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言霊ってあると思う〜Ado 全国ツアー『マーズ』に行ってきた

Adoについては今更説明不要だと思うが、彼女のライブツアー「マーズ」の武道館公演に参加してきた。

私は社会現象を起こした「うっせぇわ」はさして興味を惹かれなかったのだが、ある時に彼女の1stアルバム「狂言」を聴いてから「すげぇ……」と思うようになった。「夜のピエロ」が好きです

そして2022年に『ONE PIECE film RED』の公開がウタとして歌う彼女の数々の歌を聴いているうちにライブ行ってみたいと思っていたところ、色々ご縁がありライブに行くこととなった

会場で展示されていたこれまでのライブの衣装

顔出してない人がどうやってライブするのか?そもそも出でくるの?と思う人もいるだろうがこちらの動画を見て欲しい

ライブ中、会場は真っ暗でバックスクリーンではリリックビデオのような映像が流れており、ライトやレーザーなどは大量にあるものの、逆光により彼女のシルエットのみが分かるようなカタチになっている。

今回のツアーではライブ中はAdoはステージ上の檻のような箱に入っている。水飲みタイム?や小休止のようなタイミングでは箱が青色の光のベールに包まれ、中が見えないように秘匿されてしまう。
Adoはシルエットで見る限り、ポニーテールのような髪型をしていた。
腰布(マント?)が反射するような素材になっているのか曲によっては踊るのでマントが虹色に光り、蝶が舞うようだった。

ライブの感想だが、歌の怪物がいると思った。

ご存知の通り、Ado自身は作詞作曲はせず、人から提供の楽曲を歌うというスタイル。「大人への反抗的なうっせぇわも『大人から与えられた言葉を歌わせられてる』ということに気づいたらAdoが可愛く見えてきた」という意見も聞いたことがある

だが、本当に歌わされているのならば、これほどの社会現象が生み出されるだろうか?実際にライブに参加して彼女の歌を聴いてそのビリビリとしたものを受けたとき、絶句した

喉からCD音源という言葉があるが、それすら生優しい。魂の叫びのようなものを受けたのである。2曲目に『私は最強』を聴いた時の衝撃よ。
1曲ごとにヤバいかすげえかとんでもないしか言えないボキャブラリーの貧弱な人間になり、プリキュアのようなペンライトを振っていた

がなり立てるような歌い方はCD音源以上の迫力を持って迫ってきたし、バラード曲は力強くも危うさを内包して心の隙間にするりと入っていった。

覇王色の覇気ってこういうものか、と感じた。

セットリストの一部の中にはカバー曲が含まれていたのだが、原曲を知っている曲も知らない曲も「完全に自分のものにしている…!」という感想を
受けた。特にTk form 凛として時雨のunravelなどは原曲が相当癖が強い筈なのに…。

『阿修羅ちゃん』
サビではバックスリーンに阿修羅像が登場し、Adoの中から飛び出すオーラのようになっていた。阿修羅の神道!?

『アタシは問題作』
正直配信された曲を聴いても「うーん…?」という感じだったがライブ映えが最もする楽曲だった
最初のしゃべるような「ちょ 待ってよ なんで?」という歌いだしは本当に困惑しているような感じであった。え?本当にミス?と一瞬錯覚してしまような。
SNSなどにみられる本人の謙虚すぎる人格に最もフィーチャーされているような楽曲だと思うのだが、サビの「アタシは問題作?アタシは問題作?」と客に歌わせるトリッキーさよ。
観た人にしか伝わらないと思うけど、キテレツ大百科のアレ意識してるよな…?


