電中日記 アキコ8

彼女は親に見つからないように、家族が寝静まってから家を抜け出してきたらしい。

「タツル君のうちは、親厳しくないの?」
「うーんまあ、大丈夫なんじゃ無いかな、生きて帰ってくれば」
「何それー、うらやましい」

僕の両親は基本的に門限といったことは口を出さなかった。
きっとどこかで心配はしているのだろうけど、そのことを自分が思ってしまうと負けた気がして、考えないようにしていた。

深夜の住宅街をゆっくりと2人で歩いた。100mほど歩いては、腕が疲れて休んだ。アキコも一緒に待っていてくれた。

「よっこらしょ」と、一人の時には必要のない声を出して段差を歩いた。アキコはそんな声に逐一「おー、ガンバレー」と反応した。僕は口数に比例して、段々と気が楽になっていった。

その日知り合ったばかりの女の子と、深夜二人きりで会話をしているということが不思議な出来事だったせいもあり、実感がわかなかった。アキコはミカと比べて美人でもなく、垢抜けていない普通のレベルの女の子という印象のままだった。

それでも僕は女の子と話すということに、やはり緊張していた。松葉杖を両手に持ち歩くときは前を向いているおかげで、相手の顔をじっと見て話さずに済んだ。

何を話して良いかも分からないので、とにかく必死に話を続けようとした。学校は自転車で通っているとか、部活の顧問にセクハラされたとかそういうことを話した。

会話が止まらないように、目につくものが話題になるように、星を見つけては何か言い、猫を見つけては何かを言う。ロマンチックでもなんでもない、ただ一生懸命な会話をした。

「今日星見えるね」
「ほんとだねー」
「俺んちのほうだと星とか見らんねえからさ」
「ええ、そうなんだ」

実際に僕の生まれ育ったの高田馬場では一年を通して数えるほどの日数しか星を見ることができなかった。そして星座として完全に見えるのはオリオン座だけだった。だから8月の星座は何も知らない。

「でも私理科とか超苦手だから、星なんか全然知らないよ」
「俺もそうだよ。学校ですんげえ成績悪くて。あーでも一個だけ知ってる。」
「え、どれ?」
「あの一番光ってるやつ、『月』」
「知ってるよそんなの!」

笑ってくれると思って言ったのに、小馬鹿にされているように思われてしまった。その日は満月を少し過ぎた位の月が、時折雲の間から顔を出した。

「そういえばタツルくんって稲本に似てるね」

と思い出したように彼女は言った。
2002年のワールドカップ本大会、予選のグループリーグで2得点を挙げた稲本潤一は皆が知るヒーローだった。僕は骨折で引きこもっていたため顔が丸くなっていた。

丸顔の金髪少年は少し嬉しくなった。

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