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「あれから(絶望少女達2020)」へ感謝を込めて

曲を聴きながら動機が激しくなる経験を久しぶりにしたかもしれない。
ついに発売された「愛がゆえゆえ/あれから(絶望少女達2020)」。
発表の際、私はこのようなnoteを書いた。

私はこの曲を聴くのが怖くてたまらないと書いた。楽曲を再生するのにここまで勇気を必要としたのは久しぶりだ。
申し訳ないが「愛がゆえゆえ」の感想はここでは書かない。もしこちらの楽曲の感想を観に来た人たちがいたらブラウザバックしてほしい。

親戚の子供スマホで 昔のアニメを観ていた
そうかあれから時は経つ 俺は大人になれたのか?

1番、ぶつけてきたのは「深夜俺はテレビを観ていた」あのころの俺。歌の中であのころの俺はおじさんとなっていた。あれから俺は成長したのか?と問いかける歌詞。
これは私だ。私のことだ。あれから、それはあのころさよなら絶望先生を観ていた我々への歌だった。

親戚のおじさんが来て 一緒にアニソン歌った
人として軸がブレているって歌で
一緒にブレブレ踊った。
でもこれって昔のことよね?
今はちゃんとしてるんでしょ?
ちゃんとブレなくなったんでしょ?
どして?何で黙んの

…………。

耳にタコが出来るほど聞いた大槻ケンヂと絶望少女達の歌声。あのころとなんら変わりない。
だからこそあのころと変わりなく斬りつけてくるその切れ味に私には大ダメージを負った。

絶望した日々があったからこそ
今思うよ

だがこの歌はあの日々を否定もしなければ嘲笑いもしなかった。
深夜テレビを見ていた俺にも、そんなアニメを観ていた私にも
いろいろあったよな。と。

絶望に落ちたことあったからこそ 今分かるよ
諦めたなんてことではないのさ
時が過ぎて 分かりあう ああ
あいつらも同じって

2番では
変わったあなたを誰に見せたい?あからさまに見くびったやつ
あいつらにだ!と叫んだあの日があって
そのあいつらもきっと同じだったのだと叫ぶ。
絶望先生の初期の話に雪どけという回があったが、和解というよりは、理解。約10年という時間が過ぎたからこそ重く、重く突き刺さった。

人として軸がぶれている→空想ルンバ→林檎もぎれビーム!と3つのOPだけでなく「さよなら!絶望先生」、「メビウス荒野~絶望伝説エピソード1」まで含めそれこそメビウスの輪のようにつながっていた楽曲群と私の時間と共に積み上げられた「あれから」が一つのエピローグを迎えたような、そんな気がした。

あれからよりこれから

この絶望の夜は明けるのだろうか?と悩み続けたあれから10年以上、歴代のOPのフレーズをそこかしこに散りばめつつ、かつて投げかけられた疑問にこの曲は一つの解答をそっと置いて行ってくれた。

生きてれば Good job

こんなファンの心理を小突きながらも優しい言葉で包み込む、大槻ケンヂさんよ、これはお仕事でやってるだけなんですか。
そんなことはないですよね、きっと。


成長したのか?と問われればそんな気はあまりしないし
今でもちゃんとしてるというわけでもないが
あの日がこれからのことを支えてくれるような、そんな気がした。
あのころの自分は捻くれていたから「10年後こんなCDが出るんだぜ。」と言ったとして、きっと「は?丸くなってんじゃねぇよ。」と答えるだろうが。

ありがとう。かつて深夜テレビを見ていた少年より


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