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ウルトラカブ伝説【前編】

はじめまして。私の名前はウルトラカブといいます。

名前の由来は、スーパーカブで超長距離を走るのが好きだったので、

「スーパーカブで超長距離…せやウルトラカブにしよ」

とTwitterアカウント開設時に適当に決めました。決してバンドからパクったわけではないです。

この度、私の通う会津大学を無事卒業することが確定したので4年間のバイクライフを振り返ろうと思い筆を取りました。長くなるとは思いますが、読んで頂けると嬉しいです。

序章 浪人、そして会津へ

私は高校時代、勉強を全くしていませんでした。
成績は悲惨なもんで学年最下位から3番目を取ったこともあります。
そんな私ですが唯一勉強して楽しい事がありました。それがコンピュータです。そこで高校3年時に進学先を情報系大学へ決めました。
しかし、そんな成績でまともな大学に受かるはずありません。そこで関西の中堅大学のAO入試を受験しました。
しかし、結果は12月頭に最終面接落ち。受かった気でいたのでそれまで全く勉強していませんでした。そんなわけで2月の一般入試も受かるはずがなく、流れで浪人することになりました。

浪人時代は親にうん百万も払わせて予備校へ行かせてもらい、生き地獄を味わい、精神を蝕みながらもなんとか1年間を耐え抜きました。
そんな浪人を経て受験の結果、今通っている地方公立の会津大学へ進学が決まりました。
ここから4年間の福島県会津若松市での生活がはじまるのです。

第一章 カブとの出会い

私は大阪のそこそこ都会で育ちました。なので
・電車は1時間に12本
・自転車で生活に必要なものが買える
・チェーン店がそこらにある
というのが当たり前でした。
そんな甘っちょろい考えで会津に来たもので、無事に田舎の洗礼を受けるわけです。
生活に必要なものを買う店は街中でソーシャルディスタンスしており、坂も多いし、帰ったら家事炊事も自分でやらなければいけない。
こんな生活を2ヶ月ほど自転車で耐えたものの、もう無理だ…と降参しました。

しかし、私は車の免許も持っていないしそもそもお金がありませんでした。そこで原付バイクに白羽の矢が立ちました。
当時、原付バイクの知識といえば水曜どうでしょうに登場したスーパーカブしかなくほかはよくわからないのでとりあえずネットで探して購入し、下宿先へ輸送してもらいました。
そして実家へ帰り免許の取得と同時にAA04型の通称中華カブを10万円で購入しました。

カブと初めての対面


第二章 距離感の終わりの始まり

初めはリターン式ミッションに悪戦苦闘したものの、次第に乗りこなせるようになってきました。

そして納車した午後、近所だけでは走り足りず、授業をサボって会津若松から約55km先の郡山市までスタバに行きました。しかし、往復でたかが110km。当時の私はまだまだ走り足りませんでした。

納車された週末、約100km先の鬼怒川温泉へ初めて長距離ツーリングへ行くことにしました。

鬼怒川温泉に到着


そして鬼怒川温泉に到着後、国道に掲げられた看板に目をやると宇都宮の文字…
脳内で「宇都宮行けば餃子食えるやん」と思い、目的地をそこから40km先の宇都宮へ目的地を変更するのでした。

宇都宮駅にて


そして宇都宮で餃子を食べて、帰ろうとした際に国道の看板を見ると大宮の文字…
脳内で「大宮行けば鉄道博物館いけるやん」と思い、目的地をそこから100km先の大宮へ目的地を変更するのでした。

大宮駅にて

この出来事をきっかけに、東京や石巻、挙げ句の果てには大阪へ帰るなどえげつないツーリングをするようになっていきました。

カブで大阪へ帰省したとき



第三章 バイク部

カブの操作にも慣れ、冬になりました。会津は豪雪地帯ですので雪が積もります。
そこでカブにスノータイヤへ履かせて、雪遊びをしようと考えていました。しかしタイヤ交換をする工具や知識は皆無でどうしたものかと悩んでいました。

