「私以外私じゃないの」を救いの言葉として受け取ってしまった女、「私以外も私」と言われる。

創作。「私以外私じゃないの」を救いの言葉として受け取ってしまった女、「私以外も私」と言われる。




私が、人生で初めて買ったCDは、ゲスの極み乙女。さんの「私以外私じゃないの」のepです。その中で特に大好きな曲の、「私以外私じゃないの」について書いていきます。

人は14歳の時に聴いた音楽で好みが形成されると、ネットの記事で見ました。好みが形成されたかどうかは分かりませんが、私がこの曲に出会ったのはまさに14歳の夏です。この曲に何度も救われました。14歳と聞くと、初めてのCDを買うには、少し遅いのではないかと思われるかもしれませんが、私はiPod touchを11歳の時に買ってもらい、そこから音楽を聴き始めたので、音楽は全部デジタルで買っていました。それでもこの曲だけは、実物のCDが欲しいと思うほど、本当に私にとってはなくてはならないものだったのです。(今でもそうですが笑)

当時、同級生と上手くいかず、私は部活で辛い思いをしていました。しかも2年生だったので、上級生と下級生に挟まれて、ますます2年生内の雰囲気が悪くて、正直書きたくないけど、いじめに近いような(それよりは全然軽いですが)ことをされていました。

もちろん味方が居なかった訳ではないけど、どうしても嫌な人達がいて、その人たちと会うことになる部活が嫌で、(クラスが違ったので接点はあまり無かったけど)すれ違う可能性がある休み時間、給食や掃除の時間も嫌でした。平日は、まだ2時間くらい我慢すれば良かったので楽でしたが、休日は長いと5時間ぐらいずっと同じ空間に居なくてはならないし、学年毎に固まって動くことも多かったので本当に嫌でした。いつも行きたくなくて、朝から泣いてしまう時もありました。「自分が抜けたところで、学校に行かなくなったところで、何も変わらず日常は続く。歯車が一個抜けたところで何も変わらない。」なんて思っていました。「消えたい」と金曜の夜はいつも思っていました。



そんな時にふと耳に入ったのは「私以外私じゃないの」という曲です。最初はすごい歌詞だなぁと思いました。ただ、メロディーがすごく好きだったので、iPodに入れて何回も聴くようになりました。辛い夜も何度もリピートしていると、頭が空っぽになって、いつの間にか眠れていました。そのうち鼻歌では物足りなくなって、ちゃんと歌いたくて歌詞を調べました。初めは、自分とは正反対で、自分は良くなりそうな明日に期待なんて全く出来ないし、夜更けなんて永遠に来てほしくないと思っていたので、本当にこんな人がいるのかなぁと思いました。でも1番最初の、「冴えない顔で泣いちゃった夜を重ねて」の部分だけは、自分と重なって、いっそうその後の歌詞が自分と乖離して見えました。

でも、朝が怖い夜に繰り返し口ずさむうちに、だんだん本当に、「やっぱり自分の代わりは居ないんだ。」と勇気づけられるようになりました。そう思うと心が大丈夫になって、その夜は確実に眠れました。今考えると少し幼稚ですが、「私以外私じゃないの」という言葉に縋ったのです。(もちろん言葉自体はとても素敵な言葉だと思います)

段々自分の中で、悩んだ時、辛い時にこの言葉を思い出す頻度が増えて、物凄いスピードで自分の心の支えになっていきました。どうしても涙が出てしまう朝も、この言葉を呟いたり、歌を歌ったりして、学校に行きました。部活中に嫌なことがあっても、トイレの中で3回呟いて、心をリセットさせました。

3年生になってから、同級生とも自然に和解し、「なんだかんだあったけど、結局楽しかったよね。」ということで卒業できました。私は「私以外私じゃない」という言葉で、苦しさを乗り越えることができました。

