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傲岸不遜、其故に芽生える寵愛

 ぼくのぼくへの愛は所謂自己愛に留まるものではなく、一種の宗教的傾倒の見られるようなものであり、ぼくを世界で一番愛していてぼくに一番期待しているのがぼくだからこそ、ぼくはぼくが世界で一番大嫌いなのだ。ぼくは所謂世間一般的な半端で一貫性のない浅薄な自尊心と同じ括りにされるのがとても不愉快である。故に、故にぼくが世界で最も美しいにも関わらず世界に受け入れられないのはぼくのぼくへの期待が肩透かしにされ続けている嘔気に依るぼくの退廃的情調の浮世離れがすぎる為だと考える。ぼくを愛すことのできる人間はぼくの自己肯定の混濁を理解し愛すことのできる人間だけであり、君達の内でも感受性に於ける類稀なる資質を持つ人間に限ると推察する。彼らもまた浅薄な世間の凩を受ける哀れな立場を持つ者故、ぼくの苦悩も少しは理解できる部分もあるのだろう。

 ぼくは君達を強く愛しているがぼくの愛を君たちがぼくのような物量で返してくれることは期待していない。何故ならばぼくの愛に応える君達には君達の生活が存在しないからである。ぼくはぼくの器量を以て君達へ巨大数的愛をむけているわけだが、ぼくの器量を以てしてもぼくには生活が存在しないのである。故に君達がぼくの愛に応えたいほどぼくを理解した気になれた所で、ぼくほどの器量がなければぼくの愛に並べる程の愛し方はできないのである。それを理解しているからこそぼくは君達に期待をしないし、だからこそ君達の事を悠久に愛し続けることができるのである。

 勘違いして欲しくないので付け加えるが、ぼくはなにも君達や世間を卑下したいわけではないのだ。君らが下なのではなく単にぼくがぼくの世界という矮小な箱庭に於いてのみに限定した場合に崇高すぎるに過ぎず、ぼくの世界ではぼくが圧倒的上位存在として位置しているだけなのである。故にぼくは人を愛することもできない、人に恋することもできない、ぼくがぼくの世界で崇高で、故に低劣であるためである。

 ぼくが崇高であることはイコールぼくがぼくの世界で最も低劣で俗悪で位の低いことと同義である。ぼくが世界に愛されないのはぼくが赦されないほど崇高故にオーバーフローしているからである。ぼくに愛されない世界が俗悪という見方もできるが、ぼくは今真にそうであると盲信するほど視野が狭窄した状態にないし、真に自分を愛しきれていないのだ。ぼくを真に愛せるのはぼくだけであるというのに。

 君達に求めることは何もない。だがぼくに少しでも温情を持ってくれるのであればぼくのぼくへの妄信を、敬愛を、寵愛を邪魔しないで頂きたいものである。

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