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文章にするのがしんどいという話

noteを書きたい!!
と思ってnoteを始めた記憶はない。
いつ始めたか、すら覚えていない。

気がついたら始めていて、なんとなく文字を書いてみて、消して、書いて、消して、投稿して、消して......を繰り返していた。

(自分の中で)ちゃんとした文章を載せられたのは、『自己紹介』の記事だった。
自己紹介といっても挨拶くらいで、簡素なもの。

何をどう書けばいいのかわからなかった。

自己紹介の記事を載せてからnoteを放置し続けていた。

私の自己紹介など世界のどこにも需要がないことをわかっていたので、どうして自己紹介をしたのか、我ながら不思議に思った。

私の文章など誰も読まないと思うので、どうして投稿するのかわからなかった。

でも、私がいつか死んで、死んだあとでもいいから、どこかの誰かが私の文章を読んで何かを感じてくれたらいいなぁと願いながら、投稿した。

次に、カフェインで自殺未遂をした時の事を書いた。

初めて自分についての長い文章を書いたのはその時だった。
当時は、その時の自分の文章に満足していて、投稿してもいいレベルだと判断したので載せた。

が、今読むとあまりにも読みづらく、何を伝えたいのかもわからず、しかも口語体でなんか自分じゃない人が書いたみたいでキモかったので、その記事はすぐに非表示にした。

非表示にして、数ヶ月後、今度はわかりやすさ重視ではなく、自分の気持ちを織り込んだ記事を書いた。

当時は10人くらいからいいねが来ればいいと思っていた。

ところが、その記事を公開して数ヶ月で70人の方からいいねしていただけた。
読んでくれた人はもっと多かった。
すごく嬉しかったのだが、同時に怖さもあった。
恐怖というより、怖さ。

誰でも見られるSNSに自分の出来事を詳細に書くと、その内容次第では不快に思う人もいるだろうということ、それから、私に関わってくださった医療従事者の方が見るかもしれないということ。

できるだけ不快にならない表現を心がけてはいるがそれでも、人それぞれ思うことや感じることは違っていて。

全員の感情に対処することができない悔しさと、そんなことをしようとする自分はすごく烏滸がましいのではないかという気持ちが入り混じってぐちゃぐちゃになる。

カフェインの記事は、誰かを不快にさせてしまう怖さもありながらも、それでも、私とおんなじような体験をする人が少しでも減ればいいと思って書いた。
カフェインでは死ねないんだなぁと思ってもらえれば嬉しい。それが本望だから。

カフェインの記事を書いたあと、特に何かを語ったりせず、適当に言葉を垂れ流しは消し、垂れ流しては消しを繰り返していた。

何かを語りたいけど、うまく言葉が出てこないのである。
想いはたくさんある。いつか一度でいいから、どこかの誰かの目に留まればいいなと願いながら、そのどこかの誰かに向けて伝えたいことをたくさん文字で表現したいな、と思う。

でも、私の頭の中には霧がかかっている。
いつもなんかモヤモヤして、1m前ですらはっきり見えない、真っ白な濃霧の日に似た感覚。
何かを話したり、書いたりしたいという想いはあるのに、何も表現することができない。

私はそれがすごく辛い。
頭に靄がかかっている時の私は言語を持たない。
想いだけがいつも置いてけぼりで、苦しくて、涙が出てしまう。

それと同時に、別に必ず何かを表現しなきゃいけないわけでもないんだし、というか誰もあなたを求めていないのに、どうしてそんなに悲しんだり悔しがったりするの?と嘲笑する自分もいる。

誰かに求められているわけでもないのに、勝手に使命感を覚えて、投稿しなきゃと思ってしまう自分もいる。
誰も何も求めていないのに。

それでも、私が何かを書かなきゃ、私の文章を読んで共感してくれたり、泣いてくれたりする人はいなかった。

自分の文章にはこれっぽっちも需要がないという気持ちと、いや、読んでくれている人がいる時点で多少需要があるのでは?という気持ちで訳がわからなくなってくる。
自分の文章に需要があると思えるナルシシズムも大事だが、私はそこらへんにいくらでもいる一般人なので驕ってはいけないと思う。

だから難しい。
誰のために何を書くのか、もしかすると書く意味すらないのではないか?と思ってしまうが何かを書きたい自分もいて、すごく葛藤している。

それ故に文字が出てこないし、何かを書いているとすごく苦しくなる。

私はあまりにも才能がない。
その上、これといった努力もしてない。
ちょっと国語の点数が良くて、読書感想文を褒められたことがある程度の人間だ。

文字を書くたびに、あまりの下手くそさに打ちのめされてしまう。
三島由紀夫と比較して勝手に打ちのめされてしまう。
(比較対象を間違えすぎている。)

頭の靄がとれて、一念発起して何かを書こうとするも己の文章力の無さに打ちひしがれてしまい、途中でやめてしまう。
書きたいことはたくさんあるのに。

だから最近、何かを文字にするのがすごくしんどい。

少し需要が出てしまったこと、それから、自分の文章力のなさ、そして、メンタル由来の頭のぼんやり感、やり場のない気持ち、それらが脳内で合わさって煮えたぎってしまい、私はより一層"産みの苦しみ"のようなものを感じることになった。

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