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短編小説「桜河の果て」

今日は2020年7月26日日曜日です。
先日来、安楽死をめぐる事件や優生思想に関するSNSでの炎上が起き、私が2年前にツイッターに書き散らしていた、安楽死ディストピアに関するショートショートを思い出してくださる方がいらっしゃいました。私は余生を主に絵の分野で食べていこうと思っている人間で、文章は素人以下という感じなのですが、このときは近所の目黒川で遊覧船を見たときの思いつきを書き留めておきたくてしたためたものです。

せっかくなので、戯れついでにこのnoteなるものに複数ツイートをまとめて以下再掲しておこうと思います。タイトルは今ざっくりつけました。

桜河の果て

 春の日が射す目黒川の濁った水面を、桜の花びらがいちめん埋め尽くしている。わたしたちを乗せた遊覧船は、その微小な粒体をかき乱して海へと進んでいく。川の両岸はお花見の若い人たちでいっぱいだけど、船の上にはわたしとおなじ年寄りばかりだ。

 彼らは目を細めて水面を見つめているか、居眠りをしている。若い人を見るのは嫌なのだ。橋の上から子供が手を振るのを母親が慌てて止めるのが目に入った。無理もないことだ。白い花びらが、船の上でむき出しの老人たちめがけ嵐のように舞い落ちてくる。私も目をつぶり、ここまでの日々を思った。

 東北の実家から離れ、東京で結婚は二度したが、どちらの夫とも別れ行方は知らない。今はもう二人共リタイアしたことだろう。子供がいたら今日の日もまた違った一日になっていた筈だが、いまさら言っても仕方ない……。そんな私の想念はふたつ隣の席の爺さんの、なんとも文字にしにくい奇声でやぶられた。

 奇声とともにドボンと音を立て、爺さんは川の中に飛び込んでしまった。痩せた年寄りめ、見苦しいことこの上ない。警備ドローンが水面スレスレに飛んで彼を追いかける。わたしも含め船の上の40人ほど全員のマイナンバーは既に処理済みなのに、あの爺さんいったいどうやって生きていくつもりなのか。

 せっかく当局が気を利かせた目黒川メモリアルクルーズに当選したのだから、最後まで心ゆくまで味わうのが粋というものだろう。また一つ大崎あたりの橋をくぐって、港が近づいてくる。遊覧船の後ろに、桜の水面がVの字に広がって、両岸に跳ね返っている。

 川の先には港、港の先には「処理船」がわたしたちを待っている。太平洋に撒いてもらうイメージをずっと想像していた。何億トンもの水の上に、桜の花びらのように浮かぶわたし。今日はよく晴れて、ほんとうによかった。(おわり)

※算用数字を漢数字に直す修正だけしました。

※冒頭写真も自分で撮ったものです。


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