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アムルタートのよもやま-5

安部晴明出生の秘密に纏わる「信田妻」は、
広く好まれたお話らしく。

江戸時代(1660年代初頭)に刊行された、
浅井了意の「浮世物語」には、
信田狐のパロディ的な話が収録されております。

私、このお話、大好きなんですよね。
(かつ、多方面からの考察が可能で、味わい深い)

***浮世物語より
今は昔、浮世坊、篠田の方へ行きたり。
いにしえ篠田の杜には名誉の狐ありて、
往来(ゆきき)の人を化かすといへり。

篠田村の某(なにがし)とかや言う者、住吉に詣でて帰るとて、
道のほとりにて美しき女に行き合ひたり。とかくかたらひて夫婦となり、
家に帰りて年を経たるに、1人の子を生みけり。

その子5歳の時、母に抱かれてありしに、
尾の見えければ、これを恥づかしがりて、
かの母、もとの狐の姿になりつつ、篠田の杜に立ち隠れたり。

夫はこの年頃、あひ馴れて、
それとは知りながら、さすがに名残の惜しく思はれつつ、かくぞ詠みける。

子を思う 闇の夜ごとに とへかしな 昼は篠田の 杜に住むとも

と詠じて、うち泣きけるを、
妻の狐は立ち聞きて、かぎりなく悲し、と思ひつつ、
窓をへだてて、かくぞ言ひける。

契りせし 情けの色の 忘られで 我は 篠田の杜に 啼くなり

と詠じけり。

かくて、夫、田を作れば、
かの狐、来たりて、夜の間に早苗を植え、
水をせき入れ、草を取りけるほどに、年ごとに満作なりしかば、
家、大いに富栄えけるとなり。

浮世坊、この事を思い出し、あはれをもよほしけるが、
篠田の村の方へ行くと思へども、
在所は、手に取るように見えながら、行き着かず。

夜ひと夜歩きて、やうやう明け方になり、
それより少し心づきて、
「これはいかさま狐の化かして、かやうに連れ歩くか」と思ひ、
「日頃、聞きたることあり」と、
顔を懐に差し入れて、袖口より覗きて見れば、
背中のはげたる古狐、後ろ足にて立ちて先に行く。

「さればこそ」と思ひ、声をあげて、
「生き首切られの古狐め」とて追ひかけたれば、
田畔(たあぜ)とも言はず、狐は逃げて失せぬ。

浮世坊は、夢の覚めたる心地して、
「ここはいづくぞ」と人に問へば、
「天王寺の前なり」と言ふ。

「口惜しくも、化かされけるかな」と思へども、甲斐なし。***

距離感覚的には、こんな感じです。
篠田に行きたかったのに、
逆方向の天王寺に「連れて行かれて」しまったと。

篠田‐天王寺間は、電車でおおよそ20分程度。

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