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夫が旅立ちました

2月末に夫が急逝しました。

いつものように玄関で笑顔で手を振って送り出した日の午後、外出中に倒れてそのまま旅立ちました。

数日前に四十九日を迎え、1つ節目を迎えたなと感じています。

7週間、どれ位の時間泣いて過ごしていたのか自分でもわかりません。しかし周りに支えてもらっていた時間はそれ以上長かったことだけは確かです。

これからの人生を前を向いて歩むべく、今の思いを綴ることにしました。

辛かった1年間と突然の別れ

夫は1年以上前から体調を崩して休職していました。仕事で昇進し、異動になったことで猛烈に忙しくなりメンタルがやられてしまったのです。

休職中は思うように動けず辛い日々を過ごしていました。ストレスから自律神経が乱れ、メンタルだけでなく胃腸や心臓にも不調が出るようになり、辛さに拍車がかかりました。しかし健康診断を受けても内科で診察をしても、何も異常は見つからず。

しかしとりわけ心臓の症状はわたしも気になっていました。頻脈や息苦しさを感じるようになっていたので大きな病院で検査をすることをすすめましたが、夫は人一倍薬を飲むことや医療機関にかかるのを嫌がるタイプのため、受診を拒否されてしまいました。

1年以上にも及ぶ看病生活でわたしの身も心も既に疲れきっていて「夫の好きなようにさせてあげよう」という境地になっており、受診をさせませんでした。

それから程なくして、突然知らない番号からの着信。ものすごく嫌な予感がしましたが、不安が的中したのです。

知らせを聞いた直後に湧いてくるのは自責の念や後悔ばかりでした。

「なんで」「どうして」「わたしを置いていくなんて」「もっとあの時こうしてれば……」

しかし泣いているわたしに、お義母さんが電話でこう言ったのです。

「うさぎちゃんがずっと側にいてくれて本当にあの子は幸せだった。ありがとう。45年間、本当に立派によく生きたと思う」
「わたし、うさぎちゃんがとにかく心配で。色々落ち着いたら子供達を連れてすぐにうちに引っ越してきた方がいいわ」

お義母さんは今、自分の息子を亡くしたのです。その悲しみはどれほど深いことでしょう。そんな中でわたしをこんなに気遣い、お礼まで言ってくれたのです。

「わたしは、こんな素晴らしい親に育てられた人の妻だったんだ……」

悲しみと同時にとてもありがたい気持ちが湧いてきました。
そして夫の顔を思い浮かべながら、こんな風に思ったのです。

「毎日眠れなくて、体が思うように動かなくて、そんな中でわたしや息子達を頑張って守ろうとしてて。すごく辛かったよね。本当によく頑張ったね。今までありがとう。ぐっすり眠ってね」

伝えなければならない現実

その後、わんわん泣いてるうちに夜が明けました。しかし泣いてばかりもいられません。このことを息子たちに伝えなければならないのです。

息子たちは2、3日待てば自宅に夫が戻ってくるものだと思っています。「明日くらいにはお父さんに会えるー?」と楽しみにしている姿を見て、思わず無言になってしまいました。

義両親達と話し合い「寝る前に言おう」と決めました。寝室で意を決して伝えます。

「死んでほしくなかった」
「もう遊んでもらえないの」
「どうしてこんな早くお別れするの」
「魔法の道具があれば生き返るのに」

息子たちが泣きじゃくります。悲痛な訴えに、わたしは1つ1つ大事なことを伝えていきました。

生きている限り、病気になることや死んでしまうことは必然であること
大切な人とのお別れは避けられないこと
アニメやゲームのように生き返る道具はないこと
だからこそ命は尊く、大事にしなけらばならないこと
お父さん(夫)の肉体は無くなっても魂はいつも側にいて、守ってくれていること
お父さんを悲しませるようなことは、これからもしてはいけないこと
わたしと息子達を心配して守ってくれようとしてる人たちが沢山いること
その人たちへの感謝の気持ちは決して忘れてはいけないこと
とても悲しい状況だけれど、これだけ思ってくれている人たちがいるのはとても幸せであること
辛い中でも、こうやって幸せはちゃんと存在するということ
今受け取っている幸せは、お父さんが残してくれたものであること
2人はお父さんとお母さん(私)の間に生まれて来てくれた大切な存在であること

