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自責に縋る

私の中では疾うに消え去った筈の私の中の自愛心-利己心を自覚したことに依り、私の中の底辺に存在すると思って居た肯定感は見ないふりを続けていたことに所以して膨れ上がっていたようで、私に手に負える範疇を優に超えてしまっていたようでした。

私にとって自己肯定をしないことはアイデンティティであり、私を認めない私でしか私は私を許せないのです。私の中の二面性は私を殺し続けていたことの代償であり、自分自身の所為で私は苦しみ続けているのです。とても滑稽な話。

故に私は私の人生の不合理を世界の所為に、他人の所為に、環境の所為にする事はできないのです。私が生きる為に私を殺していた筈だったのに。

私を苦しめる存在しない声も光景も耳を傾けると深層心理で私が私に思っている感情を訴えているだけで、不条理な責め苦は強いていないのです。そもそも本来は私の感情なわけで。

私が私を殺し続けているのは本当は一体誰のためで、何のためなのでしょうか。


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