『うまやの宿』を叶えたい理由。私を救ったその場所は、きっとまた誰かを救うから
はじめまして。
私の夢は、馬と暮らす小さな宿を開くことです。
名前は仮ですが『うまやの宿』と言います。馬をのんびり眺めたり、いつでも触れ合って過ごせる宿です。
一生かけてダメなら、来世でまた頑張ります、というくらい。
私がなぜ「馬と暮らす宿をやりたい」なんて思うようになったのか、宿を通して何がしたいのかこの場をお借りして綴らせてもらいたいと思います。
馬と暮らす宿をやりたい。それまでの道のり
うまやの宿をやりたい理由には、まずもちろん、「馬がいる宿って素敵だな」ということ。
私は回り道な人生を歩んできてしまったのですが、その道のりがあったからこそ、うまやの宿へ想いが確かなものになったのだと思っています。
うまやの宿をやることが、恩返しになれたなら。
うまやの宿をやることで、誰かの役に立てたなら。
胸を張れる過去ではないですが、そんな風に思うようになった話を綴らせてください。
馬に憧れた幼少時代
実は私が小さいころ、身近に馬はいない環境だったのになぜか馬が好きで、馬の絵ばかり描いたり、時代劇に馬が出てくるとテレビに飛びついたりしているような子供でした。
歳を重ねても馬への想いは変わりませんでしたが、具体的に自分の将来と馬を重ねる道がわからず、進学の十字路に差し掛かるたびに、いわゆる『エスカレーター』に飛び乗りました。
“上へ”進めば進むほど、どうしたらいいか分からないことばかり。
そして、いつのまにか自分の「やりたい」を言えなくなっていました。
「馬と暮らしてみたい」
望むとつらくて苦しいから、無意識にフタをしてしまったんだと思います。
なんにも無くなったそこに見つけたもの
エスカレーターの果てに大都会の大きな企業に就職しましたが、私には速すぎる世界のスピードや難易度の高い人間関係に、必死で背伸びを続ける毎日でした。
不規則な生活に適応することもできず、そのうち心身に限界が。
職場を離れてからは、それまで関わった全ての人への申し訳なさや絶望感ばかりが膨らみ、生きている価値など無いとさえ思えました。
そんな中、友人から刺激を受け『人生の断捨離』をやることに。
とりあえず実家の押し入れにあった子供の頃からの大切なものBOXを開けてみると、出てきた写真や手紙、賞状やメダルetc…。
「こんなのとっておいたんだ…」と恥ずかしくなり、次に、「頑張らなくちゃ」と必死になっていた幼い自分が
どれだけ他人の評価でしか自分を認められなかったかとか、どれだけ自己肯定感が低かったかに気づきました。
目を背けたい今まで全部の自分と、優しい気持ちで向き合ってみる。
無意識に縛られていた価値観も捨ててみる。
捨てて捨てて…。
「自分にはなんにもないな。」
まっすぐに、受け入れていました。
でも、それでもたった1つだけ、捨てたくないものを見つけました。
それは、『馬』への想いでした。
いつのまにか封印してしまった、
大事にしなくちゃいけなかったはずの気持ち。
【どうせ死ぬなら、馬と暮らしたい】
馬の触り方も分からなかった。
けれど、やっと、顔を上げられたのです。
馬の師匠との出会い
そんなとき、人生ではじめての馬の師匠との出会いが重なります。
師匠は、子供のころ牧童として馬に乗って牛を追い、『馬と働き、共に暮らす』世界を生きてきた人。
師匠は、馬をはじめいろんなことのやり方に関して「テキトーに」という言葉をよく使いましたが、それはイコール「雑」ということではなくて、合理的で無駄がなく、長年の経験からの勘やセンスがチラ見えする、なんともかっこいいものでした。
初めて馬に乗せてもらったとき、私は超初心者なのにいきなり自分で手綱を持ち、山の中へ。
乗馬に関しては師匠のスタイルは「乗れていればOK」で、敷居がものすごく低く、それにも驚きました。作法とか技術とかそういうのが重要じゃない世界があるんだ。
また、感銘を受けたのは、どんな馬にも居場所があったこと。
馬は、厳しい言い方をすれば経済動物であり、お金を稼げない馬は生かしてもらえないのも、現実に多々あると思います。
“価値がない馬”は、淘汰される。…そういうイメージがありましたが、師匠はどんな馬も生かすのです。
それは"価値がない馬“を、(特に金銭的に)価値がある馬に生まれ変わらせるようなやり方でした。
師匠は馬を半年くらい自由に放牧させておいたりもしました(「遊ばせておく」とも表現)。すると、体がボロボロだった馬も、別の馬かと思うくらいツヤツヤになっているのには感銘を受けました。
心も体も健康になって、適材適所の役割を新しく見出されてゆく馬たち。
