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一般家庭からニートが生まれた話
初投稿、考え事が多くなってきたのでどうせなら書いて吐き出してしまおうというただの垂れ流しです。文章は苦手なのでご了承ください。
自分がダメな人間だと自覚したのは去年、
大学に落ち、将来は映像関係に進んでみたいと当時興味があったCGを学ぶべく専門学校に進学を決意。
友人が大学合格したという報告を受けた日に専門学校に出願したのは今となってはいい思い出のようなそうでもないような。
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中学の時に触っていたAviutlが面白くて、よく友人と遊びに行ったときに動画を回してそれを編集、今は亡きLINEのタイムラインに貼っていた。
それが功をなして中学卒業前のレクリエーションで、三年間のまとめ動画を作ってくれないかと教師から依頼され、それが映像の道へ進む一歩になった。
高校でも同じようにAviutlを使って少しクオリティを上げたものをtwitterに載せていた。
中学の時に作ったものはPCのバグによってすべて消えてしまった(ものすごく凹んだ、正直今も)が、高校だけで大体40本くらい。とにかく動画を撮ってそれを面白おかしく編集するのが楽しかった。
専門でもなんとかなると思っていた矢先、現状がこれだ。
今年の1月末に退学、バイトも全く続かず生を無駄に消費している。
このまま死のうかなんて毎日思う。
理想と現実
専門に入ってからはとにかくCGが楽しかった
動画編集といっても今でいうyoutuberのような動画だったので、やり方が分かればサルでもできるようなもの。そして今まで運動ばかりしてきた自分にとっては物事を専門的に学べるということにとても胸を躍らせていた。
授業は先取りしつつ個人製作をしてはTwitterに載せる、それだけでも楽しかった。
オリジナルキャラクターを作り、静止画を完成させるという前期(?)課題が出され、前々からキャラを作ってみたいという気持ちがあったため喜々として取り組んだ。
ただそこから自分が嫌いになった。
「井の中の蛙、大海を知らず」
自分は自惚れていたんだとそこで思い知った、Twitterに溢れる同学年の作品に心が折れた。
評価というものは無残に数字で示されていて
「今まで半年やってきたことはこいつらの一歩にも及ばないのか」
そこから嘘のように出席率が下がった
あれだけ取り組んでいたCGに触れなくなっていた、半年という「時間」を無駄にしたような、
「今更俺に何ができる?」
「俺には才能がなかった」
「ここにいて俺に何ができる」
「俺には何が残ってるんだ?」
人生で二度目の自殺衝動が起こった。
マンションの最上階、駅のホーム、川
「一歩踏み出せばすべて終わらせられる」
自殺した人は勇気があるんだよ、そんなもの俺にはなかった。
そんな自分を後ろで見ている自分が嫌いだった。
承認欲求
創作への意識が悪化したのはそのころだった
「どうしたら伸びるのか」
「何を作ればみんなが見てくれるか」
「一番楽なものは何か」
いつの間にか楽しさを忘れ、ただ「承認欲求」を満たしたいだけの創作となってしまった。
と同時に「もうお前には無理だ」と誰かに言われてるような気がした。
そんな心意気で何かが作れるはずがなく、「自分がやりたかったのはCGではなく映像だ!」と鞍替えしたのもそのころ
案の定、全く続かなかった。
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承認欲求に走ったのも、幼少期から親に褒められたことがなかったからかななんて思った、テストで高得点とっても
「〇〇君はもっと取ってるんでしょ?」
「しょうもないミスするから馬鹿なんだよ」
「ここミスらなければ満点だったのにね」
ただ俺は褒められたかった、
いつからか親に答案はもちろん成績表も見せなくなった
元々家庭にないものを要求されて育てられてきた(ないものねだりっていうのかね)
特に学歴、小学校の時は毎日のように母親から「勉強しろ」、父親には気に食わないことがあると「殴られなきゃわからねぇのか」と脅された。父親が中卒だから母親は特にしつこかった。
(今考えると殴らないで脅すのが一番タチ悪いんよな、訴えられんし)
だから両親を殺すか自殺するかを毎日風呂で考えてた
中高一貫のところに見学行ったりしたけど結局地元の中学へ
高校受験は塾を強制されて
「〇〇高校しか行けないなら高校行かずに就職しろ」と言われ塾に突っ込まれ、普通の高校入って大学落ちて専門辞めて、気づいたら親が馬鹿にしていた〇〇高校に行ってる人間のほうが幸せそうに生きてるのよね。
— 鳥。 (@tori_K04s) August 26, 2020
こんな感じに。
私立に行ったら私は帰ってこないといわれ、じゃあなんで併願受けなきゃいけないんですかね?とか思ったり。
勉強自体嫌いではなかったけど、強制されてやるのが苦痛だった。
「勉強してるのか」という言葉だけ投げて満足してるのが一番腹が立った。
風邪ひいても「病は気から」みたいな思想だったので休ませてくれなかった
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俺は「映像が好きだ!」と言ってる自分が好きなんじゃないか?