そんな時に出会ったのがバイクサークルです。他に所属していたサークルの先輩がバイクサークルに所属されていたので、存在は知っていました。
しかし、たかが50ccのカブ乗りが入部していいものか躊躇しておりました。でもここは思い切って扉を叩くしかない!とサークルの公式TwitterへDMを送ったところ、快く歓迎していただけました。

サークルにはユニークな先輩方が所属しており
・蛙が大好きな部長
・エンジンを全バラしてオーバーホールしている業者みたいな2人組
・タイヤの交換頻度がおかしいVTR乗り
その他にも個性的な方がたくさんいらっしゃいました。

そして年が明けて蛙部長から
「バイクサークルの部長になってほしい」
とお願いされ引き受けることになりました。
そしてこの時期にTwitterにウルトラカブのアカウントを作成しました。


第四章 クロスカブ襲来

部長になったのはいいものの、50ccのカブではマスツーなんかできません。
そこで一念発起!春休みの間に普通二輪免許を取得し、新型が発表されたてのJA45クロスカブを新車で購入しました!

クロスカブで部員を率いてツーリングしたり、

大学近くの扇町教習所の全面協力のもと試乗会を開催したりしました。

楽しかったなぁ…

そしてついに事件いうかとんでもない”アレ”が起こるのです…


第五章 バズる

それは突然訪れました。Twitterに普段よりツーリング先やその風景などをよく投稿していました。


山形県の峠の茶屋という巨大唐揚げの有名なお店を訪れた帰り道、工事用信号機にひっかかってしまいました。カブで工事用信号機…水曜どうでしょうのファンならだるま屋ウィリー事件を連想するはずです。これは面白いということでJAFの危険予測をモチーフに以下のようなツイートを投稿しました。

家に帰ってTwitterを見るととんでもないRTといいねの嵐!
結果的に1.9万RT、2.7万いいねというとんでもないバズり方をしてしまいました。
しかしこのRTがきっかけでフォロワーが爆増し、投稿にも磨きがかかるようになりました。

第六章 ウルトラカブの名物(?)

バズりの影響でフォロワーも増え段々とウルトラカブというキャラクターが形成されていきました。そしてあの名物(?)”ここは〇〇”ツイートが恒例になっていきました。

大阪へ700km下道で帰っている時も


こんな感じでウルトラカブリング中の移動を記録していました。もし興味があればTwitterの検索ボックスに
"from:ultracub2018 ここは"
と入れて検索してみてください。過去のウルトラな移動ログが見れます笑

第七章 北の大地へ

福島と大阪を起点に長距離ウルトラカブリングを続けた結果、とある場所へいきたくなりました。
それは北の大地”北海道”です。北海道はバイク乗りの聖地です。いつか自分のクロスカブで行きたいなぁと考えるようになりました。
しかし、思ったら即行動がモットーの私は大学2年の夏休みに行くことを決めました。
そうと決めれば早いもので、お金を稼ぎ、スケジュールを決め、気づいたらフェリーを予約していました。

そして北海道ツーリングの日がやってきました!
1日目のスケジュールは、なんと会津若松から1日で函館まで行くという正気の沙汰でない行程を組みました。

もちろんカブは高速道路には乗れません。トラブったら終わりです。
しかしウルトラカブはすごいもので、予定通り函館についてしまいます。

上陸後は北海道の4極岬を制覇するため1日平均350kmという驚異的な走りを見せました。

結局7泊8日で4000キロ近くを走破しました。
北海道ではたくさんのバイクが走っていて改めてバイクの良さを知るきっかけになりました。

前編はここまでです。最後まで読んでいただきありがとうございました。
後編ではTwitterでできた仲間や、GSRのことについて書きたいと思います。
よければ読んでみてください → ウルトラカブ伝説【後編】


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