「噛む」 2024-03-10

「噛む」という動作がある。
発言をするときに、発音を間違うことで言葉が明瞭でなくなったり突っかかったりすると「噛んだ」と言われる。

意図的に「噛む」ことは難しい。どうしても不自然さが顕れる。
「ころぶ」とかと似たような種類の動詞だろう。故意にすることは本来想定されておらず、過失によって為される行為を指す。
大抵、少し恥ずかしいこととされる。「噛んだ」ことを自覚すると、ああ、やってしまったなあという後悔が生まれる。正常な動作が想定されており、そのイデアが文化としてその文化圏で共有されている。そこから外れることは規範から外れることである。だから、恥ずかしい。この点においても「ころぶ」と類推できる。

「噛む」は有効範囲の広い表現だなあと思う。
「噛む」という現象はその中で細分化できるはずだが、発音が円滑でなくなるとその時点で「噛んだ」に分類される。
子音が前後の音と転置する、ある音から次の音に移行できずに何度も同じ音を発音する、子音母音問わず発音に失敗する、などなど。
おそらく原初に想定されていたであろう、「舌を噛む」という失敗はあまりされない。されないよね?少なくとも私はほとんどしない。
人の動作的な失敗を形容できる表現、ということで意味が拡大されたのだろう。イヤだぜ、人類。

ダルいのでこの言葉の発祥については触れない。

さて、人間が言葉を発する方法はここ数千年で増えた。
「文字」を発明することによって、情報の保持が可能となった。
何で入力し、どこに保持して、どこで出力するのかにもいろいろある。大抵の場合は保持する場所と出力する場所は同じだ。筆で紙に書く場合は、情報の保持はその紙にされる。
計算機科学の発達によって、文字を数値として保持することができるようになった。キーボードで入力し、ストレージに保持し、モニタで出力する。この一連の流れの中で、入力工程では人間の動作が関わる。
つまり、「噛む」ことができるだろう。

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