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日本舞踊が好き

私の通っている日本舞踊教室の魅力についてお話ししようと思います。

日本舞踊は着物を着て、古典邦楽に合わせて踊りを踊るものです。江戸時代、歌舞伎から舞踊だけが独立するような形で枝分かれしました。歌舞伎のように興行ではなく「習い事」として誕生し、現代まで続いています。江戸時代は武家屋敷に奉公する子女のたしなみとして、また花街の芸者さんが芸を磨くための需要がありました。明治維新以降は広く女性が教養を身に着ける手段として親しまれてきました。昭和の中頃までは男性にも、教養やお座敷芸としてニーズがあったようです。

なお「日本舞踊にはお金がかかる」という印象をお持ちの方もいらっしゃると思います。発表会に一人何十万~何百万円もかけるということは昭和の中ごろから一部の富裕層を中心に盛んになったようです。そうすることこそが日本舞踊の本筋である!と、一般家庭にもそのようなことを半ば強制するような教室も実際にあったようですが、業界内でもこの考え方には大きな批判があり、現在では他の習い事と同等の費用(月謝1万円程度に発表会費用が年3万円程度。私の通う教室もその程度です)で通える稽古場が主流になっています。

さて、日本舞踊のような「伝統文化」には不思議な魅力があります。何百年も続いてきた文化継承の流れの上に自分が身を置いていると思っただけで、何か大きなものへの所属感を得られます。しかし今回はそうではないところから日本舞踊教室の魅力をお話ししたいと思います。

私が考える魅力は「個」と「コミュニティ」のちょうどいいバランスがとれるところです。

具体的には、自分という「個」に向き合える「稽古の魅力」と、ちょうどいい「教室コミュニティの魅力」です。

私と日本舞踊との出会いは29歳の時。友人の経営する人材派遣会社で働いていたときのことです。当時、仕事はややマンネリ化しており、なにか刺激を求めて習い事でもしようかな、と思っていたところ偶然、選択肢に上ってきたのが日本舞踊でした。昔から落語が好きだったり学生時代剣道をやっていたりしたこともあって、和の習い事である日本舞踊に興味がわきました。それに日本舞踊なら激しい運動でもなく、体力に自信のない私でも続けられそうです。集団行動が苦手なタイプでもあり、日本舞踊は一人で踊るもの、というところにも惹かれました。近所で見つけた教室へ見学に行き、気さくな先生とお話ししてここなら続けられそうだな、とその日に入門しました。

お稽古は楽しく、あっという間に3年が経ちました。その間、私は新宿にある教育系の会社の総務部長に転職し、激務の毎日へ突入していました。

日本舞踊の一つ目の「稽古の魅力」を強く感じる経験をしたのはこのころです。

会社では、経理と総務と人事をほぼ一人でこなさなければならず毎日残業。出来たばかりの会社で、誰も教えてくれる上司はいませんから、

自分なりに考えて、試行錯誤を繰り返す毎日。土日もゆっくり休めるのは半日か、よくて1日。仕事は好きだったので楽しかったのですが、仕事のことがいつも気にかかり、常に頭に霧がかかっているような感覚でした。おそらく精神的な余裕がなかったのでしょう。

正直、そんなときは稽古に行きたくありません。その日は「しんどいから休んじゃおうかなあ・・・」と考えていました。自宅のある勝どきから稽古場のある両国まで向かう地下鉄の中でも、稽古場に着いて着物に着替えている時間も、ずっと仕事のことを考えていました。

しかし、帯を締め、正座して扇子を置き、師匠とともに座礼をする、カセットテープから流れてくる三味線の音を聞きながら、師匠の後ろについて踊り始めると、不思議と、仕事のことは頭から消え、目の前の一挙手一投足に集中しています・・・。

1時間の稽古が終わると、まるで憑き物が落ちたようにすっきりしている自分がいました。

日本舞踊の稽古の最初は、とにかく師匠の真似をすることから始まります。師匠を見て、素早く全身を反応させ師匠と同じように踊る、それをひたすら繰り返して覚えます(『振りを入れる』と言います)。

そんな稽古が、今目の前のこと、自分の体に向き合うことに没入させてくれて、強制的に私の頭から仕事のことを追い出してくれたのが良かったのでしょう。

仕事では目の前に現れ続ける課題を解決することに全力を注ぎますが、このように自分に向き合い内省的になれる時間はありません。仕事にかまけて、私は自分自身に意識を向けることをすっかり忘れてしまっていたのです。

この経験以来、自分という「個」に向き合う時間を得られる日本舞踊の稽古は、私の生活になくてはならないものになりました。

次に、ちょうどいい教室コミュニティの魅力についてです。

「稽古の魅力」を体感した頃からさらに約3年。いくつかの事情が重なって、私はフリーランスになりました。これまでいたサラリーマンの世界から見ると異端、マイノリティとも言える世界へ足を踏み入れた私は、しばしば自分の置かれた状況に不安を感じるときも。ですが、稽古は相変わらず楽しく、稽古場にいるときに、とても心理的安心感を感じていることに気づきました。

言葉にすると「ここにいると心地よい」「ここに居場所がある」というような感覚です。その理由を考えたときに、それは日本舞踊教室のコミュニティとしての「ちょうどよさ」だということに行きつきました。いくつかポイントがあります。

一つ目は大きすぎないことです。日本舞踊教室に集まる人たちは、師匠を中心にして、多くても30人程度。稽古は基本マンツーマンですので、それ以上多くなると師匠が稽古をつけられなくなってしまうのです。30人というと学校の教室より少しちいさいくらい。顔と名前が覚えられるくらいの規模感です。集団として一体感を感じられるけれど、多すぎて誰がいるかわからない、とまではならないちょうどいい大きさなのです。

二つ目はほどよくいろんな人が集まっていることです。下は幼稚園の子供から上は70代まで。パパもいればママもいるし、学生もいればOLもいるし自営の人もいればリタイヤしたシニアの方もいます。年齢、ステータスのバリエーションは他のコミュニティではないくらいに多いと思います。
だから、あの子が小学校に上がっただとか、転職しただとか、孫が生まれただとか、話題には事欠きませんし、私のように在宅でフリーランスをしている人間にはそういう話がちょうどいい刺激にも息抜きにもなります。

三つ目は他の門下生とちょうどいい距離を保てること。稽古はマンツーマンなので集団で何かをするということはあまりありません。例え性格が合わない人がいても大丈夫。もちろん仲良くなりたければ仲良くなればいい。私はときどきお茶しに行くくらいの仲の人もいれば、年に二回の発表会くらいでしか顔を合わせない人もいます。でも仲が悪いわけではありません。

これらはいい意味での「ゆるさ」と言い換えられます。「伝統文化を愛する」という同質性と、多様さと人間関係の適度な密度が保たれているのです。

自分と向き合う稽古と、ちょうどいいゆるさでつながるコミュニティ。この魅力のおかげで、私は忙しいとき、不安な時も乗り越えられました。今や日本舞踊を始めて7年目。変わらず、いやますます楽しくお稽古を続けています。

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