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ジョッキー45º情報刊(29号)

皆さん、馬券の方はいかがでしょうか?
先週末は久しぶりにプラス収支となったウマママンです!

いやー。やりましたよ。ついに取れました!
3連単!しかもゲキ絞りの300円❗❗🔥

日曜日の中山5Rでめちゃくちゃ調教が抜群だったウマママンの1番人気、内田博幸騎手。

「これ、調教ヤバイ上に内田博幸は…」

そう思って、内田博幸騎手を1着。
2着には少し人気して調教は良さげだった横山武史騎手に固定。
3着には、調教良さそうな大野拓弥騎手・三浦皇成騎手・丸山元気騎手を選んだら
見事にハマり、人生初の3連単を取りました!👏🎊👏

そして、この流れを生み出したのは
紛れもなく、ウマママンの師匠。

ヤスアジTVと皆さんのおかげ。

ヤスアジの「皆さん」というのは、チャンネルのヤスさん・アジさん以外にも視聴者さんで、ヤマメのワイド決めたり、20万の3連複取ったりWIN5をバカバカ当ててたりして皆で好循環を決めているので
競馬始めようとしている方や、ちょっと落ち込んでる方は、1度ヤスアジの空気に触れてみませんか?
土曜日の22:00におまちしております。

という事で今回のラインナップはこちら!

●弥生賞ディープインパクト記念
●名馬のストーリー
「100%で走らなかったG1馬」
●スポットライト・ジョッキー
(酒井学騎手)

今回は重賞で唯一の日曜日
G2 弥生賞ディープインパクト記念を傾向からチェック!
もう一つは、名馬のストーリー
今回は国内G1は未勝利で、勝ったレースは海外G1。
100%の力で走れば最強と言われたあの「名馬」です。

●弥生賞ディープインパクト記念

クラシック路線に向けて、各馬・陣営が本格的に始動。
そして、クラシック一冠目となる皐月賞に向けての試金石となる大事な1戦に今回は着目し、攻略して馬券とWIN5を取りましょう!!

🔵傾向🔵

まずは弥生賞ディープインパクト記念の傾向から紐解きます。
ポイントは3つで

①前走がオープンクラス
②通算勝利数
③初勝利と人気

まず最初のポイントは
①前走がオープンクラス以上という事。

ここ10年での勝ち馬の前走は
G1が2頭・G3が4頭・オープン、1勝クラスが2頭ずつ。

ここで特に重視したいのはG3とG2
G3組だと、京成杯やきさらぎ賞などが有力候補となりますが
逆にG2の同クラスでの出走馬は勝つ所か馬券にもならないという結果になっています。

好条件としてオープンクラス以上とありますが有力馬は全員が対象となるので勝ち方に左右されそうです。

傾向の2つ目は②通算勝利数。
ここ10年の弥生賞で1番勝つのが
通算勝利2勝組で、10戦6勝中という好成績で代表馬としては2020年のサトノフラッグや2017年のカデナなどが、弥生賞で3勝目を挙げている。

3勝の馬でも、ダノンプレミアムのように勝つ事もあるが、全体成績としては2勝馬よりも若干劣るが自信があれば組み込んでみたい。

最後の③初勝利とその時の人気。
ここ10年で勝ち馬にバッチリハマるのが③目の傾向で
初勝利は、新馬戦・未勝利戦でも良いのだが
肝心なのは「会場」と「距離」

ここ10年で勝ち馬はいずれも
〇初勝利は、東京・中山・阪神・京都の主要4場で挙げている。
〇初勝利は芝の1800mか2000mのどちらか。

この2つが該当している。
昨年の弥生賞を制覇したタイトルホルダーは中山の芝1800mで初勝利。
2020年のサトノフラッグは東京芝2000mなど近年でも傾向は変わってません。

また、そこに付与される条件としては
初勝利時は単勝人気が【2番人気以上】という事。
更にここ6年は連続で初勝利が単勝1番人気の人気馬が勝ち上がっている。
この条件に該当する今年の出走馬は

〇インダストリア/東京
〇ジャスティンロック/阪神
〇マテンロウレオ/阪神
〇ロジハービン/中山

この4頭が該当しています。
あくまでも傾向なので、調教などで変わる部分はあると思いますので一概には言えませんが、この傾向は堅いかと思います。

⭕注目ジョッキー⭕

弥生賞はクラシック路線へと向かう大事な1戦なだけに、トップジョッキー達のギアも上がるだけに思いを持つ騎手はそれぞれ。

そんなジョッキーを独自にピックアップ!

