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20代のときより調子がいい

最近、とみに感じること。
それは20代の時より断然調子がいいのではないか、ということ。

そりゃあ、もちろん20代のときのほうが元気だし、今みたいな不調を感じる回数やできないと思うことも少なかったと思う。今よりなんでもできた、しかし、何でもできるようでいて、できなかったのが私の20代だった。

やれるだけのメンタルを持ち合わせていなかったのが私の20代。それが今では、なんかやれる気がする、という感じだ。

そして、なぜか、今の方がよく食べる。
食べないときは食べないから、どちらかというとやせ型なのだが、ここ数年でラーメンが好きになってしまった。これは20代のときにはなかった。
メンタル的な面も確かにある。今の方が気張らずにラーメン屋に一人で行ける。でも、もちろんそれだけじゃない。
ラーメン屋さんに一人で行くのが恥ずかしがろうがなかろうが、ガッツリちゃんとうまいのである。

この感覚、20代にあっただろうか。19歳のころがたぶん、代謝はいちばんよくて、カツ丼が好きだったのは覚えている。学食で毎日250円のミニソースカツ丼を食べていた。ただ、それはミニサイズである。20代のころは間食も多くて、一食をガッツリ食べるというよりかはお菓子をよく食べて、まぁまぁ外食もして、という感じだったろうか。

ただ、なんだろう。よく食べるとか量が増えた、というよりは、身体の状態をちゃんと把握できている、という感じなのだ。だから、食べたいときにガッツリ食べることもできるし、食べないときは食べないこともちゃんとできるようになった。

身体と心のコントロールができるようになってきていて、体力はもちろん落ちているにしても、何かやりたいことをやるうえで問題ないのだ。
そして、不調との向き合い方がよくなったと思う。

春。だるいとき、草の上でひたすら寝っ転がっていた。

20代のときよりも、もちろん10代よりも身体の不調を感じる回数はたぶん多い。ままならないことはきっと増えている。なのに、調子がいいと感じるのだ。

それはなんだろう。不調もギフトとして受け取るようになっているからだろうか。不調だって、調子がいい。不調も調子よく受け取る私、受け取れている私になっている。
めちゃめちゃ仕事をもらってウハウハだってなって、いきなり入院ってなっても、そりゃ周りに迷惑かけたり、いろんな不安が襲ってきても、それもすべてギフトとして受け止めていけるような、そんな気さえしている。

たとえ、家から出られなくなったとしても、収入が今よりずっと少なくなったとしても(あまり起きてほしくないが)それらもすべて受け取って、糧にしていこうという気持ちが今はしっかりあるのだ。
すべての時間が大事。すべての出来事が大事。すべての感情が大事。ポジティブにとらえていくことも、不安に感じることも、緊張も、わくわくすることも、すべてが大事だなと思う。

今あるすべてのものやこと、見えないことに対しても感謝できる心構えが今の私にはきっとある。

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