ジオウと、平成仮面ライダーへ

2019年8月25日

平成仮面ライダー20作目である仮面ライダージオウが最終回を迎え、平成仮面ライダーは終わりを迎えた。終わってしまった。小学生の頃から付き合い続けていたコンテンツが終わってしまった。ジオウのVシネがあるだろうとかゼロワンがあるとかそういう話じゃない。気持ちの問題だ。
書きたいことはいくらでもある。でもまとまる気がしない。しかし書いておかないのも違うのではないか?20年共に過ごしてきた人間として、オタクとして何か形として残しておきたいじゃないか。

平成が終わるということが発表された時真っ先に思ったのが「平成ライダーどうすんの?」ということなのだからオタクはどうしようもない。元号は別に仮面ライダーの為にあるわけではない。4月1日に菅官房長官が「令和」の文字を掲げた時「次は令和ライダーか…」「次はライドレイワイバーですか?」なんて言われたのももう懐かしい。

仮面ライダージオウ

20作品目であり最後の平成ライダー、仮面ライダージオウが発表され、自分含め視聴者は否応なく「平成ライダーの終わり」と向き合わざるを得なくなった。数々の客演するレジェンドたち、当時を思い出させる演出。この1年間は楽しかった。平成ライダーの終わりは寂しいのだが、次は誰が客演するのか、次に待ち受けるレジェンドは?と毎週予告出てくるレジェンドたちの姿を待つのが楽しみだった。もちろん「うーん」って思う全く展開が全くないわけではない。でも、確かにこの1年間のワクワクは異常だった。これまでのシリーズでも来週の話が楽しみだと感じたことは多々あったが、ジオウのワクワクは違った。おそらくあの小学生時代眠い目をこすりながら早起きしてクウガ、アギト、龍騎、555、ブレイドを楽しみにしてたあの気持ちだ。

そして「平成ジェネレーションズforever」と「Over quartzer」という二つの映画。単なるジオウの劇場版としてではなく、平成ライダーと共に生き、平成を共に生きた視聴者への贈り物だと思う。平成ライダーなどは作り物、虚構の存在でしかないというスーパータイムジャッカーに対し、「たとえ作り物でも覚えてる限りライダーは存在する」と平成ライダーとともに生きてきた自分を肯定し、「お前たちの平成って醜くないか?」とあまりにもパワーに満ちたセリフを言ってのけるクォーツァーへ「たとえ凸凹でも瞬間瞬間を必死に生きてきたのが平成ライダーなのだから醜いとか言うな!」と平成ライダーそのものを肯定した。なんてめちゃくちゃだろう。でもそんなところどうしようもなく好きだ。ただOver quartzerはそのあまりの絵面の強さゆえに劇場を出ながら「俺は何を見せられてるんだ??」となってしまったのもまた事実なんだけど。

平成ライダー

平成ライダーが終わり、ようやく自分の中の「平成」も終わりを迎えた気がする。いや何言ってんの?と思う人もいるかもしれない。しかし分かって欲しい。2000年1月30日から18年以上生きてきたコンテンツが2019年8月25日に平成の終わりを見届けてくれと言っているのだ。そうだと言わざるを得ないじゃないか(?)

ただのファンが区別するために便宜上用いていたに過ぎない名称を「平成ライダー?10年早えよ!」と公式が使い始め、時には昭和対平成をもって大胆不敵にも対立させ、時には「平成ジェネレーションズ」と呼び始め、最終作ではついに「ヘイ!セイ!」と音声を鳴らす玩具を売り始めた。ここまで元号に蔦のようにように絡みついたコンテンツを自分は他に知らない。

平成ライダーというここまで息の長いコンテンツと共に時代を歩めたということに感謝したい。きっと令和生まれのちびっこもいつか同じような気持ちになるのかもしれない。

さようなら、ありがとう平成ライダー。そしてよろしく、ゼロワン。


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