冬の快進撃はクラシックでの嵐を巻き起こす

横山典弘騎手

まずは弥生賞の筆頭としてあげるのは横山典弘騎手。

昨年までの成績以上に今年は活躍し、
まさにノリマジックの復活。

昨年活躍した息子の和生・武史にまだ教えきれていないクラシックの厳しさを自ら教えるために、この弥生賞は負けられない。

ここ2走の重賞での思いが爆発

川田将雅騎手

今年は、運勢もあるだろうが重賞ではことごとく期待を裏切る結果を残してしまった川田将雅騎手。

G1のフェブラリーSでも1番人気6着。
先週の中山記念も1番人気7着となる上に、両方とも距離の不適正や馬の不調でもあり
思うような結果が出せないフラストレーションは溜まっているハズ。

そのフラストレーションを「チカラ」に変えてパフォーマンス出来るのが、川田将雅騎手なのでここでの爆発力は期待したい。

目指す悲願への足掛かり

戸崎圭太騎手

弥生賞を制覇し、皐月賞からの日本ダービー
を見据えると、ここで弾みを付けたいのが戸崎圭太騎手。

戸崎圭太騎手の悲願といえ、ことごとく運が無いのが、日本ダービー
見据えるのはまだ先かも知れないが、ダービー攻略の足掛かりとして皐月賞。
その前の弥生賞も制覇して、勢いは付けたい。

優秀2歳馬と挑むクラシックへの意地

武豊騎手

クラシック路線への名手と言えば、武豊騎手。
この弥生賞についたディープインパクトの鞍上として、クラシック路線への想いは強い。

今回は優秀2歳牡馬として、クラシック路線の大本命として、後塵を拝する事はしない。
3歳世代の王として、負けるわけにはいかない

🎆ウマママン予想🎆

今回の弥生賞ディープインパクト記念を
傾向などから読み取ると、ウマママン予想としては

◎ジャスティンロック/川田将雅騎手
〇マテンロウレオ/横山典弘騎手
△ドウデュース/武豊騎手
▲インダストリア/戸崎圭太騎手
☆ボーンディスウェイ/石橋脩騎手
☆リューベック/池添謙一騎手

正直、川田将雅騎手か横山典弘騎手のどちらも本命にしたい。
三連単フォーメーションならば2人は頭固定。

馬券としては武豊騎手と戸崎圭太騎手を抑えたい所で
穴としては、石橋脩騎手のボーンディスウェイと池添謙一騎手のリューベック。

石橋脩騎手は中山コースは得意でもあり、ボーンディスウェイも距離は芝2000mを徹底して走っているので経験値の差が出てくれば面白い。

池添謙一騎手のリューベックは、まず池添謙一騎手自体が降着処分による騎乗停止明けで気合乗りは十分というのと
若駒Sでは逃げ切り勝ちしているので、開幕2週目でそこまで馬場が痛まなければ、逃げ残りというので狙いたい。

さあ、果たしてクラシック路線で名乗りをあげるのは誰か。
楽しみにしましょう!!

●名馬のストーリー

今回の名馬のストーリー。
ご紹介する名馬が活躍したのは1996年から2001年の5年間。

世代としては、マチカネフクキタルやサイレンススズカと同期で
上にはエアグルーヴ・バブルガムフェロー
下にはスペシャルウィークやテイエムオペラオーといった名馬ひしめく激戦時代で
戦績は50戦7勝。

そう。今回の名馬は、ゴールドシップやオルフェーヴルのお父さんでもある

「最強のシルバー&ブロンズコレクター」

ステイゴールド

ステイゴールドは、1989年に全米年度代表馬となり日本に輸入されたサンデーサイレンスの3世代目として、母ゴールデンサッシュとの間で1994年に産まれた。

この年のサンデーサイレンス系では、牝馬が多く、牡馬の代表馬となるのがステイゴールドとサイレンススズカしか居なかった。

サンデーサイレンスとゴールデンサッシュの両方に「気性難」があったので、ステイゴールドも相当荒いと思われていたが
誕生した白老ファームでの生活では、全く手を煩わせる事も無く、至って普通の競走馬だったが、
当歳の秋に離乳して、鞍だけ付けて走らせる「ブレーキング」をクリアして
いざ、人が騎乗した調教が始まると態度が一転。

