三世代お札

2020/05/31(日)

ダービーだ。競馬以外でも「ダービー」という言葉は、ランキングなどの競争が表される際に用いられるから、もはや「レース」の代名詞的な存在だろう。Exactly(そのとおりでございます)

そういえばダービー弟と花京院が戦ったゲームもレーシングゲームだったな。

レース前は、もしかしたらコントレイルが出てこれないんじゃないか…とか、サリオス着外あるぞ…とか思っていたが、やっぱり強かった。なんだこの二頭。まあ結果的に馬券も当たったし良かったのだが、あまりにも堅い馬券すぎて結果的に配当がコントレイル単勝全賭けとほとんど変わらないくらいだった。競馬、奥が深い。それに純粋に楽しい。


部屋の大掃除をしていて、懐かしいものがたくさん出てきた。中学受験の頃の教材や成績表、小学校の自由研究、昔よく使っていた文房具など…思い出になるものばかりだが、さすがに何もかも取っておくわけにはいかない。他の人はどのレベルまで残しているのだろうか?毎回疑問に思う。さすがに、真面目に取り組んでいなかった教材などは捨てるが…

とりあえず、やたらと大事に取っておいてあるおばあちゃんがくれたお金は、大事に取っておく。これに手を出すような大人になっては絶対にいけない。ポチ袋の「おたんじょう日おめでとう」という字を見る限り、恐らく(母方の)おばあちゃんが亡くなる1年前にくれたものだろう。おばあちゃんは自分の誕生日の1週間ほど前に亡くなったはずだ。でももしかしたら、亡くなる直前に用意だけしておいてくれたものかもしれない。そんな話を聞いた覚えがあったような、無かったような………今度母に確認してみよう。
病気のせいでうまく喋ることも歩くこともできず、数年前まで元気に料理を作っていたのに亡くなる直前には四つん這いで歩いていた。自分や母のことをどれくらい認識できていたのか、少し疑問に思ってしまうほどだ。亡くなった当日の事や、その直前に水泳教室でメダルを取って、おばあちゃんに見せたことなど、その当時の思い出にしては珍しくかなり鮮明に覚えている。もっと労ってあげれば…などと思ってしまいそうにもなるが、当日小学生になりたての自分にそんなことを期待するものでもない。思い返すとただ悲しくなってしまうだけだった。

しかし、掃除するたびにおばあちゃんの形見の財布を見て思う。聖徳太子のお札や五百円紙幣が入っているのはマジでいつの奴だ?

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