もちろんその他の曲も大好きで、ゲスの極み乙女さんのアルバムだけはちゃんと実物で揃えていました。少し辛い時もあったけど、その音楽が好きな人がたくさんいることはsnsやyoutubeで確かめることができたので、それほど辛くありませんでした。そんなこと以上に、私を支える言葉をくれた、ということが私にとっては大事でした。4人のおかげで私は頑張れました。他人は分からなくていいから、親友にも言わなかったけど、私はずっと4人のことを好きでいました。「達磨林檎」が発売された時はとても嬉しかったです。



そして今、私は高校3年生です。高校に入学してからの環境の変化や、勉強と部活の両立に悩んだ時も、ずっとこの言葉を胸に頑張りました。現状維持かもしれないけど、私として私の身体で学校に通うことが本当に大事なんだと思えるようになりました。

そんな中で、コロナが流行りました。私はまだ進路が決まらず、焦る中でいつものようには新学期が始まりませんでした。そして、オンライン上で、新学期が始まりました。誰の顔も見れず、声は聞こえても、本当にその人が発しているのか分からなくなってしまいました。授業だけでなく、友達とのLINE通話でも不安になってしまい、たまに「ちょっとビデオ通話にしない?」と言うことが何度もありました。

そして本当に普段の生活が分からないまま、新しいアルバムが発売されました。私は受験のために、少しずつsnsを離れようと思って、あまり触らないようにしていました。なので、発売することは母が教えてくれました。本当に霧の中にいるような、よく分からない生活を送っていたので、私にとっては光が差したようでした。

とても嬉しくて、我慢できなくて、スマホで調べてみると、収録曲のリストが出てきました。それをみると、「私以外も私」という文字がありました。その瞬間少し心がざわざわしたけど、下に「キラーボールをもう一度」という言葉があったので、過去の曲のなんか引用みたいな、オマージュみたいなことなんだと思って、一旦棚にあげました。そしてやっぱり実際のCDを買いたかったので、6月まで待つことにしました。

普通に生活をしていて、たまに「私以外も私」という言葉が頭をよぎるようになりました。それまでは学校で、「私以外私じゃない」と何度も思って来たのに、なぜか家で、勝手に「私以外も私」という言葉が浮かんできます。オンラインの授業を受けて、郵便で届いた課題を解いて、元々受験生ではあるけど、息抜きに外にも出られないような生活の中で、自分自身が分からなくなりました。私以外も私になることが可能な中で、自分以外の人が本当に自分以外なのかも疑うようになりました。

なんといったって、私にとって救いとなった「私以外私じゃない」という言葉をくれた人が言うのです。変な感じになってしまうけど、ある意味救世主です。正直なところ、怒りに近い感情が込み上げてきました。なぜ平気で私以外も私なんて言ってしまうのか、私がどれだけ救われたか。それなのに悠々と反対のことを言ってしまうのです。許せない気分になりました。自分だけが何かに執着しているようで、置いていかれてしまうようで、その自由さに嫉妬みたいなものを抱きました。

6月になり、CDが届きました。2曲目を聴いたとき泣いてしまいました。メロディがとても好みでした。「私以外私じゃないの」よりもずっと、第1音から好きでした。

普通の授業が再開し、人と顔を合わせるようになっても、ふわふわした落ち着かない感覚がずっと続いています。自分だけが浮いているように感じます。皆嘘の存在に見えます。


この不安定な状況下で、しかも新テストが始まります。本当にどうなるか分かりません。将来に対して不安で一杯です。将来のことを考えたくありません。


本当に私以外も私なのでしょうか。それならば、やっぱり私が足りないところで、大丈夫なのでしょうか。皆嘘で、私も嘘ならば、将来なんて考えたところで無意味なのでしょうか。疑問系で書くけれど、自分が感じ取っている答えはあります。


結局私以外も私なのです。私以外私じゃないと信じて色々乗り越えた中学生の頃なんかは、とても頑張ったと思うけど、あまり分かってなかったんだなと思います。もっと楽に乗り越えられる答えは真逆にありました。


終。







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