まりがあり、キャラクターがあり、ストーリーがある。出来上がったお話。またその供給量たるやものすごい数です。とても読みつくせません。
近年はそれに飽き足らねば二次創作と称してその続きやIFを描く人がいる。かくして物語はますます増殖していくようです。またその値段の安いこと!というかタダでいくらでも見る方法がある。

まったく、ニンゲンはまるで

物語を作らなきゃならないというメイモウ

でも持ってるんじゃないかと、いぶかしくなるほどです。

かくいう当方も物語をこさえて口に糊している以上その片棒を担いでおります。
今はもう物語を作る手間を省くためにAIまで導入されている。そしてそれがもうはや、すでに物語の意味性を失って「流行りの絵」「そつない文章」を手間なく再生産させる手段になってしまいました。
物語は作る、売るという手段がすぐ目的化する分野なんだな、と思わざるを得ません。

当方はこういう世情を見るにつけ、大好きな楳図センセイの「イアラ」を思い出します。
まだ物語が、本当に生きるためにコレがなきゃダメなんだという意味を持っている人のお話です。


特に第3章の「わび」ですが、ここには「誰にも語らないけど、じっと心の中で大事にしている一つの物語」をもっている女性が出てきます。その夢が、時の権力者によってかりそめにも叶えられてしまう。しかしそれはすべて権力者の遊び、気まぐれ、「作為」です。権力者というのは豊臣秀吉で、これは千利休の「無作為の自然こそ美しい」という言説にあてつけるためにやったことなのですが、これこそ物語の濫用というものでしょう。お話のオチはネタバレしたくないので是非読んでほしいのですが…。

ただこの女性が持っていた物語は、誰に語るためでも、まして売るためのものでもなく、ただ自分にはコレが無きゃいけない、という物語でした。このお話の舞台は戦国時代でしたが、

実は現代にもそういう物語をココロに持っている人が結構いる。

…当方がこのことに気づいたのは、むしろ漫画家を離れてバイトしているときでした。表現しないだけで、心のなかで創作している人はいっぱいいる。「イアラ」の女性のようにです。そういう人はお話をしてみるとめちゃくちゃ面白いのですぐわかる。

そしてその物語は、あふれるほどいっぱいある他人様が作ってくれたお話に依存していません。長短巧拙は問題ではなく、とにかく自分が自分のために作って持っているお話なのです。

こんなに物語があふれている世の中で、わざわざ自分の物語を持っている人がいる。商売でも何でもなく…それはホントにスゴイしなんか貴重なことだと思われます。

でも、もしかしたらそんなことはみんな昔からやっていたんじゃないか、たまたま今は物語が恐ろしく商品化されている、また商品じゃないにしても「いいね」「すき」などの量的評価にさらされているから多くの人はどうしてもそういうものを参考にしがちだが、全くそれがなかった時にはそれこそ道端の地蔵さんとか、雑草とか、そういうモノから頑張って自分のためのお話を作ったんじゃないかと思うのです。なぜって、物語がないと生きていけない人がこの世に一定数いるからです。今でも。

そこで、ハンミョウ(ミチオシエ)です。

ミチオシエとは言いますが、いったい彼ら(正確には彼女ら、ですが)がヒトに何を伝えたいのか、どこに連れていきたいのか、そこは語られていません。ただミチオシエという名前だけがある。これはお話のカケラです。

ヒトはハンミョウに会ったとき、それを自由に考えていい。また考えたはずです。
かくいう当方もよく東京時代、いい大人になっても、荒川河川敷でハンミョウを見かけると追いかけた。熱くてボーっとして、あ、やばいなと思いながら追いかけたものです。体力の限界に従って適当にやめるのですが、あのまま追いかけていたら何か変なセカイに迷い込んだかもしれない?…というのが、当方の物語になるわけです。そうやってできたネームがいっぱいある。

昔の人が名付けた虫、植物、地名、いろいろにはそういうお話のカケラがいっぱいあると思うのです。それは全部がすでにウマいことでき上っている現代の売り物のお話より(それらがモノスゴク優れたものであることは重々承知なのですが、それはこの際問題ではなく)、その虫その雑草が

昔の人が「こっからお前の物語に入れるぞ」と残してくれたナニカ

なような気がしてなりません。


…うーん。書き始める前は「今ならうまく言えそうだ」と思ったのですが、勘違いだったようです(笑)。でもまあせっかく描いたのでこのまま上げてみます。お粗末様でした(*- -)(*_ _)ペコリ











たくさんのサポートを戴いており、イラストももう一通り送ったような気がするので…どんなお礼がいいですかねえ?考え中(._.)