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ゲンジボタルはライムグリーンの点だった

部屋の明かりを消すとエアコンの黄緑のランプが点灯している。ホタルの色はあんな感じだ。

今日は一人でホタルを見に行ってきた。
久我山でホタルを放流するイベントの日だったから、イベントが終わってても居残り組のホタルを拝めるだろうと思ったからだ。
元々行こうとは思っていたけれど、一緒にホタルを見たい人もおらず、気が乗らなかったのだ。加えて20時からZoomでミーティングもあった。

ミーティング後にGoogleマップで場所を調べる。車では何度か通ったことのある場所だった。今ホタル見なければ、ずっと見ない気がすると思ったから、一人で出かけることにした。

22時過ぎに家を出る。Apple Watchを置いてきたことに改札で気づいてもう一往復。高円寺から吉祥寺までは四駅あり近いようで遠い。吉祥寺で井の頭線に乗り換える。井の頭線は滅多に乗らないから久我山に急行が止まるんだったか忘れていた。
紫陽花の季節は井の頭線の車両が美しい。たしか駒場で仕事をしていた時、駒場東大前のマクドナルドの二階から、紫陽花と並ぶ井の頭線が見えた。とても美しくて、窓際の端っこの特等席でよく朝マックしていた。今はそのマックは閉店してしまったらしい。

久我山駅に着き南口を出ると神田川がある。生まれが高田馬場で、20年ほど住んでいたから親しみのある川だ。この場所は高田馬場よりはだいぶ上流だから川幅も小さく浅い。

駅前の清水橋から下流200mのところが放流会場らしいから、川沿いを歩く。左側は車両基地で明るいから右側にしようと思い、橋を渡って反対側を歩いてみる。残念ながらそっちはハズレの道で、途中で川沿いの歩道が無くなってしまった。住宅地側に大きく迂回して、夜の都立高井戸公園を突っ切る。amazarashiの曲を他人が作ったプレイリストで聴いていたら、夜の雰囲気に合いすぎて寂しくなった。
隣の富士見ヶ丘駅の近くにある京王管理橋という小さな橋を渡り、対岸へ。そこでUターン。
車両基地の明かりが道を照らすがそれでも暗い。しばらく歩くと人がまばらに立ち止まっている。

「ホタルだ」と思った。

自然の中で見たことなんて記憶に無いから、本当に初めて見たんだと思う。小さい点が飛んだり、数秒光って消えてを繰り返したりしている。

iPhoneで写真を撮ると自動でナイトモードになった。時間をかけて撮る事で暗くても十分な明るさの写真になる機能のようだ。一枚の写真を撮るのに三秒かかる。画面の真ん中に表示された十字のガイドがブレないように、川の手すりに固定して撮影した。

いくつか撮ったうちの一枚は飛び立つホタルを捉えていた。その虫の光の軌跡は、漫画で描写されるタマシイの形にそっくりだった。
その写真をXにポストしたら和歌がリプライされた。

物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出(い)づるたまかとぞ見る

和泉式部の一首。

「ものおもへば」は恋の歌だろうから心を引き裂かれるような恋心、執心、憎悪、劣情といった複雑な感情なのだろう。

千年も前からホタルを見て感動して、おんなじ様なこと思ってたんだなと思った。
「あくがる」は心が体から離れて彷徨うという意味らしい。

恋愛はタイミングだと皆口を揃えて言うものだ。欲しい麻雀牌は一巡前に切られてしまうことをよく知っている。

息の詰まるような不快感、焦燥感、絶望感、喪失感。そういう心のざらつきを無視せず、力を掛けて潰しきる。心にある摩擦の熱で、人間も光ったりしねーかな。

余談、近況
生活が変わったので、note書こうと思いました。前書いてたんだけどね、めんどくさくて書かなかったのが一つの理由だけど、もう一つはなんか家族ってのは気恥ずかしいもので、あんまり読まれたく無いなと思っちゃったので。それが無くなったから再開です。最近知り合った面白い人も書いてるし、考えを文字にするって素敵なことなんだよね。ツイートじゃなく、文章にする。日記をつけたり、恋文を書いたりしようと思う。

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