父のサンデーサイレンスと母ゴールデンサッシュの気性難が鮮明化。
運動や調教中に立ち上がったり暴れるのは日常茶飯事で、馬房内でレーザー治療などしてるときにも立ち上がって暴れ、高価なレーザー治療器を2度も破壊している。
そして、調教中でも数メートル先に居る馬に向かっていきなり、襲いかかる勢いで爆走・猛追したりする悪癖も出していた。

しかし、その強烈な競争心と立ち上がった際には垂直に立ってフラつかない事から足腰の丈夫さは際立っていた。

1996年の9月に栗東の池江泰朗厩舎に入厩
この頃には常に目をギンギンに光らせ、常に臨戦態勢のような目をしていて
栗東での調教初日には坂路調教だったが、好タイムを記録した反面
ステイゴールドは20回程、調教や運動中に立ち上がり、
調教後は調教助手が「降参」といったように馬のお尻から下馬した。

そして、1996年12月の阪神5R 芝2000mに
短期免許で来日していたオリビエ・ペリエが手綱を握り、デビュー。
スタートは後手を踏んだものの、上がり最速の末脚で3着に滑り込み、能力の高さは見せ付けて、
続く2戦目も同じ舞台に出走し、1番人気となるが競争中に右前足に骨膜炎を発症した為に戦意喪失してしまい、最下位での入線となり
いったん休養せざるを得なかった。

骨膜炎のケガが癒えて、復帰した1997年2月のダート未勝利戦からは熊沢重文騎手に手綱が変わるのだが
ここでステイゴールドが持つ生粋の気性難を発揮してしまう。
ポジションを押し上げに行った4コーナーをステイゴールドは曲がらずに直進。
大きく外に逸走し、身を翻して熊沢重文騎手を振り落とし、競走中止となってしまう。

幸い、熊沢重文騎手は無傷で済んだが、ステイゴールド陣営にはJRAからはステイゴールドの「平地調教再審査」を通告される。

このレース後には、熊沢重文騎手が毎日ステイゴールドの調教に跨がり
陣営としても、ハミを変えたり左に斜行する癖を修正したりと努力した結果
調教再審査は1発クリアとなり、挑んだ復帰戦の阪神芝2000mではクビ差の2着。
次走の京都芝2400mでも2着となり、惜しいレースは続き、1997年5月の東京芝2400mでやっと初勝利をあげる。

この時の東京芝2400m戦では、前週に走った
同年代のオープンクラス「青葉賞」よりも0.8秒早いタイムで勝ちきっていた。

その後、1勝クラスのすいれんSを勝利して連勝。
その次のやまゆりSは4着となるが、札幌での阿寒湖特別で勝ちきり、3勝目をマークし
中・長距離で勝ち上がってきたこともあり、クラシックの最終戦、菊花賞を目指すべくステイゴールド初の重賞。
神戸新聞杯を照準に合わせて、優先出走権を取りに行く。

しかし、4着と敗れてしまい、優先出走権である3着まで後一歩及ばず、菊花賞の出走に暗雲がかかるが、賞金上位馬が軒並み競走辞退をした為にステイゴールドにも出走権が回り、菊花賞への出走を果たしたが
8着と見せ場を残せずに敗れてしまう。

この年のラストランは、WSJS(ワールドスーパージョッキーズシリーズ)の準オープンでもあるゴールデンホイップトロフィーに出走。

WSJSでの抽選の結果、名手の武豊騎手が騎乗したが、2着と惨敗してしまう。

武豊騎手としても、気になる1頭でもあったステイゴールドという事で、内心は「勝てる!」と喜んでいたが、
実際にはものすごく気の悪い面を発揮し、
常に怒りながら、併せに来た馬に噛みつこうとしたりして
全くレースに集中していなかったそう。

古馬となった1998年には、万葉S・松籟Sを2着と惨敗し、挑んだ重賞のダイヤモンドSでも2着となった事で
オープンクラスへの規定賞金額に達したのでオープンクラスへと昇格。

続くG2の日経賞は4着と着順は落としたが、満を持して、G1戦線に出馬する1頭となった。

古馬となって初のG1出走となったのが日経賞後の、天皇賞・春
凡走した菊花賞より長いG1レースという事で単勝10番人気の低評価だったが
結果としては、メジロブライトに次ぐ2着と下馬評を覆す走りを見せる。

