フランク・ザッパ『Roxy The Movie』DVDのライナーノート。その1
このテキストは、2015年12月にリリースされたフランク・ザッパ待望のコンサート・ムーヴィー『Roxy The Movie』のデラックス・エディションの解説本のための原稿です。このブックレットはオリジナル・ライナーの翻訳と、大山甲日さんのロキシー公演についての興味深い考察が約15000字、大山さんの原稿と重ならない内容で1973年のマザーズの活動についてのテキスト約15000字を私が書いています。それに73年のマザーズ公演のセットリストとロキシー公演の研究考察を加えて、計64ページのボリュームの特典本になりました。
『Roxy The Movie』のデラックス・エディションが何セット発売されたのかは十分把握していないのですが、とりあえず現在同作の国内盤は絶版のようです。おそらく再発はされることはないと思われますので、自分のテキストを一部削除&追加した改訂版として、何回かに分割してNoteに載せていこうかなと思っています。
このブックレット自体は『Roxy The Movie』の3年後にリリースされた『The Roxy Performances』というロキシー公演を全出ししたアルバムの解説としても有効だと思います。
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1973年1月、ザッパと彼の当時のビジネス・パートナー、ハーブ・コーエンは、新たなディストリビューション契約をワーナー・ブラザーズとの間に取り交わします。これによって新レーベル、ディスクリート・レコードが発足し、と同時に、60年代末からザッパが継続運営してきた2つのレーベル、ビザール/ストレイトが終焉を迎えることになります。単純に契約更新がこの時期でもあったはずですが、2つのプロダクションをひとつに整理する目的と、レーベル・コンセプト自体を見直す必要性が重なりあったタイミングでもあったのでしょう。ビザール/ストレイトはアーティストの選択やレコードの制作等のクリエイションにザッパが関与しており、レーベル全体がある種ザッパの大きな音楽的概念プロジェクトの一環の一部として解釈可能なものでした。参加アーテイストはビザール・レコードがザッパ、マザーズ、ワイルドマン・フィッシャー、レニー・ブルース。ストレイト・レコードにはキャプテン・ビーフハート、アリス・クーパー、ティム・バックリー、ジェフ・シモンズ、ザGTO'sなど。ストレイト・レコードには、メインストリーム対応の作品を輩出していくという、ビザールに対する棲み分けがレーベル・コンセプトとしてありましたが、今思えばレコード・ビジネス的には〝?〟なラインナップではあります。また、〝ビザールかストレイトか〟という音楽的問いかけとなるレーベル名がどこか60年代カウンターカルチャー的で、当時の時代感覚的にはフィットしなくなりつつもありました。73年初頭の時点まで作品のリリースがあり、アーティストとして残っていたのはキャプテン・ビーフハート、ティム・バックリーとアリス・クーパーだけです。一方、ディスクリート・レコードは基本的にハーブ・コーエンのコントロール下にあり、ザッパ以外のアーティストに対するザッパからの音楽的アウト・プットはほとんどありません。ザッパにとってこのレーベルは、自作をディストリビュートするためのビジネス・マターなものだったと言ってよいかも知れません。〝ビザール〟に対して、直訳すれば〝思慮深い、慎重な、控えめな〟といった意味を持つ〝ディスクリート〟。この言葉に当時勃興中だった4チャンネル・オーディオの再生方式の名称のひとつであるdiscreteを引っ掛けたネーミングは、70年代前半の状況に感覚的に対応したものともいえます。また新レベールのこれまでとの大きな違いは、ビザール/ストレイトがワーナーブラザーズのファミリー・レーベルのひとつ、リプリーズの傘下所属であったことに対し、ディスクリートはリプリーズと同列のより独立性のあるレーベルと位置付けられていた点です。これはザッパの音楽活動が、よりメジャーな70年代型ミュージック・ビジネスに同化していくミッションを与えられたことを表し、ワイルドマン・フィッシャーのような〝わけのわからない〟メタ・ミュージシャンのレコードが大手レコード会社からリリースされる時代の終焉も示しています。
いずれにせよ、前レーベルにおける〝ビザールなリレーションシップ〟はここで終了し、60年代から連続するザッパ史のタイムラインの大きな転換点が、1973年1月に位置づけられることになります。ここでザッパの60年代が完全に終わりを告げたとしたら、当時の彼の周辺にはどんな音楽的景観があったのでしょうか。
若者のメインカルチャーとしてのロック、公民権運動を経た黒人のメッセージ・ツールとしてのソウル、その歴史の後半にさしかかりつつも可能性の拡大を図るジャズ、事実上歴史の更新を終えつつある現代音楽等々、20世紀後半カルチャーとしての各音楽ジャンルが、相互の影響を総決算化してモードチェンジへの欲望を大いに内包するのはこの70年代前期にあたります。ビートルズとジミ・ヘンドリックスが去っていった後のこの領域で、マーヴィン・ゲイやレッド・ツェッペリンやマイルス・デイヴィスといった各ジャンルの当時の前線の代表者とその追随者がよりプログレッシヴ化していきます。この時、ロックは黒人音楽のレボリューションを無視することはできず、ジャズはロックのエクスプロージョンを避けることができない、という命題をその音楽自体に抱え込むことになります。白人ロッカーは8ビートからの逸脱と洗練を目指し、黒人ジャズ・マンは8ビートとエレクトリック・ツールを取り入れてロック化する。そういった類いの各分野間での交配作業は、レコーディング・マシーンのトラック数増加を伴って、やがて70年代型のサウンド・デザインとしてのファンクやフュージョン(70年代前半はまだこんな呼び名ではありませんが)を確立します。この2つの方向性は70年代後半に向けて、ディスコとフュージョン(70年代後半にこんな呼び名になってからの)として、よりコマーシャル・ポテンシャルのあるスタイルにビルドアップされ、セールスアップとともに、70年代前半のプログレッシヴなイノベイターたちを容赦なく置き去りにしていきます(80年代になると彼らもワイルドマン・フィッシャーのような憂き目にあうのか否か?)
ザッパがハリウッドのロキシー・シアターでショーを行ったのは1973年12月。ここで収録された本作には、黒人音楽のレボリューションを無視しないロックと、ロックのエクスプロージョンと対峙するジャズが、ファンク・ミュージックの方法と現代音楽的スコアを用いて、同時に演奏されるといったタイプの音楽が収録されています。そしてこれをハイエンドに実行するのが、白人のドラマー、黒人のドラマー、女性パーカッショニストを擁する8人編成のバンドです(なんと見事なバンド設計!)。
通例的にザッパの黄金期といわれることの多いディスクリート・レコード期。このレーベルからは多くのザッパ・ファンにとって欠かすことの出来ない数々の傑作&問題作がリリースされることになります。契約上ディスクリートからのリリースは79年まで続きますが、発足から3年も経たないうちにザッパとハーブ・コーエン、ワーナー・ブラザーズとの間の対立が表面化し、創作とビジネスの間に生じた齟齬から、レーベル運営は暗礁に乗り上げます。この時期のザッパ作品の充実に相反して、レーベル自体はレコード史的には〝控えめ〟な存在として終焉を迎えます。しかしこの間ザッパが編成したバンドは素晴らしく、特に73年から74年にかけては、コンサート・ツアーと音楽制作とレコード・リリースが高濃度に連動しており、マザーズがまさに夢の傑作製造マシーンとして稼働していた時期だったといえます。
(2015年11月)