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今こそ わきまえない聖火ランナーに!

本当に個人的な思いからの聖火ランナー辞退なのだろうか?

まず、この毎日新聞の記事には報道の仕方に問題がある。

https://mainichi.jp/articles/20210316/k00/00m/040/295000c?fbclid=IwAR22gtNRLZIauaSSkXNk02lnDFWYXkVgLhtLThQo3n-_Ino4uWHPJoKtNCw

聖火ランナーを辞退するというパラリンピアンの秋山里奈さんのコメント。なぜ新聞やテレビは聖火ランナーの辞退のニュースをこれほどまでに大々的に取り上げるのだろう?僕にはその理由がわからない。聖火ランナーを辞めたい。ああそうですか。。。それだけの話ではないのか?

東京オリンピックを中止に追い込む国民的な空気を作りたいのだろうかと思ってしまう。
疑問はさらに続く。東京オリンピック聖火ランナーで他にも多くの辞退者がいる中でなぜ障害者でありパラリンピアンでもある彼女を取り上げたのか?
何らかの意図を感じざるを得ない。今頃になって辞退する聖火ランナーの有名人には、僕はとても否定的な意見を持っているが、そういう反発や批判を障害者に語らせることによって和らげようとしているのかもしれない。確かに障害者の立場は弱いから、批判にさらされにくいことは確かだ。しかし彼女の場合はたとえ障害者とはいえ、パラリンピアンという勝者でもある。


話を本題に戻そう。聖火ランナーを辞退した秋山里奈さん。「国をあげた歓迎の空気ない」その理由らしいが。こんなふざけた話があるだろうか?こうして聖火ランナーが、次から次へと辞退が続くこと、自分のやっていることそのものがオリンピックを歓迎できないイベントに仕立て上げている、それに拍車をかけていることに気がついていない。人ごとのようなことを言ってもらっては困る。盛り上げ役としての自分の役割をわからずランナーになったのだろうか?


スポンサーから聖火リレー参加者へのギャラが出なくなったのなら、スポーツマンらしく、はっきりと聖火ランナーとして走ることが自分にとって経済的なメリットがなくなったと、理由を正直に述べるべきだと思う。オリンピック委員会の責任の取りようもないパンデミックを理由にするべきではない。問題はそれだけではない。


そもそも、このオリンピックは、ことの始めから国をあげて歓迎の空気なんかなかった。よく思い出してほしい。一部のものたちの利益のためだけに開催が決定され、すでにそのものたちには巨額の利益が還元されている。国立競技場の建設費が見積もりより格段に壮大されていたこと。最初から出来レースだったロゴの盗作事件。数え上げたらキリがない。

僕は誘致の当初から、金権オリンピックで一部の人々に利益が集中する一方で、学生ボランティアを無償でこき使うやり方に納得できず、当初から反対してきた。では秋山さんをはじめとする今、辞退している人々は、

なぜ当初そのことを指摘して辞退しなかったのか?

辞退するタイミングは今ではないだろうというのが僕の意見だ。

ロンブーの淳の他にも辞退している多くの芸能人、また秋山さんのようなアスリートの中で、今頃になって辞退している人々は、そういう利権で真っ黒なオリンピックのことや原発がコントロールできているというような嘘をタレながして、誘致したことなどの都合の悪いことは、当初一切指摘しないまま、ただ自分の利益のためだけに聖火ランナーをひきうけた。
ところが、状況が変わってコロナになり聖火ランナーにメリットがなくなると、コロナによる危険性の根拠も調べずに、社会の空気だけを読んで、急に態度を変えて引っ込んでしまう。ということではないか?

こういうのを今の言葉でいう「わきまえる」というのだろうか?