続く重賞はG2 目黒記念では3着とまた一歩届かなかったが、春のグランプリで同年代のサイレンススズカ、メジロドーベル
一つ上のエアグルーヴが出走するG1 宝塚記念に出走。
人気馬多数という事もあり、単勝9番人気となるが先行策の競馬でエアグルーヴの差し足を振り切るが、その先を走るサイレンススズカを捕らえられず2着となるが
人気薄でのG1レース連続2着と、2着が通算8回という結果から
競馬ファンからは「シルバーコレクター」と呼ばれ始めていた。

夏の休養後、気性面の改善を模索する中で
鞍上を蛯名正義騎手に変えて挑んだ天皇賞・秋では、またしても2着。
鞍上を熊沢重文騎手に戻して挑んだジャパンカップは大敗するも、年末の有馬記念ではまたしても11番人気という人気薄から大激走を見せるがグラスワンダー・メジロブライトに続いての3着となってしまう。

重賞を勝てる素質や見える場所まで来ているのに、今ひとつ届かない。
理由はただ一つ、ステイゴールド自身にあった。

父サンデーサイレンスと母ゴールデンサッシュの気性面の悪さを全面に受けていて
レースで全く本気で走らないという気の悪さが全ての原因であり、1番改善出来ない所であった。

翌年の1999年もその試行錯誤をしながら、
重賞に出続け、金鯱賞・鳴尾記念・宝塚記念を3着。
天皇賞・秋では、熊沢重文騎手は
ステイゴールドという馬の底力の一端を魅せたのだが、スペシャルウィークに差されて2着になってしまう。

しかし、熊沢重文騎手はこの天皇賞・秋はステイゴールドの底力がまだまだあるという事を確信していた為、
「まだこの馬は伸びる」と感じていた。

翌年の2000年。
ステイゴールドと熊沢重文騎手は、初戦から
AJCC2着、京都記念3着、日経賞2着と奮闘して迎えたG1 天皇賞・春では覚醒したテイエムオペラオーの4着と敗北。

この敗北から、勝ち切れないステイゴールドと熊沢重文騎手に対して、池江泰朗調教師は

「心を鬼にして、全てをユタカ君に任せる」

として、武豊騎手に鞍上を任せ、勝てなければ引退という覚悟を持って迎えたG2 目黒記念。

武豊騎手はステイゴールドで後方待機策で脚を溜めると最後の直線で追い込みを開始し、他馬をまとめて差し切って2着馬に1馬身1/4差を付けて優勝。
通算38戦目で初の重賞初制覇。

勝ち星も2年8ヶ月前の阿寒湖特別以来の勝利となり
陣営としても、ファンにとっても
ステイゴールド念願の勝利にスタンドはG1並に拍手が沸き起こり
モニター中継していた中京競馬場でも大歓声が沸き起こり、池江泰朗調教師は号泣。
しかし、鞍上の武豊騎手の心中は複雑だった。

勝ったには勝ったが、ここまでステイゴールドと苦楽を共にした熊沢重文騎手の心中を慮っていたが、レース後に
熊沢重文騎手から「屈託のない声」で祝福され、武豊騎手は「とても気持ちよかった」と話している。

目黒記念を勝利した次走は宝塚記念に出走。
鞍上は安藤勝己騎手に乗り替わり、ファン投票はテイエムオペラオーの次となる2位として出走するが、4着と惨敗
夏の休養を挟んで、秋の初戦にはG2のオールカマーを後藤浩輝騎手に任せるも
こちらもメイショウドトウの5着。
天皇賞・秋では再び武豊騎手に乗り替わるが1コーナーでの不利もあり5着

続くジャパンカップでは鞍上を後藤浩輝騎手に戻すと、これまでの状況と2000年のテイエムオペラオーに対抗すべく、初めて逃げの戦法を取るも、7着。
有馬記念も8着となってしまった。

しかし、好レースを魅せてくれるステイゴールドにはファンの人気は高く
2000年にJRAが企画した
ファンによる20世紀の名馬投票では全体の34位とG1未勝利馬として最高位となる。