夫の死を通し、沢山のことを伝えました。2人とも、ちゃんとうなずいて聞いてくれます。

休職中、夫は毎日宿題を見てあげたりゲームをやったり、一緒にお風呂に入ったりと、息子達が学校に行ってる時以外はベッタリでした。言うなれば一生分の親子の時間を過ごせたのです。息子たちへの夫の愛情は、わたしが何も言わなくてもきっと十分伝わっています。

その晩3人で川の字になり、布団の中で夫との思い出を語り合いました。3人で泣いたり笑ったりしながら。その時間はとても悲しくて。でも何だかとても温かいものも感じました。

うめうさぎという財産

息子たちへ報告をし、これからの生活への不安が募ります。と同時に、シングルマザーとしての責任感やこれ以上無い喪失感から自分の人生を謳歌するのはきっと難しいだろうという想いも湧いてきました。

しかし、実家から駆けつけてくれた実母にその思いを伝えたところ、真っ向から否定されました。

「この1年、ずっと看病で大変だったでしょう?その姿を見てて、お母さんもずっと心配で苦しくて。旦那さんも病気から解放されて今ごろ空の向こうできっと楽しくやってるわよ。だからこれからはうさぎも好きなことを楽しみなさい。じゃないと、旦那さんが悲しむわ。だって、看病させてたことずっと申し訳なく思ってたんだから。育児やお金のことはできる限りわたし達もサポートするからそこまで心配しないで」

申し訳なさとありがたさで胸がいっぱいになりながらも、「確かにそうかもしれない」と納得しました。人の幸せを喜べる夫が、わたしが楽しく過ごしている姿を望まないわけはない、と。

わたしの中で「好きなことを楽しむ」を表しているものの1つがこの「うめうさぎ」です。

夫と2人でブログを立ち上げ、その時に出来たキャラがこの間抜けな顔のうさぎである「うめうさぎ」でした。ハンドルネームも夫とつけたのです。
そう考えると「うめうさぎ」はわたしと夫の子供のような存在でもあります。

夫とのお別れの時に、斎場のスタッフから棺桶にペンでメッセージを書いていいと言われ、皆で思い思いのメッセージを書きました。
わたしは夫への思いや感謝の気持ちを込めて、長いメッセージを書きました。そして何も考えず、メッセージの最後にはおなじみのうさぎのイラストを添えました。それは「これからも楽しいことを沢山探していくよ」という気持ちの現れだったのかもしれません。

再出発

葬儀の後、少し不思議なことが起きました。

スマホでYouTubeを視聴すると、おすすめ動画に夫が大好きだったジョン・レノンの『Starting Over』が出てくるようになったのです。わたしもこの曲は好きですが、普段そんなに聴いていたわけではありません。「なぜこのタイミングでこんなに出てくるの?」と不思議に思いました。

この曲はジョンとヨーコが別居生活を経て、再び一緒に住み始めた際の「再出発」ということで作られた曲だそう。

結婚前の20代の時、わたしの身勝手な振る舞いのせいで夫を深く傷つけてしまったことがありました。「さすがにこんな自分勝手な女、愛想を尽かすよね」と夫から別れを告げられると決めつけていました。しかし夫からは予想外の言葉が返ってきました。

「俺はうさぎの綺麗なところとかかっこいいところとか、表面的な部分だけを見て好きだって言いたくないんだ。出来ればこれからもずっと一緒にいたいから、時間をかけてお互いのことをもっとよく知っていきたい」

自分の愚かさに呆れると同時に、わたしを丸ごと受け止めようとする夫の言葉に涙が出ました。その後、何ヶ月もかけて夫と色々なことを話し合いました。時には涙を流したり、また時には笑ったりしながら。

そんな日々を経て、「お互い傷つけ合ったりもしたけれど、前より仲が深まったよね」と話していました。そして夫が『Starting Over』を流してこう言ったのです。

「ここから、また2人でやっていこうね」

あの日旅立った夫は長い苦しみから解放されてやっと自由になり、今までとは違った形でわたしたちを守れるようになったのです。『Starting Over』が何度も出てくるようになったのは、きっと夫からのメッセージ。ジョンの歌声を聴きながら「そうだね。お別れじゃなくて門出ってことだよね」と1人で納得していました。夫はいつも側で見守っていてくれているのです。