辞退者が今も続出しているが、こと直前になって辞退を申し出る人たちは、オリンピック精神とは無関係に巨額の利権目当てでオリンピックを推進する人々とほとんど同じマインドではないだろうかとさえ思う。

秋山さんは、製薬会社に勤務しているらしい。製薬会社の視点に立ってみた時、オリンピックの存在は、コロナによる恐怖を煽れば煽るほど、利益が上がる、いまの製薬業界の活況にいささか妨げになるという見方もできる。オリンピックを開催するということはある程度、コロナの危険が収束していることを意味するからだ。しかし、そうなってはようやく始まったワクチン接種、それに水を差すことになるのではないだろうか?

つまり製薬会社、製薬利権にとってみれば、オリンピックが開催されては困るのだ。だからこそ、パラリンピアンである秋山さんは、その広告塔として利用された。僕にはそのようにしか見えない。

「個人としての思い」は製薬会社に勤めているのでは通用しないだろう。スポンサーに配慮しなければ、自分のトレーニングかかる費用を賄えなく恐れが生じる、だからあえて「わきまえる女」になって聖火ランナーを辞退した、製薬利権というスポンサーに忖度して、乗っかり記事にしたのが、毎日新聞というのが今回の真の構図なのだと思う。

秋山さんは、アスリートなのだから、4年間地道にトレーニングを続けてようやく代表となった選手たちの心の痛みを感じないはずはないだろう。そのあたりにも言及すべきだと思う。そもそも聖火ランナーのオファーもパラリンピアンだからこそ、あったものだと思う。聖火ランナーのオファーあったことや、この記事で肩書きを元パラリンピアンだと表明していることも含めて、一個人としての意見というのはもはや通用しない。

しかし自身のトレーニングの費用のことを考えると、スポンサーである製薬会社と背後にある製薬利権に忖度せざる得ない状況に追い込まれ、止むを得ずこの記事を書いた、しかもそれをカムフラージュするため「個人的な意見として」と、前置きしたのではないだろうか?

もしそうだとしたらあまりにも悲劇だ。

僕がまだ子供だった頃、モスクワオリンピックボイコットという事件があった。当時、アメリカに対抗する社会主義国のソ連がアフガニスタンに侵攻するのに抗議して行われたものだ。金メダルの確実視されていた柔道の山下やマラソンの瀬古、レスリングの高田らが必死で、政治とスポーツは違うから参加してほしいと抗議していたのを強く心に残っている。特に高田は泣きながら抗議していた。その4年後のロスアンゼルスオリンピック。金メダルをとったのは山下だけだしかし、足を怪我して薄氷を踏む思いの勝利だった。高田は銅メダル、瀬古は14位と惨敗。厳しい選手人生でピークを維持し世界のトップを維持し続けることの難しさを僕はその時思い知った。

このことから、どんな理由であれ、オリンピックをやめるということは、選手たちの人生のうち、4年間という貴重な時間を全く関係のない理由や人々が勝手に奪い去ることだと、幼いながら僕は思った。

だからというわけではないが、一度出場した選手が、これから出場するはずの選手の気持ちを慮ることなく、オリンピック中止へ導くような方向性でもし、何かを語るなら、それは、まさにその時の政治家たちと同じ、東京オリンピックの代表選手の人生と時間を奪うことに等しいではないかと思うのだ。

彼女の中にそういう広い視野でものを見る目がまだ少しでも残されているなら、今は、聖火ランナーを辞退して、中止を叫ぶのではなく、聖火ランナーを買って出てなんとか選手のために開催に持ち込めないか考えてほしい。


そして、このコロナ禍のオリンピックは資本家たちに奪われてしまったオリンピックを再びアスリートや国民に取り戻す絶好の機会なのだ、それなのに早々に辞退してしまってはチャンスをみすみす逃すようなものだと思う。
ここは社会の空気を読まないわきまえない女になって選手たちを応援してほしい、たとえ無観客試合になったとしても。この自体の中でこそパラリンピアン自らが聖火ランナーとなって走ることでこれまでの利権と一部の人々のためのオリンピックを彼女の言うところの「国を挙げてオリンピックを盛り上げる空気」を作るのではなかろうか?


それこそが過去選手として多くの人々の応援を受けたもの責任だと思うが僕の考えは間違っているだろうか?



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