TOP100の中で、G1未勝利馬として選ばれたのはステイゴールド以外に
ナイスネイチャ(71位)・ツインターボ(91位)がランクインしている。

2001年には、これまでと違いAJCCでは無く日経新春杯に出走すると藤田伸二騎手とのコンビで見事勝利を挙げて、重賞2勝目をマーク。

そして、この年にはトゥザビクトリーの帯同馬としてステイゴールドはドバイまで遠征。
輸送の影響で、馬体が減ってしまう中で出走したドバイG2
武豊騎手を鞍上としたドバイシーマCではブービー人気グループだったが
並み居る海外の強豪を差し切りサンデーサイレンス系の日本調教馬として初優勝を果たした。

帰国後は宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンカップと出走するがどれも惨敗してしまい
この年の年末に出走する海外G1 香港ヴァーズでの引退が発表となり、とうとう国内G1レースは0勝となった。

最後のG1となった香港ヴァーズでは鞍上に武豊騎手に騎乗してもらうのだが
芝2400m競走で最後の直線150mで逃げ馬のエクラールが独走で後続を突き放す中で
エクラールに迫る馬が1頭。

ステイゴールドが今までに魅せたことが無かった強烈な末脚でグングンと差を詰めて、差し切り、引退レースで初のG1制覇を果たした。

このレースでステイゴールドが初めて本気で走った衝撃はファンの語り草となり
香港ヴァーズで一緒になり、エクラールに騎乗したデットーリ騎手は武豊騎手からステイゴールドの引退を知ると

「ユタカにとっては寂しい事かと思うが、
ボクにとっては朗報だよ」

と世界の名手に認められる実力を見せ付けた。

ステイゴールドは引退後に種牡馬として
ゴールドシップ・オルフェーヴルなどステイヤー路線で活躍する一方で、暴れ馬のような血統として
まだファンの人気も高い人気馬でもあった。

しかし、種牡馬として2015年に急死してしまったが、その血は多くの馬の礎となり
今後も活躍する名馬は増えることでしょう。

●スポットライト・ジョッキー

今週のスポットライト・ジョッキーは

酒井学騎手

生年月日 1980/2/4
身長 154cm
血液型 A型
星座 みずがめ座
出身地 新潟県
競馬学校 14期生

父親が公営新潟競馬(新潟の地方競馬)で厩務員をしていた関係で、競馬とは幼少期から身近な存在であり、将来も自然とジョッキーを目指していた酒井学騎手。

競馬学校には池添謙一騎手や太宰啓介騎手、竹之下智昭騎手と同期の14期生として入学し、1998年に卒業。
栗東の二分久男厩舎所属騎手として、3月1日の中京1Rショウワヒカルに騎乗してデビュー。

初勝利を挙げたのは、3月8日の中京12R
マチカネヒガノボルで
この年は、池添謙一騎手と太宰啓介騎手と酒井学騎手で三つ巴の新人賞争いを繰り広げていて、最終的には新人3位となる25勝を挙げていて、新人としては好スタートを切った。

また、新人・若手騎手として活躍する一方で
調教では頻繁に朝寝坊したり
同期の竹之下智昭騎手と遅くまで飲み歩くなど日頃から生活態度でだらしない部分は度々注意されていた。
しかし、厩舎所属というのと若手の減量騎手という事で騎乗にさほど影響は無かったのだが、4年目となった2001年に環境がガラリと変わる。

4年目という事で、若手騎手の減量が無くなったのと、所属していた二分久男調教師が引退と同時に同厩舎は解散してしまい、所属先もフリーとなる。

当然ながら、騎乗依頼は多少減ったものの
この2001年には例年は福島競馬場で行われる重賞「カブトヤマ記念」が改修の為に
新潟競馬場で行われたレースでは
最軽量ハンデ48kgのタフネススターで重賞初制覇となり、故郷新潟に錦を飾った。

重賞での負担斤量50kg未満での勝利は
1991年のダイヤモンドS以来。
48kgでは1976年のステイヤーズS以来の勝利となった。

だが、乗鞍の確保には努力が必要とされていて、当時は今のように騎乗への仲介役とされるエージェントも居なかったので、自分で厩舎に営業をかけたりして依頼してもらうのだが

酒井学騎手はソコソコ騎乗依頼があり、重賞も勝った事で「まあ、何とかなるだろう」と高をくくっていて
解散前の二分久男厩舎に技術調教師としてきていた西園正都調教師にも所属騎手として呼ばれたのもあり
酒井学騎手はそこまで深刻には考えていなかった。

しかし、それが裏目に出る

この2001年以降は勝ち鞍が一桁台が続き、
厩舎の営業にも行かなかった酒井学騎手には年を追う毎に乗鞍が減っていき、土日でもトレセンで調教に跨がる日が増えていき、
調教場では調教助手や厩務員などに

