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消えたジーニー

最近、買い物が増えている。
というのもこれ理由があり。いつものように「やんかわいい、カートにイン、金額確認、ウッちょっとこれは……」をやっていて、いつもならそこでやめるところで、気づいちゃったのだ。わたしもうすぐ誕生日だって。それはもうユリイカ!みたいな、頭に電球ぴこーん!みたいな勢いで気づいてしまったのだ。
自分への誕生日プレゼントなんて今までやったことないのだけれど、ないからこそ、多少の贅沢は許されるんじゃないの。なんといっても今年は三十歳の節目なのである。
ということで、春に向けて洋服を購入。ヴィンテージのティーセットを購入。花瓶をいくつか購入。息をするように本を十数冊購入。あと書斎のための椅子やら棚やら。これらすべて、一月末のある二日の間に一気に決済してしまった。
書いてみるとひとつひとつはささやかなもの、とはいえわたし、今、育休中で無収入の身なのだよね。ワッと買ってみたはいいけど、自分へのプレゼントというのは働いて収入を得ていてこそ充実感があるんだなと感じたよ。悲しいことに、地主には向いていない性分かもしれない。

それにしても、決済のハードルを下げまくっているという点で、Amazon Payはもはやひとつの悪だと思うんだよね。
いつもなら、氏名住所クレジットカード情報を入力するところで冷静になれるのだ。とくにカード情報はあえてブラウザに登録しておらず、いちいち物理的なカードを手元において確認しながら入力することにしているので、その瞬間に魔法のランプから出てくるジーニーがごとく立ち現れる"まさに今から買い物します感"が、「まじでこの金額を払うつもりなんかワレは」と問いかけてくるはずなのだ。
だけどもAmazon Pay。ふだんAmazonで使っている配送先と決済方法をワンタップで連携してしまうこのシステムが、その大事なステップをすっ飛ばしてしまうのである(Amazonは使用頻度が高いので、さすがにカードを登録している。一回あたりの額も少額だし)。そしてわたしは小売店なんだかAmazonなんだかの思惑どおり、どんどこ買い物してしまっているのである。
はじめてクレジットカードでネットショッピングをした時のあの嫌な予感、ちょっとでも油断したらおおごと……という恐怖が、Amazon Payによって現実のものになりつつある。今からでも遅くないので、どうにかして国が法律で禁じてくれないものか。もしくはわたしがボタンを押す前に指をへし折っちゃって。

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