電中日記 アキコ10

「お待たせい!」
 竹谷は元気よくやってきた。
「おまたせー」
 サッちゃんも続いた。サッちゃんは小柄でまっすぐの髪をした女の子だった。

 公園の外に自転車を止めて、全員でタコ滑り台に登り中に入った。タコの内部は円形で狭く、4人も居れば窮屈に感じた。天井は低くて立ち上がることができない。電気も無いので暗かったが、公園にある照明や街灯の明かりが滑り台側の穴から差し込んでいて、目が慣れてくればハッキリと分かった。

 僕は皆より先にタコに登って入り、重いギプスを巻いた右足を滑り台に半分ほど突き出すように座った。僕の前にはアキコが座り、その隣にはサッちゃん、僕の左隣には竹谷が座った。竹谷が買ってきた缶チューハイとスナック菓子を車座の中心に置いた。

「乾杯しよっか」と竹谷が言った。

 お酒とは何なのか?僕はお酒というものをちゃんと飲んだことがなかった。正月のお屠蘇や親戚から一口もらうビールなどは口にしたことがあっても、酒に酔うという体験は一度もしたことがなかった。

「私これがいい」
 と言ってアキコは梅のチューハイを手にした。
「タツル君は?」
「何でもいいや。じゃあそのレモンのやつ」
「はいどうぞ」

 僕はアキコに手渡された缶を開けた。プシュッという音が四つ聞こえてから、号令もなく息が合ったように皆で缶を合わせて乾杯した。

「あれ、そういやアキコとタツルって今日が会うの初めてじゃなかったっけ?」と竹谷が言った。
「うん、そうだけど」と先にアキコが答えた。
「そうだよねえ。なんか、仲いいね」
「うん、今日なんだかんだいっぱい話したし。タケちゃんもサッちゃんと初めて会ったのって、前回の飲みの時じゃなかった?」
「え、あー、まあ、そうだよ」

 サッちゃんは口数が多くはなかったが、竹谷のその反応を見て笑った。サッちゃんが笑ったのをみて、竹谷もニヤニヤしていた。

 それからしばらく、飲み会のことや、地元のお祭りの話などをした。僕は缶チューハイを一缶飲んだところで、だいぶ身体が温まってきた。頭が一つ分、別人になって自分は生きていると言う感覚に陥った。意識は正常で善悪の判断もつく。遠くの音は少し聞こえづらくなった。

 いつの間にか僕はアキコと二人で会話をしていた。竹谷は少し移動してサッちゃんのピッタリ横にいた。

 会話が途絶えたときに、彼女は後ろ髪を結んでいたヘアゴムを外し、それを指に引っかけて飛ばしてきた。ヘアゴムは僕のTシャツに当たった。それを見てアキコは笑っていた。

 僕は笑いながら「なんだよ」と言った。やり返そうとして跳ね返ったヘアゴムに手を伸ばした。アキコは「ダメー!」と言いながら、カルタ取りのように競って手を伸ばした。

 ヘアゴムを先に掴んだ僕の右手の上にアキコの両手が乗っかった。アキコは僕が拾い上げられないように、上体を両手の上にもってきて体重をかけてきた。僕は少し意地になったような態度を見せながら、自分の左手で彼女の右肘を引っ張った。彼女はバランスを崩し「うわっ」と言って僕の腹の上に横から覆い被さるように倒れ込んだ。

 公園と街の白い明かりがわずかに差し込む中で、昼間に見たアキコの健康的な小麦色の肌は、青白く光って見えた。

「ねえ」
「ん?」
「タケちゃん達、チューしてる」
「えっ……、ほんとだ」

 顔を戻すとアキコと目が合って、僕たちもキスをした。竹谷はサッちゃんと身体を触り合っていて、いつの間にか僕らも同じ事をしていた。それからしばらく、タコの中では会話が無くなっていた。

 長い夏休みという最高の「はっちゃけるチャンス」を棒に振った僕にとって、思っても無い出来事だった。それでもあまりに信じられない出来事だったので竹谷と目が合ったときに尋ねた。

「なあ、これって夢なのか。夢じゃなかったら天国なのか」
「さあ、なんだろうね」と竹谷は言った。

 強烈な懐中電灯の明かりがお開きを告げた。警官が自転車を降りて歩いてこちらへ向かってきた。

「あ、あれ警官じゃね?逃げるか」と竹谷は冷静な声で言った。

 皆でタコの内側から警官と反対方向に飛び出した。僕は松葉杖を持ちながら左足のケンケンで一目散に逃げ回り、少し離れたところまで行き、夜の茂みの中に隠れた。脈拍が信じられないほど上がっていた。

「タツルくーん」という女の子の声が聞こえた。アキコだった。
「見つかるだろ、何やってんだ!」と心の中で思いながら、茂みから少し立ち上がって、彼女に見えるように手招きした。

 僕らは茂みの中、警官達が居なくなるのを待っていた。アキコは僕の隣でしゃがみながら、何度も口から戻した。

 空の色が少しずつ青くなり日が昇り始めた。立ち上がって、僕は駅まで松葉杖をついて歩いた。アキコは僕を駅まで送る途中、ずっと「ごめんなさい」と言っていて、何が「ごめん」なのか僕にはさっぱりわからなかった。

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