「お前、なんでこんな所におるの??笑」

と冗談で言われていたが、酒井学騎手としては、競馬界に調教師でも厩務員でもなく
騎手としてこの世界に入ってきたプライドはズタズタにされ、
騎手生活10年目の2005年には、西園正都厩舎の寮も若手の為に部屋を空けなければならず1人で生活するも騎乗数の少なさから貧困生活に陥り、安いマンションを探した不動産会社で引越直前にキャンセルした違約金の2000円が払えなかった事も。
他には持っていたCDを売却したりしてカツカツの生活をしていた。

しかし、そんな状況で池添謙一騎手から
ある騎手の話をしてくれた。
その騎手とは「30歳から大成した」アメリカのジェリー・ベイリー騎手。

その話は酒井学騎手の支えとなり、
「腐った顔していたら、誰も手は伸ばしてくれない」と
常に暗い顔はせずに明るく振る舞っていた酒井学騎手。
まずは物の見方を変えていくようにした。
最初は「なんで人が乗る馬を調教しなくちゃいけないんだ!」と腐った気持ちで乗っていたが、「この馬はこう走る」といった事に注力して実際の競馬でちゃんと走った事に対して、自分の感覚に自信が戻ってくるようになり、
競馬でないと蔑ろにしていた調教に対して自信が持てる変化となっていて
西園正都厩舎と「調教だけでも我慢して乗ってくれ」と調教助手に誘われていた服部利之厩舎の2厩舎の調教だけだったが
酒井学騎手の心境は変わっていっていた。

調教から光明を見いだした酒井学騎手だったが2006年には勝利が無いまま、残り2週という所まで来てしまい
とうとう年間0勝が目の前に迫った時
ある1頭とのレースが酒井学騎手を変えた。

2006年12月6日の阪神1Rの2歳未勝利戦。
ダート1200mで酒井学騎手は服部厩舎のニホンピロコナユキで2006年の初勝利を挙げる。

ジョッキールームでは酒井学騎手の勝利に重賞を勝ったのかという程盛り上がっていた。

更に、ニホンピロコナユキの馬主でもある
ニホンピロ・レーシングの現場監督の目に留まるキッカケにもなった。

翌年の2007年には一時的に、西園厩舎からフリーとなり活動。
しかし、酒井学騎手は西園厩舎の調教には朝イチで乗るなど恩は忘れずにいて
昨年の勝利からニホンピロ・レーシングからニホンピロレガーロの手綱が回ってきて
それに伴うように酒井学騎手の成績も徐々に回復していき
2007年は8勝・2008年は11勝・2009年は12勝と少しずつながらも着実に勝ち鞍を戻していた。

そして、2010年にニホンピロ・レーシングからある騎乗依頼が舞い込んでくる。

小倉の響灘特別のニホンピロアワーズに幸英明騎手の代打として騎乗して欲しい。

ニホンピロアワーズは幸英明騎手が主戦だったが、幸英明騎手は別の馬に乗るという事でニホンピロの馬に何度も騎乗している酒井学騎手に白羽の矢を立てる。
最初のコンタクトから「この馬は強い」と感じた通り

小倉のダート戦だった響灘特別を1馬身3/4で勝利を収め、担当の大橋調教師と話していると、ニホンピロ・レーシングのオーナー
小林百太郎氏から酒井学騎手に対して

「学、次もちゃんと乗れよ」

と一言。
これがキッカケとなり、酒井学騎手はニホンピロの主戦騎手となるのだが
もちろん主戦は自分よりも実力が上の幸英明騎手だったので冗談かと思っていたが
次走登録も酒井学騎手となっていて、驚きを隠せなかったが、酒井学騎手はニホンピロアワーズと共に一気に注目度を増していく。

翌年の2011年には名古屋GP・名古屋大賞典と交流重賞を制覇すると
2012年には、みやこSは2着も白山大賞典を制覇するなどダートの強豪として名を上げて来て、この年のジャパンカップダートに出走。

ホッコータルマエやワンダーアキュートを抑えて上がり最速でゴールを駆け抜けて
見事G1初制覇を果たす。

1度はドン底まで落ちぶれたものの、周りの手助けを借りながらの復活。
そしてG1初制覇という夢の到達は正に波瀾万丈のドラマだった。

酒井学騎手はその後もハクサンムーンやフーラブライトに騎乗するなど
重賞級の馬も任せられるトップジョッキーの1人として認められるようになり
2014年にはトーホウジャッカルで菊花賞を制覇し、初のクラシックタイトルも獲得した。

