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ある程度真っ直ぐにはなります

幼い頃よく母に「こうじくな子」と言われていた
「こうじくな」は岡山弁で「頑固な、頭の固い」というような意味だ

幼い頃の私はこうじくで相当ねじ曲がっていた

✳✳✳

私の通っていた幼稚園には「竹の子体操」というものがあった
毎日ではないが冬場に全園児でそれをやるのだ
皆喜々としてやっていたが、私はこの「竹の子体操」が心底嫌だった
当時の気持ちを今大人の自分が言葉にするなら

なんであんな恥ずかしいことを人前でせなあかんねん

こんな感じだ

以前タモリが「幼稚園のお遊戯が嫌だった」というようなことを言っていて、もしかしたら当時私と同じように思っていた子もいたのかもしれないなと思う

幼児でも自我はしっかりとある

「こうじく」は小学校卒業までかなりキツめにあった

クラスの男の子がギャグだったり巫山戯たりして周りがドッと湧いている時も冷ややかに見ていた
当時の気持ちを今大人の自分が言葉にするなら

ようあんな恥ずかしいことを人前で出来るな

こんな感じだ

自分では普通の顔のつもりだったが
「うわ、こわ!ヤーさんの目付き」と言われ
ヤーさんの目付きが渾名っぽくなっていたくらいだ
女の子がヤーさんの目付きなどと言われたら泣いてもいいくらいだが、そこもまた「こうじく」で人前で涙を見せるなんて言語道断だと思っていた

ねじくれエピソードには事欠かない

友だちが遊びの誘いで家まで来てくれても
「今この本(或いはマンガ)読んでるから行かない」と平気で言っていた
母に激怒され、無理に行かされたこともしばしば
行ったら行ったで楽しんでいたのに
スッと行きなさいよと今なら思う

夏休みも毎年一悶着だった
お盆には母の実家に里帰りするのが恒例で
兄弟は大喜びなのだが、私はいつも行きたくなかった

自分の気に入ったものや見たいテレビ、そういうものから離れたくない
子どもらしいといえばそうかもしれない

何だかんだで結局行くことにはなるのだが、行ったら行ったでまたややこしい
いくつか年上の従兄弟のお兄ちゃんがいて、
「川遊びに行こう」と言う
兄弟は大喜びだが私は行かない

望みもしない所へ連れてこられて私は気分が良くないんですよ、という態度だったかと思う

皆が居ない間、何をしていたかといえば
庭の蟻地獄の穴に蟻を落として眺めたり、縁側の藤の寝椅子でボンヤリしたり
今思えば一体どうなっていたのだろうかと心配になるくらいだ

母は、研究者なんかになるんじゃなかろうかと少し期待したらしいが至って普通の人になり、安堵もし少しガッカリもしたと言っていた

ネジ曲がった子でもある程度真っ直ぐにはなるものだ

お読みいただきありがとうございます
ではまた〜





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