自分に価値を見出せなくなっていた私は、そんな『生まれ変わる』馬たちの姿に励まされました。
馬からのギフト
私は、もうすでに失うものは無いのだから、と、思い切って馬の方に舵を切ることを選びました。
酪農の仕事をしつつ、その合間に師匠のところで馬に乗るという生活を送りました。
『馬は鏡』と表現されるように、馬に関わり、馬に乗ると、自分の足りないところや恥ずかしいところに向き合わなければならなくなりますね。
心からの体当たり。試行錯誤の日々でした。
その中で、生きづらさの原因も次々に明らかに。
どうやったらもう少し上手に生きられるようになるのか。
みんなが目指す『光』とは。
自分の『心地よさ』とは何なのか。
馬とたくさん関わった2年半。
馬がくれた、癒しと、【自分と向き合う時間】は、かけがえのないものでした。
馬は、人を癒す。
馬のいる美しい景色は、人を勇気づける。
乗馬をはじめ、馬と関わることは、その人の人生を変えてしまうかもしれない。
…自分が体験してみて、救われてみて知った、馬の魅力。
もし過去の私と同じように、生きることに疲れ苦しんでいる人がいたら、馬と過ごしてみてほしいという想いが膨らみました。
そのためには、馬とたくさんの時間を過ごせる方がいい。
それならば、宿があればたっぷりとその人のペースで、リラックスして馬と過ごしてもらえるのではないだろうか…。
(もちろん、馬との暮らし自体が最高!)
そんな風な想いが集まって、馬と暮らす宿をやりたいという夢が、とても自然な形で誕生しました。
うまやの宿とは
うまやの宿は、今はまだ架空の宿です。馬がつくる草原や森の風景の中に、穏やかに佇んでいます。
●貸切の小さな宿
馬が放牧されている場所に小さな部屋があるだけの、誰もいない、あるいは人間がとても少ないプライベートな空間です。
周りの目を気にする必要がないので、のんびり馬を眺めたり、地面に寝っ転がったり、ただぼ〜っと息を吸ったり…。心のままに過ごせます。
●牧場をレンタル
貸切にすることで提供できることのもう一つは『独り占め』感だと思っています。牧場を丸ごとレンタルするかのような、プライベートビーチならぬプライベート牧場として、好きなタイミングで馬と触れ合っていただけます。
「たった1日でもいい。自分の馬と暮らしてみたい。」その想いをささやかでも叶えられたらと思います。
●B&Bスタイル
宿泊はB &B(Bed &Breakfast/宿泊と朝食)方式を考えています。そこに馬サービスも加わって、いわばBBHL・・・Bed & Breakfast for Horse Lovers・・・でもあります。(ゲストハウスと呼ばないのは、日本ではゲストハウスだと「人との交流を楽しむ宿」というニュアンスが出てきてしまうなぁと思ったりするからです。)
朝食はかんたんなものですがセルフなので、好きな時間に好きなものを召し上がっていただけます。
学生のときのアラスカ旅行で初めてB&Bに泊まり、その『暮らしている感』の喜びが忘れられません。
こだわりたいこと
◾️心にもバリアフリーに
【どんな人でも】泊まってもらえる宿にしたい。そのためにはどうしたら良いだろうか?考えています。
大切にしたいのが心の面です。たとえば、コミュニケーション(特に対面での会話)が、行動のハードルになってしまうときが私にはあります。
なので、非対面チェックイン・アウトを選択できるようにしたり、希望のコミュニケーションの量を事前に伺って、できるだけそれに合わせられたらと思っています。
もう一つは、時間の制限です。予約も『変更』は無料に。
直前で心身の調子を崩したり、トラブルが起きても大丈夫。「行けたら行く」。そのくらい気軽な存在でいたいです。
また、子育てを経験して、子供連れの宿泊はなにかとハードルが多いと感じています。子供と一緒でも気兼ねなく来ていただけるよう、たとえば寝具はベッドではなく布団タイプにする等、小さな工夫をしていきたいです。
◾️自然に還る時間を
これはちょっと私個人の好みが強いかもしれませんが、【自然に還る】的な時間って気持ちいいですよね。
馬と遊ぶ。薪ストーブ。馬糞を活用した無農薬の野菜。少し現代の“便利さ”から離れると、「ちょっと不便って、豊かだなぁ。気持ちいいなぁ」なんて感じてもらえるかもしれません。
◾️ゆるく参加型の宿
さらには、バリアフリーどころか、お客様に宿づくりのメンバーになっていただきます。と言っても何も特別なことをしてもらうのではなく、たとえば馬と触れ合ってもらうことは『人に慣れたおとなしい馬』を育てることにつながります。
馬が草原をつくり森を育て、そこに生まれた宿ですから、泊まっていただくこと自体が美しい景観の保全に協力していただくことに他なりません。
