やっほー!パパ、見てるー?

小学2年生の元旦。
離婚すると母から告げられた。
正月なのに父が不在なことを言及したらこうなった。
父のギャンブル癖や多大な借金が理由だった。

父はスポーツ紙の新聞記者をしており、家にいる方が珍しかった。
というか家にいるのをあまり見たことない。
私もメディアに関わる仕事をしていたのでわかるのだが、いわゆる昼夜逆転の生活だ。
私が眠っている頃の帰ってきて、
私が幼稚園や学校に行っている昼過ぎに出社する。
休みの日も気が付けば寝ているのでこちらも母に促されるままに起こさないように気を付けた。
私の家は母の実家で三世帯暮らしだったので、父と顔を合わせる日が少なくても祖父がいてくれたので父がいなくても寂しくはなかった。
むしろ父を苦手だな、と感じることの方が多かったし、今思い出しても父が家にいる日は緊張していた。
家の中での異質な存在として認識していたのかもしれない。

なので母が離婚することになって、
不思議とあぁやっぱりか良かった、と少し安堵に近い感情になった。すごいぞ8歳。
新学期から苗字が変わることになり、最初はどきどきしたけれど
周りの子たちは気を遣ってくれる子ばかりで
「なんか発音しにくいわ!」くらいで特に何か言われることはなかった。

実生活での影響はその程度だったけれど問題は家庭にあった。
親権問題や養育費をめぐる調停で母の心は壊れていった。
いつも誰かと電話をしていて嗚咽しながら暴れる母を見て見ぬ日々が続いた。
兄や私のことで母がこんなにも傷ついているのに私は何もすることができない。
恐らく自傷に近いこともしていたようでとても心が痛んだことを覚えている。
昔は「詳しいことはよくわからないから」と父をどう思うか考えたことがなかった。
申し訳ないことに父のことは好きでも嫌いでもない。
大人になった今、あの時はどの感情を当てはめてもウソになるから考えないようにしていたんだなと感じる。
肉親のことは好きでいないといけない、でも好きじゃないしな…好きになる必要性は?
それに母が可哀想=父が嫌いとイコールで繋げることに抵抗があった。
私なりに落としどころが見当たらないし、もう過ぎたことだから余計な感情を持ち込むのはやめよう、と結論付けておきたい。母には申し訳ないが。

さて、本題はここから。
私がSNSで本名を名乗らないのには理由がある。
父が”見る”からだ。
母の旧姓は珍しいので、検索すると真っ先に私たちの家族や親戚が出てきてしまう。
父は定期的に検索をしているのか、私たちに関連しているものを片っ端からチェックしているように感じる。
大学時代体育会の部活に所属した際、ホームページに本名を載せようものなら
見事にうちの部のTwitter(現:X)をフォローされた。
うっかりTiktokのアカウントを本名で登録してしまい、フォローされてしまったこともある。
兄が管理していた愛犬を載せるだけのインスタアカウントもフォローされた。
捨てたはずの家族をどこまでも追ってくる。
よせばいいのに父も本名でSNSをやっている。
なので私も父のSNSを知っている。noteをやっていることも知っている。
恐らく気付いてほしいのだろう。
しかし接触してこないのが気持ちが悪い。

父への無関心がここで流石にきめぇな、に変化しつつある昨今のこの状況。
好奇心か、はたまた遅れてきた反抗期なのか。
こちらからアクションを起こす勇気はまだ出ないが、いつか何かの形で話せる日が来てもいいのかもしれない。
やっほー!パパ、見てるー?


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