今日という今日には
なんかいい例え話ないかなーって探しているところではある。1番わかりやすいところだと食事かなー
誰かと一緒に食事をしたとする。なんてことないごく普通の食べ物。一緒に食べた人と一緒においしいねーなんて言って食べられたら幸せだよね。
少し自分でもズレているなとは自覚している。自分はこの食事が美味しかろうがまずかろうがどうでもいい。大事なのはそのとき過ごした時間で何が起こったか。相手が食事をマズいと感じました。それに反して己は美味しいと思った。別にそれでいい。自分が美味しかったと思ったからいいのではない。そんなことは大した問題ではないのだ。
「まず、」
「いや、おいしいって」
「いやー、、」
「えーー!おいしいのに」
なんでもいい。何かしらやり取りが発生すれば全ては幸せに変換される。日々起こる悲劇も不幸もいつか起こる最良の結末にむかってる。
このやり取りが例え一方通行だとして、それは蓋を開けるまで誰にもわからないこと。一方通行じゃないと願うしかないけれど、一方通行じゃなくなるまでぶつからないとそれこそ本当に一方通行なんだと思う。
これを他人軸と世間は呼ぶらしい。
こういうところを治したいなとは思わない。これはこれで楽しいし。ずっとこれでいい。
これでいいのに。
その願いを邪魔する感情がある。
ある人といると自分の好きな部分がボロボロ崩れ、立て直せなくなる。
美味しいと思ったものは同じく美味しいと思いたいし、マズいと思ったものは一緒にマズいと思いたい
気持ち悪い気持ち悪い。
むりだってそんなん。むりむり。価値観なんてそれぞれなんだから。
だからこう思うんだよ。
「なんで美味しいと思ったのにあなたは美味しいと思ってくれないんだよ!」
相手に当たる。
バカみたい。でもこれはこれでなんかかっこよくない?
なんかー好感持てるよな。(´・д・`)ワカルワァ
違うんだよねー、
自分は、美味しいと思って相手がマズいと思ったとき
「まず、」
「いや、おいしいって」
「いやー、、」
「えーー!おいしいのに」
が
「まず、」
「え、」
「いやー、、」
「(なんで今おれは美味しいと思ってるんだ。不味くあってくれよ。)」
はいお菓子〜。
それこそ無理だって。だって美味しいと思っちゃったんだもん。
美味しかったものを不味くあってほしいと願うなんて誰も喜ばない愚行。もちろん相手もそんなこと望んでないはずだし、なんなら自分だって望んでないはず。美味しいに越したことないし。
でも、美味しかった食べ物を食べてそれが美味しいと感じてしまった自分が嫌いになるのよね。
相手は変えられないけど自分は変えることが出来るというありふれた言葉をどこかで別の変な形で変換しちゃったやつね。
それこそ無理だから。自分なんて簡単に変わらないしそもそもその言葉は不幸な人が幸せになるためにある言葉であって、幸せな感情を不幸にするためにあるものでは無いからなー。
美味しかったもの食べてマズいと思えなかったことを悲しむってどんだけアホの子。
じゃあ、
僕は今日の晩御飯を麻婆豆腐にしたいと思いました。
けれどある人が、今日の晩御飯は韓国料理にしたいです。と言いました。
じゃあ、僕の食べたいものは当然韓国料理になりますよね。
わかってるんですよ。アホだなって。
だからね、それに反発するようにね。強く刻むの。自分は今麻婆豆腐が食べたいんだって。
気持ち悪いもの。同じものを食べたいと思って行動に移す事が。己は麻婆豆腐が食べたいと思ったんだろ。麻婆豆腐食えよ。
そうするとね。何が起きるかってね。
その夜俺は食べたくもない麻婆豆腐を食べるんだよね。
不思議だよね。
さっきのは結局悲しかったし辛いけど美味しいと思えているから救済ポイントはあるけれど、麻婆豆腐の件に関しては、もう別に食べたくもないものを誰のためでもないのに自分で選んで食べているのね。
そしたらね、周りはね、
「食べたいもの食えよ」or「食べたいと思ったんじゃないの」っていうの。そりゃそうだ。逆でもそう言いそう。
じゃあ、なんて声かけてほしいんだろうね。
どうすればよかったのだろう。
このやり取りってなんにも面白くないのよ。
最初に戻るけど、
「まず、」
「いや、おいしいって」
「いやー、、」
「えーー!おいしいのに」
は
美味しいと思ったっていう手札1枚を抱えて、相手がどう選択してくるかわからないからワクワクするのね。色んな価値観が手に増えていく感じ。
誰かにあわせたいと思う心自体やりたいことからかけ離れてるんだよね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そんなに難しく考えなくていいとも思う
思ってしまったものってしょうがなくないですか。あわせたいと思ってしまったんだもの。無理に変える必要も無いと思うし、どう向き合うかが大事なんだと思う。別に悪いことばかりじゃないんだよ。
さっきはまずいと思ったものに対してマズいと思えなかった自分を恨んだけれど、逆に相手だけが美味しいと思ったものは、美味しいと思わなかった自分を恨む。この男は美味しいと思うまで食べ続けるんだよ。するとね、意外と美味しいと思えてくるもので、気づいたら好物に昇格してたりもする。
過程は気持ち悪いよ。正直。
深く考えないっていうのはその気持ち悪い部分のことを指してて、結果マズいと思っていたものが美味しいと思えるようになりました。だけでよくないかと言うこと。その時点では誰にも迷惑かけてないわけだしさ。何事も美味しいほうがいいじゃん?みんなそうやってさ、ハッピなー部分だけを必死に切り取ろうとして生きてるわけよ。都合のいい部分だけ受け取るのがむしのいい話だと思って深く考えようとするんだろうけどさ、
その時はたまたま上手くいきました。
をひたすらひたむきに繰り返していけばいいと思う。
どんだけ都合がいい話でも、その都合をずっと続けていけばいいんだと思う。
いいことと悪いことは均等に来るなんていうけど、ネガティブ人間はいい事来る度に悲しまなきゃいけないわけじゃん。悪いことは悪いまんまだし。それって全部悪い事じゃんね。いいことも来いよと思えるなら、いいことだけ来るようにすればいいと思う。別にどっちも来るようにしなくていいと思う。
世の中いいことしか来ないのよ。日々起こる悲劇も不幸もいつか起こる最良の結末の価値ある出来事なのよ。
望みと存在の肯定って大事なのよ
あー良かったこの話がなんやかんや明るいところで着地しそうで笑
ONEPIECEでロビンがルフィに
「私はもう死にたいのよ」っていうじゃん?
そしたらルフィは
「そういうのは俺たちの前で言え」っていうの。そんで夢があるロビンに、「死にたいなんていうな」って否定する訳じゃなくて「生きたいと言え」って存在を肯定するのね。
なんか意外よね。読み返したらなんならルフィが俺死にたいとか言い出すからちょっとビビる。笑
じゃあと、改めて問うけれどお前の本当にやりたかったことは飯をマズいと思うことだったんですか?麻婆豆腐を食べたかったんですか?ってことよな。
どれだけ叶いにくい望みでもでも1歩あと一歩って肯定するのが大事なんじゃないですか?筋の通し方間違えやがって。
あーあ笑
どうでもいいけどONEPIECEおもろしくない?実家帰って読み直したい
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