そんな風に、うまやの宿の循環を一緒に回してもらうのはどうでしょうか。
そして、その風を宿の外の世界にも広げていってもらえたら…。うまやの宿が、お客様が世界のどんな場所にいても、その心の片隅に、そっとドアをつくれる存在になれたらいいな、と思っています。
候補地は北海道十勝
私は北海道が好きです。いつから憧れていたのか分からないのですが、ずっと飽きずに好きでいます。
緑が眩しい6月も、パリっとした空気が気持ちいい冬も、どの季節も好きです。
加えて、北海道の人たちが自分のwantに正直な感じとか、合理的で「お互いさま」の文化(win-winの関係歓迎)、道民が北海道LOVEな雰囲気も、いいですね。
もちろん、北海道の涼しい気候は馬にも良いと思いますし、馬が多く飼育されているので飼料等の調達・装蹄師や獣医師へのアクセス等も充実。そういった地域に牧場を構えるメリットは大きいと思っています。
ドサンコ(北海道和種馬)の存在も、価値を感じます。
北海道の森で一年中生きていける能力や身体、人が扱いやすいサイズ感と揺れの小さい走り方、そしてモコモコの冬毛!…などなどを持ったドサンコたち。
うまやの宿で一緒に森づくりをしてみたいです。
特に現在住んでいる十勝でいうと、帯広や空港から1時間もあればだいたいどこへでもアクセスしやすいこと、スポーツや競争とは違う馬文化(馬と働く、馬耕など牽引の文化)が現代にも日常的にあることなどに魅力を感じています。美味しいものもたくさんありますしね。
こういった理由で、うまやの宿の第一候補は北海道十勝を考えています。
(でも、絶対に北海道!というわけではなく、まだ知らないだけで、もしかしてこれから魅力的な土地との出会いがあるかもしれない、とも思っています。)
私を動かしているもの
さいごに、
うまやの宿は『自分を見つめ直す場所』かもしれません。
違う言い方をすれば、『捨てる』場所。
日々の疲れを落としていってもらうのはもちろん、
馬に関わることで、人によっては過去の自分とか、生きづらさの原因の「こだわり」とかを脱ぎ捨ててもらう。
ポジティブな意味で、自分のお葬式をしてもらうというか…。
捨てる、というのは【選ぶ】こと。
うまやの宿には、迷惑とか恥ずかしさとか気にする人は誰もいないですから(そもそも無人状態ですし)、
「少し、いつもと違うことしてみようかな」
「やってみたかったこと、やってみようかな」
なんていう気持ちが生まれ、心身が柔らかくなってもらえたら…。
馬たちもきっと、訪れた人を導き、お手伝いをしてくれるはず。
お客様がうまやの宿に来てくれたときよりも、帰りの方が身軽になってくださったら嬉しいですね。
そして私には、忘れたくない、伝えたいことがあります。
それは、
【存在するだけで、愛されていい】
ということ。
馬たちや、私をあたたかくしてくれた人たちに教わったこと。
『居るだけ』でも生きていていいんだ、ということを知って、どんな人も自分を大切にできるようになって欲しい。
また私はこれまでたくさんつまづいてきましたが、どうしようもなくて、苦しくて、もう降参になった後やっぱり辿り着くのは、
「まわりの優しさのおかげで私は生きている」
ということでした。
私も、優しさを誰かに贈れるようになりたいです。
昔から、誰かの役に立てて、喜んでもらえることがとても嬉しいです。
直接でなかったとしても、うまやの宿を通して誰かの役に立てるのなら、その人の何かお手伝いができるのなら、私にとってこの上ない喜びです。
(…そしてこっそりと、過去の自分を救っています。)
実現のために挑戦したいこと
今日までに、十勝の馬イベントを回ったり、素敵だなと感じた『馬と暮らしている人』を訪ねたり。スモールステップかもしれませんが、過去のビビリな私から見たら大きな一歩を重ねてきたように思います。
目の前に馬がいたらいつでも扱える体になれるように(⁉︎)農業バイトに挑戦してみました。筋肉がつくと日々が充実し、自信も付くことを実感。筋肉は素晴らしいですね。
2024年は、これまで本や恩師から学んだことを、本物の馬に実践してみたいです。また、馬を通じて出会った方達の話も聞いて、世界を広げられたら良いなと思っています。
家族とのリフレッシュも兼ねて、宿の候補地探しドライブにも行きたいですね。
***
それでは、最後までお読みくださりありがとうございました。
あなたと、いつか、うまやの宿で出会えるのを楽しみにしています!
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