ソール・ライターの本歌取り

前回の「ソール・ライターのすべて」はBunkamuraが2017年。「3年弱で2回目?人気商売??」と会場に足を運ぶまではかなりうがった見方をしていたのだった。

だが、会場に足を一歩踏み入れたらそれは杞憂であることがわかる。ライターは数万点の作品を残しており、2013年の彼の没後、ソール・ライター財団が絶賛整理中。その現在進行形の仕事の成果を目にすることができるのだから、前回とはまた違った、でも連続性のある展覧会なのだ。

その前の週に国立近代美術館の「窓展」を見たあとだからか、鑑賞中、「フレーミング」「構図」というキーワードがしきりに頭をよぎる。

ライターの作品の構図はよく浮世絵が引き合いに出されるが、浮世絵だけでなく、「この構図と似ている」「もしかしてこの絵の構図を参考にしたのでは…」と別の絵画も思い浮かんだりする。

わたしは短歌を詠むのだが、短歌(和歌)には本歌取という技法がある。「…有名な古歌(本歌)の1句もしくは2句を自作に取り入れて作歌を行う方法」のこと。「本歌を背景として用いることで奥行きを与えて表現効果の重層化を図る」意図も。(Wikipediaより引用)

けっしてライターがこれから紹介する絵画の構図を「背景」にしているわけではないだろうが、展示されている作品から、わたしが連想した絵画の構図を「本歌取」と仮想してみたい、と思ったので書いてみることにした。(なお、ライター作品の画像は図録より、その他画像はWikipediaのパブリックドメインより)

1.キス

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オーブリ・ビアズリー「サロメ」

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ビアズリーは象徴主義時代の画家。『サロメ』はオスカー・ワイルドの戯曲で、挿絵にビアズリーの絵が使われている。上掲の絵は踊りの褒美に要求したヨナカーンの首を愛でるサロメの図。ライターの、愛の喜びを感じる写真とは真逆…いや明後日の方向?ビアズリーの方は男女位置が逆、生よりも死(生首だし…)を感じさせるという意味では構図は似てるのに対比的でおもしろい。

2.「足跡」

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フェリックス・ヴァロットン「ボール」

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場面は全くちがうが、見下ろしの視点、人物の位置、印象的な赤、という点でこの絵をすぐさま連想した。ヴァロットンはスイスのナビ派の画家。ライターと同じく、またほかの多くのナビ派のように浮世絵の影響が認められる。木版画の作品もあり、そちらは前掲のビアズリーの影響もあるとか。ライターの作品のほうにはあまり「不安」という要素は感じないが、ヴァロットンの作品はなんとも言いようのないかすかな不安、心がざわつくかんじがあり、わりとそこが好きだったりする。

3.Subway window

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ピエト・モンドリアン「赤・青・黄色のコンポジション」

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おそらくこれはライター自身も意識していたのでは?ショーウィンドウ内のグリッド、左上の赤っぽいカーペット片のようなもの、映り込むタクシーの黄色…(青はないけど)タクシーの白黒チェックはモンドリアンの別の作品、Victory Boggie Woggieを思い起こさせる。

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Victory Boggie Woggie

ちなみに、モンドリアンの作品を意識した「モンドリアンの労働者」という作品もある。(図録には掲載なし)

4.赤い傘

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歌川広重「東海道五十三次・庄野」

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…おそらくいろいろなところで指摘されているのでは、と想像する。これか、もしくは「大はしあたけの夕立」あたりだろうか?ライターの浮世絵好きは広く知られたところ。浮世絵的な構図がそうさせるのか、黒いコートまで蓑のように見えてきてしまうのが不思議なところである。


そのほか、構図の類似と関係ないところでゴダールの画面の色彩構成などを思い起こしたりもしたのだが、うまく指摘できる気がしないので控えておく。絵画も何点か展示されていたが、ボナールを敬愛していたというライターの絵の色彩はまさにボナールの色彩だった。

ライター作品の中にほかの作品を見ることで、本歌取のように奥行きを与えられたらよいな、と思う。

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