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「無名」 沢木耕太郎

昨年僕も父を亡くして、改めてこの本を引っ張り出してみると、わらわらと父のことが思い出されて、たまらなくなる。
僕にとって父との葛藤のさなかに読んだこの本だけにその時に苦しんだこと、それを乗り越えたあとに見えて来る世界、諸々のことが一気に噴き出してきた。それと同時になぜか僕の中に永井宏さんのことが次々に鮮明に現れてきた。思えばちょうど永井さんと密に付き合っている頃、沢木耕太郎の本にはまっていて彼の本を次々に読んでいたことを思い出した。すると全く関係のない父の死と、沢木耕太郎と永井さんが無関係に結びついて僕の中であるコンプレックスを作っているのだろうと自覚した。

僕にとって父も沢木耕太郎も永井さんもある意味、父親という像を投影した何かであるはずだったのだろう。

さて、沢木耕太郎が自身の父について書いたこの作品。父と息子には大きな壁があるのが普通であり、彼にとってもそれは特別のことではなかったのだということが伝わって来る。彼にとって父親の読書に対する姿勢は、まさにそれだったかもしれない。

しかしそれをいつか息子は乗り越え、その時本当の自分に出会う、男としての当たり前だけど難しい道のりを丁寧に描いている。

薔薇の香やつひに巴里は見ざるべし

本を愛し、一日一杯の酒と本があれば満足だった父親の残したこの句の中に父親の全てを見る。

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