そんな酒井学騎手。
馬とのコンタクトの取り方が優しく笑顔で接する事からパドックなどで観られるその姿から「競馬界イチ、馬に優しい男」として知られている。

酒井学騎手には、「ローカルの最終は酒井」と言われた珍記録があり
2009年中京の尾張ステークス
2010年の小倉のアンコールS
2011年の小倉アンコールSと3年連続で
ローカル開催の最終レースを制覇していて
小倉アンコールSに関しては勝ち馬もサンダルフォンで2連覇している。

ちなみに、小倉のアンコールSは2010年と2011年の2回しかないので、勝ち馬はサンダルフォン・勝利騎手は酒井学騎手だけとなっている。

また、憧れの騎手として四位洋文騎手を挙げていて、初めて会話した時は飲み屋で
酒井学騎手は呂律も回らない程に酔っ払った状態だった為、四位洋文騎手にブチ切れられた事がある。
しかし、四位洋文騎手は酒井学騎手の馬具の手入れは素晴らしいと褒めたたえていた。

酒井学騎手はJRAでも数少ない最軽量ハンデの48kgを乗れる騎手で、本来の体重が46kg前後という事もあり負担重量別に4鞍使っていて、その内の1つには重さ12kgの鞍もある。

また酒井学騎手としてのハンデ戦で軽量での良さが見えるのは【重馬場】や【不良馬場】などの悪条件化でこそ有利になると感じていると同時に

斤量58kgで上がり3F33秒の馬が、ハンデ戦の51kgで上がり3F32秒とはならないので
末脚勝負を軽量で生かすなら、位置取りをいつもより1列前を目指す競馬をする。

とコメントしている。

音楽はMr.Childrenの大ファン。

親友としてプライドも何もかもさらけ出せるのが、高田潤騎手で酒井学騎手がドン底まで落ちぶれた時も支えてくれていた1人でもある。

新潟という事で海が好きで、バス釣りやサーフィンなどを嗜む時期もあった。

そんな酒井学騎手。
ドン底まで味わい、騎手としての華も闇も知っているからこそ、やるべき事として

何事も一生懸命に馬と向き合う事

若手時代には自分も落ち度から不幸を引き寄せていたが、それと同時にあった「気の緩み」
騎手として、相棒ともいえる馬に対して真っ正面に向き合わなかった酒井学騎手。

環境から腐りかけた事もあったが、そんな時でも手を差し伸べた高田潤騎手や西園調教師などのサポートで再び日の目を浴びることのできた騎手人生。

ドン底からの復活を果たしたからこそ見える景色と覚悟は酒井学騎手しか持たない武器。

そして、前を向いて一生懸命になったモノにこそ、奇跡が振り向く事も知っている。

こうした今がある事に感謝を忘れずに
酒井学騎手は今日も競馬で駆けていく。

来週のスポットライト・ジョッキーは

もう1人のスーパージョッキー

熊沢重文騎手

にスポットライトを当てていきますので
よろしくお願い致します🙇🙇🙇

~あとがき~
今週もお読み頂きありがとうございます🙇

まさか、自分が3連単を当てて万馬券を取るなんては1年前には想像も出来ていなかっただけにめちゃくちゃ嬉しかったんで
今週は水曜日の休みに、初めて南関東競馬の場外馬券場というかオープスと呼ばれる
JRAで言うところのウィンズみたいな所に行ってきました!!

丁度、川崎競馬場でJpn2のエンブレス杯もあったので人は多かったのですが
詳しくは来週のnoteで書こうと考えています😀
しかし、地方馬券だとちゃんと騎手名も入るのは個人的にはナイスだと思いました🤣

もし、上記の写真で欲しい馬券がありましたらウマママンのTwitterのDMにご連絡貰えれば現物発送もします🏣
(早いと南関競馬カレンダーもあるかも?)

馬券単体の写真もご連絡頂ければ、撮って送りますのでご連絡貰えればと思います!
それでは皆様、また来週もよろしくお願い致します❗
皆様の競馬ライフが素晴らしく、馬券的中の嵐が巻き起こることをお祈りしております🙇🙇🙇
           ~ウマママン~

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