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第2話『新しい気持ち』

うどんを打ち始めて数ヶ月経った頃、就職活動が本格化し始めた。周囲につられて広告代理店への入社を希望していた。別に広告が好きなわけではない。所属していたゼミがそういった雰囲気だっただけである。ただ「広告が得意なことは、人の心を動かすことです」という講師の言葉は、不思議と魅力的だった。人の心を動かす。それまで考えたことのない領域の話だったからかもしれない。以来、その講師のもとでの就職訓練が始まった。

毎日、エントリーシートを書いては添削を受け、修正する。人の心を動かす話を書けているか。書けているとして、思い通りに動かせているか。書いて書いて書いて書いて、そして気がついた。自分に人の心を動かした経験など無かったことに。
自分の意思で人の心を動かせたという経験が思いつかなかった。それから、広告業界に就職するためではなく、人の心を動かしたという実感を得ることが目標になった。

考えた。自分には人の心を動かせるような何かがあるか。独りよがりにならずみんなと共有できる何か。考えた末に出た答えは「手打ちうどんを使って何かをする」という漠然としたものだった。手打ちうどん以外に、自分を形にする方法を知らなかったからだ。反面、手打ちうどんがあったのだ。あとは誰の心を動かすかだけだと思った。

小さい頃、祖父母に面倒を見てもらっていた。お年寄りとは馬が合う性分で、大学付近にある地域コミュニティスペースのご老人達と話すのを日課にしていた。「ここでならうどんを打たせてもらえるかもしれない」。うどんを打ちましょうよ、うどんを打ちましょうよ。口に出すようになった。すると「私も子どもの頃、母親が打ってくれたのを思い出すわ」と誰かが言った。うどんの思い出はその場にいたみんなの中にあった。同じ話題で、同じ気持ちになれている。「共感」を初めて感じた。
「ここでみんなでうどん、打ちませんか?」。言った。
「いいわね!やりましょう!」そう返ってきた。

とんとん拍子で話が進んだ。楽しみにしている、と言われたり、手伝ってくれる後輩もいた。地域の方々だけでなく、大学生も打ちに来た。

やろうとしていることに人が集まってくる。一つのうどんをみんなで打ち上げて食べた瞬間、新しい景色をみることができた気がした。「こんなに楽しいと思わなかった」。学生から出た言葉は、確かに人の心が動いた証拠だった。

うどんの可能性を感じて、「これからもうどんを打とう」そう思えたきっかけだった。
一緒にうどんを打つことで、喜んでくれるなら。

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