「広告」とは実は富者から貧者への資産再分配の方法なので、それを排除したらどうなるか?

 noteの有料記事でお金儲け爆走中のイケダハヤトさんですが、こんなつぶやきをされてました。

せっかくこんな面白い時代に生きているのに、波に乗り遅れる人は、ほんともったいないですね。「広告に頼る必要なく、ウェブ上のテキストコンテンツで飯が食える」時代がやってきているのですよ。
 イケダハヤト (@IHayato) https://twitter.com/IHayato/status/694807179912548352

 他にもアップルがスマホの表示から広告を排除する動きを強めてますよね。

アップルiOSの広告ブロック機能、業界に緊張

 広告を毛嫌いする気持ちはわからなくはないです。ですが世の中から広告というものを排除したら、どうなってしまうでしょう?

 というのも、広告とは実は、富める者から貧しい者への資産再分配の機能の一翼を担う、重要な役割を持っているからです。

 たとえば民放を無料で見られるのは、スポンサーのCMがあるからですよね? だからこそ貧しい人でも、最低限のテレビを買い電気さえ確保すれば、ニュースをはじめとするいろんな番組を見ることが出来ます。そのCMに出てくる商品を買う余裕のある人がいて、その会社がCMを出すことで、商品を買うことの出来ない貧しい人でも、番組が見れるわけです。
 もしCMという制度がなければ、どうなるでしょう? 全ての放送局はほぼまちがいなく有料放送になります。テレビ・電気に加え、毎月の視聴料を支払わねばならなくなります。
 NHKの場合はというと、生活保護受給者などは、受信料の支払いを免除されます。ということは、彼がNHKを見る場合の受信料は、広く他の人が分担して支払ってるとも言えるわけです。

 他にも、スマホの無料アプリは大抵の場合、広告が付いてます。邪魔ですよね、あれ。
 これを消す機能がたいていのアプリでは「有料版」として提供されています。お金を払える人は払うことで利便性を獲得できるわけですが、払えない人は広告付きの無料版を使うわけです。
 でもこれ、実際はお金を払える人が全て広告カットの有料版を買ってるわけではありません。多くのそこそこお金を持ってる人は「払えるけどそこまででもない」から、広告を見るという選択肢を選ぶわけです。
 この「そこそこの人」=中間層の存在が、むちゃくちゃ大事。もしお金を持ってる人がすべて広告カットを選ぶようになったら、どうなってしまうでしょう?

 お金を払える人とは、イコール、商品購買力のある人です。広告とはそういう人に向けて打たれています。
 お金を払えない人とは、イコール、商品購買力のない人です。そういう人が広告を見ても、本当はあまり意味が無い。

 たとえば我が家には家を買う余裕も、車を買う余裕も、皆無です。そういう広告はなんの意味もない。それを見て欲しくなり頑張って稼ごうと思う人を増やす効果もあるでしょうけど、だいぶ先の話になります。
 つまり広告とは、あくまでも前者の、購買力のある人に見てもらうことが大前提なのです。その人達に見てもらえるからこそ企業も広告を打つ価値があるのであって、見てもらえないなら、意味がなくなる。その結果民放のような無料放送自体が消滅し、「おこぼれ」にあずかっていた貧しい人が、そこからはじき出されることになります。

 スマホのアプリも、広告が無ければどうなってしまうでしょう? 高額な有料版と、機能制限の無料版があれば、まだマシなほう。無料なのは一ヶ月だけで、あとは使えなくなるなんてことになるかもしれません。今もパソコンのソフトウェアでは、良くある話ですよね。

・なんでもかんでもお金で済ませ、快適さを第一にする富裕層
・お金はあるけど節約したいので、広告を見ることを選ぶ中間層
・お金がないので広告を見ても何も買えないけど、ありがたく無料で使わせてもらう貧困層

 広告が排除されることで中間層のライフスタイルは存続できなくなり、この三階層は、富裕層と貧困層に分断されることでしょう。

 今の世の中、あまりにも広告というものを敵視しすぎです。広告の恩恵をもっと評価すべきです。
 ツイッターの表示には広告が挟み込まれますが、あれが無くなったら、僕らはツイッターを無料で使うことはできなくなるでしょう。
 映画を見る際には冒頭に6分程度のCMがありますよね? あれを完全に無くすと、今は1800円の入場料が2300円ぐらいにはなるかもしれない。でも、それだけ払うことの出来る人も一緒にCMを見てくれるからこそ、他の人は1800円で見れています。
 youtubeで面白い動画を上げてくれているユーチューバーのみなさんは、冒頭のCMや画面下に出てくる広告で収益を上げている。僕らはそれを見ることで、彼らのコンテンツを無料で見ることができている。もしそれが無くて、無名の間は集客優先で無料公開だったけど、有名になって金を出してくれるファンが一定数できたら、あとはもうそういう人だけ相手にすればいいやとなったら?

 お金のある人が「広告料込み」の商品を買う。その広告でいろんなサービスが割引されたり無料になる。その恩恵は商品を買えない人でも受けることが出来る。それは、お金があるにも関わらず広告を見て、影響され、「広告料込み」の割高な商品を買ってくれる人のおかげです。

「広告に頼る必要が無い」というのは、クリエイターとしてもっともありがたく、望む状態なのでしょう。ですが(とくに貧しい)消費者は、クリエイターの創作物がお金を出せる人だけのものになり、排除される危険性が高くなるわけです。

 貧しい人であるほど、こうした広告やCMを敵視し、排除する動きには首をかしげてほしいなと思います。

【参考記事】

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