今わたしが見ている景色

「40代で旦那さんが亡くなってしまうなんて不幸」「可哀想」と言う人も多いかもしれません。しかしわたしは不幸でもなければ可哀想でもありません。

確かに夫が亡くなって寂しいし悲しいです。そしてその悲しみはこれからも消えません。しかし悲しみを持っていたままでも、幸せになれます。
現に夫が亡くなったあの日から、抱えきれないくらいの愛情を多くの人たちからもらい、毎日幸せを感じることができているのです。

ジブリ映画の『千と千尋の神隠し』のテーマ曲『いつも何度でも』の中にこんな一節があります。

”こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される”

「おじいちゃんおばあちゃんになるまで、夫と一緒に生きる」という思い描いていた未来は砕かれてしまいました。しかし、今受け取っている幸せは、まさしく破片に映された景色です。

破片を集めて元の鏡に戻すことばかり考えていても、きっと夫は喜びませんし、幸せにはなれません。破片1つ1つの景色を楽しみ綺麗だと思い、そんな景色を見られる事をありがたいと感じ、感謝をすること。その心がきっと幸せを作る一歩になるはずですし、そう思える人間でありたいのです。

この素晴らしき世界

44歳の誕生日に、お義姉さんからLINEで心温まるメッセージが届きました。

「わたしはあの日から、うさぎちゃんを失いたくなくて必死だったよ。50日間、生きていてくれてありがとう。これからも一緒に年をとっていこうね」

それを読んで、「わたしが後を追うんじゃないかときっと心配だっただろうな……」としみじみと感じ、お義姉さんの気持ちが嬉しくて涙が出ました。

わたしの誕生日は夫と入籍した日でもあり、今年で結婚15周年でした。結婚式の時のBGMに夫が選んだのはジョン・レノンの『Grow Old With Me』、ルイ・アームストロングの『What a Wonderful World』でした。それぞれの曲の和訳を抜粋です。

”僕と一緒に 歳を重ねていこう
運命が何を定めようとも
最後まで乗り切ってみせよう
僕たちの愛は本物だからね”

”青い空が見える
白い雲も
輝かしい祝福の日
静寂に包まれた夜
そして一人こう思う
何て素晴らしい世界だろう”

結婚記念日にお義姉さんが送ってくれたメッセージに、夫からの想いも込められているように感じました。

わたしがいつかこの世から旅立った時、また夫に会えるのです。その日まで、一緒に年を重ねていける仲間が沢山います。そしてそんな人生を素晴らしいと感じながら歩み続ければ、夫の前で胸を張ることが出来ると信じています。

「うめうさぎ」の再開

誕生日に、以前から欲しかったダイヤのネックレスを購入しました。それは夫からわたしへのプレゼントであり、エールです。

「わたし1年間、頑張ったよね。あなたからの気持ちをちゃんと受け取ったからね。これからやりたいこと、どんどんやっていくよ」

ネックレスを付けた姿を鏡で見ながら心の中で呟きました。そして久しぶりにXの記事とイラストの投稿も再開です。

「うめうさぎさん、おかえりなさい」というフォロワーさんたちからのリプを見て、顔がほころび、涙ぐんでしまいました。そしてやる気が湧いてきたのです。

「よし!久しぶりにくだらないこと考えるぞ!うめうさぎ炸裂させる!」と。

失笑している夫の顔が頭に浮かびますが、それでいいのです。「うめうさぎ」はわたしのそんな部分を表現できる場なのですから。

最後に

夫へ
楽しくしてますか?
わたしも、息子たちも元気です。
あなたが小さい時から住んでいた家に引っ越して、義両親と仲良く暮らしています。あなたの妹夫婦や弟夫婦、わたしの兄夫婦達の家が近くなったから、皆でわたしと息子たちが寂しくならないように守ってくれて。だから、安心して。こんなに皆が大事にしてくれているのは、あなたのおかげだね。あなたと結婚できたわたしって、幸せ者だね。
これからも「うめうさぎ」を楽しむわたしを呆れながら見ていてね。
本当に、本当に、ありがとう。
またいつか会おうね。

ダイヤモンドの石言葉は「永遠の絆」

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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