と自分が段々と分からなくなっていった。
今まで自分が好きだったものは偽りであって、じゃあ俺は誰なんだ。
サッカーも水泳もバスケも音楽も映像も、全部誰が好きだったんだ?
それは紛れもない自分自身のはずなのに、その「好き」はどこに行った?
俺は色んな事に手を出して、中途半端に投げ出していただけだ
それがたまたま18年間上手くいってただけなんだな、とそこで気づいた。
だから専門にいる人間が一際眩しく見えた
夢も希望も目標も持って、才能もあって、助け合える人間がいて
俺には夢も希望も目標も無くて、才能も友人もいない
それでいて何もできない自分を内側から傍観してる自分がいて
人生初の大敗
時期は進級製作、このあたりで退学意向を担任に伝えた。
一学年まで頑張ってみますということを告げて、案出し。
自殺したかったから代わりに女の子殺せばいいやってことでいじめにあってる女の子がホームで自殺するのをテーマで作ろうとした
人生で初めて味わった「現実」というものは予想以上に傷跡を残していて、
「こんなものしか作れない俺はどうすればいいんだ」
「他の奴らは短時間でクオリティが高いものを作り上げているのに」
「努力する才能もないのか」
もう精神的に限界だった
だから退学した、自分がどこかへ行ってしまいそうだったから。
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サッカーは負けても楽しかった。試合で唯一足の速さで勝てなかった奴がいて、試合の勝敗関係なくものすごく悔しかった。
中学で始めたバスケは自分より上手いやつと戦うのが楽しかった、ミニバス上がりにも食らいついていけたから。
でもいつからか負けるのが怖くなった
挑戦は何度もした、でも勝負は一度もしなかった
怖くなったから、理想の自分に傷が付くのを見たくなかった
全力で取り組んで負けるのが怖くなったから
そこで適当に取り組めば言い訳ができることに気づいた
ずっと「逃げて」きた。
そんな風に生きてきた人生は楽しかったか?
結果、ここに何も残らなかった人間が生まれた
境遇はよく聞く悲劇のヒロイン話よりは恵まれている
それでもここまで成り下がってしまった、鳥でした。
以上
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あとがき
というただの僕の話でした。
中学では学級委員や修学旅行の実行委員、放送委員長などしてましたので普通の学校生活は送っていました。部活も試合には出てました。
ただ家で助けてくれる人がいなかったのが一番つらかったですね
面白いことに両親に強制されたことは悉くやめてるんですよね
とにかく休むなと言われ続けた結果、高校入ってから学校行くふりして別の場所に行ったり
結局大学落ちたのも高校入ってから全く勉強しなくなったのも原因ですし。
幸い、友人と教師にはとても恵まれていたので非行に走らなかったことはよかったです。リスカもしてません
高校は異性から避けられていた+僕も苦手だったのであまりいい思い出がないです。
席替えで僕が隣と分かった女子が席を前にしてくれって言ったときは「漫画で見たやつだ!」と言いたくなりました。
「自殺はよくない」の後に「親がかわいそうだ」というのをたまに見かけるのですが、何も知らない人間が知ったようなことほざくなよと。人間の良いところは自分の人生を自分で終わらせられることじゃないかなと僕は思います。
精神的な状況ですが今はだいぶ落ち着いてきました、たまに情緒が不安定になることがあるので勢いで死んだりしないよな...とか。それもそれでありだなとか
ただ去年に比べたらだいぶ明るくなれたかなと思います。
少しずつ自分を変えていきたいな...と、仕事もどうにかしたいとか悶々としてる日々です。
好きに嘘はつけないな~とまたCGを再開して思ってます
自分なりのペースでやっていきたいです。
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