『Tot musica』~『うっせぇわ』
絶叫のようなシャウト。悲鳴と紙一重のこれを不快にさせず聴き惚れさすのは持って生まれた才能というほかないのだが、同じようなシャウトではなく使い分けができるのが怪物だと思った。
正直ここ2~3年で嫌でも聞かされており、食傷気味になっていた「うっせぇわ」もいざ披露されるとやっぱこれだねという気持ちになった

ラスト2曲ではステージが浮上し檻の上に立ち披露された
B’zとのコラボの新曲「DIGNITY」と「いばら」を聴き、Adoという沈んでいた船、もしくはバラのツタにとらえられていた彼女が解放されたような気持になった。

MC

彼女のMC……。いや喋りのトーンは知ってたけど、トーンが低いのにたどたどしくなく、スッ、スッ言葉を紡ぐのでと淀んでいるのにきちんと流れているような感じだった。
前半(ツアーの由来)、終盤(ツアーなので地方トーク)、アンコール(これからの決意)の3回のMCだったが
地方トーク(東京なので夏らしいこと)でツアーで夏らしいこと何もできてない!みんな海とか花火とか行ったんか!とキレ散らかすのはライブ中のギャップが凄まじくとんでもない交互浴させられている気分だった

だが、彼女のMCにはいたく感動させられたのである。うろ覚えだが、このような内容だった。

『今回のツアーの名前のマーズ=火星は人類にとって可能性の星。以前よりさいたまスーパーアリーナでライブをするということを目標としてきた私にとって、2022年のカムパネムラにて目標を叶えたことは夢のような時間であった一方で、そのあと何か失ってしまったような気持ちになってしまった』

という恋に恋する、とは違うが夢に向かって努力していた人が夢をかなえた時自分を突き動かしていたものがなくなってしまった時どうなるのか、という人並みの不安を吐露していた。

『ですが、蜃気楼(前回のツアー)をして何も失ったわけじゃない。私がAdoとして立ち続ければ、何も失ったりしたのではないんだ。と気づきました。蜃気楼の先の私のマーズ、を見ていただきたい』

アンコールでは檻から出てきてライブを行っており、ステージを右へ左へと動きながら歌っていた。最後のMCで彼女はまた一つの夢を提示した。

「マーズでは私の覚悟という意味も込めました。(中略)私Adoは本気で世界を狙いにいこうと思う。具体的に3つの目標を掲げました。
1つ目は、グラミー賞を取ること
2つ目は、コーチェラ(世界最大規模の音楽フェス)への出場
3つ目は、日本のアーティストが誰も成し遂げてないようなツアーを行うこと」

という宣言の後にアンコールのラストに歌われる『新時代』。アニメでもそうそう見たことないよこんな熱いの……。

あまりにも感銘を受けたので彼女のファンクラブであるドキドキ秘密基地へ入会してしまった。

歌い手Ado

と約2時間、ノンストップで駆け抜けたライブだがあまりにも濃く1曲1曲が半ば永遠のように感じた。そのように凄いライブだったが、今回のライブを見てこのようなことを思った

Adoは自分の事を歌い手
という。世間的には、歌い手という存在がそれなりにメジャーになったとはいえ、どうしても歌い手=アマチュア、といったイメージはあると思われる。
実際ニコニコ動画やYou tubeには過去から現在、有名無名を問わず『歌ってみた』動画が溢れている。それはこれからも変わらないだろう。

だが彼女、Adoという存在は正しく"歌い手"なのだと思った。
言霊(コトダマ)という言葉がある。言葉に内在する霊力のことである。
色んな作詞家、作曲家によって生み出された楽曲をAdoというヨリシロ(神霊が取り憑く物)を通して言霊をぶつけられているのではないか。
それはクセのある声でありながら様々な楽曲に対して色んな歌い分けが出来ているのもあるが、それはきっと、リアルに存在しているが顔出しをせず、バーチャルとリアルの境界に存在する"Ado"だからできる行為で、言葉に内在する魂を浴びせられたような気分だった。

そんな表現ができる彼女が世界を狙いに行くという。私もその姿を見てみたい、と思ったのである

後日談:だが彼女は武道館のライブ数日後の初音ミクのライブに客として行ったらしい。体力無限の人か???

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