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詩人てらきた

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定期的にポエマーになるてらきたの短い記事をまとめました。
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人の意図を汲めない。理解できない。通じ合わない。

人は他人を完全には理解できない。
他人に自我があるかなんて確認しようがない。CPUかもしれない。

人は自分の中にあるものでしか、物事を図ることができない。
だから自分にないものが突如として現れたとき、齟齬が起きてしまうのだ。

自分で物語をつくるとき。
悩む。

色々悩む。


なぜなら、なにをしてもいいからだ。
朝食にパンを食べている。次の瞬間に自宅が勢いよく回転し、その衝撃が地球の自転を逆転させ始め、やがてその影響から地球上人類に異能力が目覚めたって。いい。いいのだ。

だから困る。
悩む。

固定観念に縛られる。

縛られていることに気付くことはあんまりない。


苦手という意識だけが先行して、おいしいはずの食べ物も、その固定観念から中々はなれられない。

洗脳とかもたぶんそんな感じなのだろう。
ふとしたときに気付くのである。

「あれ? おれ煮卵食べれるな」

考えすぎて眠れなくなることがある。
楽しくなることもある。

想像とはなんだろうか。
なんだってそれに感情が動く。

想像とは、なんのために備わった機能なのだろうか。
余分な機能だと僕は思う。

ではなんのための機能か。

僕が思うに、人生を楽しむため。
娯楽なのだと想像する。

匂いの記憶。
すごい。

この場所で何をしたかは思い出せない。
でもこの場所の匂いは嗅いだことがあるっていうことありませんか?
匂いだけで懐かしさを感じるというのは、考えてみれば不思議な体験ですよね。

いつかのあのとき、自分はここでなにをしていたんだろうなぁ。

僕はスマホ依存症だと思う。

子供のころから、トイレのときも、食事のときも、なにか(漫画や映画を見る)を見ていないと時間が無駄に感じてしまう。

それは今でも変わらない。
だけど最近はスマホにとって変わる場合が多い。

気づけば、スマホがなかった頃はもう思い出せなくなっていた。

例えば、その人は満足してこの世を去ったとして。 それを悲しみ涙を流すのは自分の勝手なのではないのかと思う。 相手が満ちた気持ちなのに、こちらが悲しむのは向こうも不本意だろう。 寂しさは感じたとしても。 その人との別れに涙は必要なのか。 なんて考えることも、自分の勝手だけども。

ふと顔を上げて歩くと、なれた道でも「あれ?こんなだっけか」なんて思える。

見ている位置が違うだけでこうも見える景色が変わるんだなぁと感心する。
そういえば夜空なんて地元じゃちゃんと見たことないな、なんて。

なんて、思うけど、なにかにぶつかりそうで怖いから結局下を向きます。

最近はうなされて起きがち。

しかし自分は冷静で、起きる直前は夢と現実をどちらも認識している。
夢と現実。両方を事実として感じる謎の時間が存在するのだ。

うわぁ!焼かれる!
今日の夢しんどいな。
この2つが同時に存在する。
お前眠り浅いんか。そんな毎日。

さて今日も寝るのだ。

僕は歯医者がにがて。(キッズ)
昔から歯医者が嫌い。いや好きな子はいないか。

今から何がどう行われるかわからないのが怖い。
だから病院の採血では、注射器が刺さるところから血を抜くところまで見ている。じゃなきゃ怖い。

だけど歯医者は目を隠される。
なので今後も得意にはならない。

僕はハマるとずっと同じものを食べます。
どうにか毎日食べようとします。

しかしその代償か、飽きても結局またそれを選んでしまうように……。
これまで感じなかったことを感じて、これ(触感、味)のなにがおいしいんだって思うようになります。

でも数日でまた好きになるのです(中毒)

なにか面白いことをと考えるとなにも浮かばない。
そうじゃないときは浮かんできたりしやがる。畜生め、これだから脳ってやつは……。

仕方ないので、そんなときは気分が乗るまで、ぼーっとするしかないのです。
いつになったら気分が乗るのかな。ぼー。

たまに丸一日寝ることがある。
でもずっと寝ているわけではなくて、何度か起きる。

毎日のように夢を見るけど、そういうときも寝るたびに夢を見る。
そうすると段々、今が夢か現実かわからなくなってくる。
どれだけ時間が進んだかもわからない。

とにかく1つ言えることは「寝すぎた」。

紅ショウガが嫌いだった。 僕はずっと紅ショウガが嫌いでした。 関西人なのでたこ焼きを食べる機会が多かったのですが、紅ショウガてめぇ……と思って生きてきました。(逆恨み) 牛丼の紅ショウガなんて、まったくの無縁です。 でも今は紅ショウガなしじゃ生きていけません。助けてください。