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マルクス「資本論」ー価値増殖過程

商品は交換価値と使用価値が統合されたものである。これは「部分の総和」ということではなく、二つの価値が一体となり、商品を作り出しているということである。
同じく、生産過程においても、労働過程と価値形成過程は分けることはできない。

→ これだけ読むと、「でしょうね」と思う。
例えば、ハサミで言うと「なにかを切れる」という使用価値と、「デザインがかわいい」という交換価値は不可分であると思うと、これは「でしょうね」でしかない。
でも、読書会で「資本主義にはまらないためにどうしたらいいの?!」っていう話になったとき、「作ったものを商品にしない」ことが一つの対抗手段としてあるのでは、という話になって、一気にこの「商品」の説明が煌めいた。
商品にしないために「交換しない」とか「使用できないものを作る」とかできるんじゃないか、と考えるのはおもしろかった。

商品の価値は、生産するのに必要な労働時間によって規定される。(生産のための労働が必要ない空気などは商品ではない。)
→ 商品の価値がその商品のために必要とされた具体的な材料や、制作に注がれた熟練の技ではなく、労働時間で規定されるということ。
材料の価値や、熟練の技の価値を測ることは難しいけど、「時間」という単位を使うと労働を横並びにして測ることができる。時間によって、私たちの労働は一般化されている。
(そもそも時給で働いとるしな、わたし)
これは本来、比べることが出来ないもの(コップと、本の価値の違いなんて比べられない。)に値段をつけるためだけにやっていることで、それが唯一の価値観ではない。
本質においては、そもそも比較できないはずのものが同列されることで、本質に触れないところで比べられてしまう。しかも、その列に人間まで並べられるようになってきてる。
資本主義がやってることってなんなのか。
人と比べるっていう発想もこういうところから来てるのかも、と思うとバカバカしくなってくる。


読み進めて、ここから話は商品の生産過程の話になる。よくわからん数式とかを使って諸々を理路整然と説明してたマルクスが資本家の話になると突然饒舌に、文学的に熱く語り出すところが見所。マルクス、意外とかわいい人やな。

通常の生産過程を考えると、「材料費10万円」「製作にかかる機材2万円」「作業者への給料3万円」合計15万円かけて作った商品は、当たり前だけど15万円で売れる。
ここで、資本家はびっくりする。
15万円払って、15万円分の商品しかできないなんてひどい!と思う。(資本家よ、、、アホなのか)
そこでどうするかというと、一番減らすのが簡単な給料を減らして、その差額を自分の儲けにするのだ。この差額こそが価値増殖である。

→ 商品価値を上げるために、労働の価値を落とすのは目から鱗というか、そういうことだったのか∑(゚Д゚)という感じ。
労働の価値を落とす方法として、「給料を下げる」以外にも「労働時間を伸ばす」「同じ労働時間での生産量を増やす」などの方法がある。
つまり、「効率よく仕事をしよう」みたいなビジネス自己啓発本を実践して喜ぶのは結局、資本家じゃないのかという話。
なのに労働者が自ら進んで実践している。これこそ、資本主義の内在化だねという話で読書会は盛り上がりました。

もちろん会社は、現代の資本主義において会社なのだから、非効率な働き方をすることで、残業が増えて辛くなったり、社内の人間関係が悪化したりするかもしれない。
だから、気持ちよく働くために効率化を考えるのは悪くない。というか、わたしもさくっと働いて、さっさと帰りたいから仕事の効率は当然考える。

でも、効率を考えるその一方で、マルクスを考えるのが大事なんだと思う。
効率が悪い働き方だから当然残業、でいいのか?
あいつ、仕事できねーなって見下していいのか?
自分の中にマルクスがいることで、問いが生まれてくる。

こないだ、仕事で、病院の付き添いがあった。救急搬送対応で、半日以上の時間がかかった。
職場に戻ったわたしに、後輩が「一人の利用者に半日かけるとか効率悪すぎませんか(笑)」と笑った。
いや、効率とかじゃなくない?!ってムカついた。
そのムカつきの正体をマルクスはきっと論理的に説明できるんだと思う。
だから、資本主義にどっぷり浸かりながらも、資本論を読むことはわたしにとって救いになるんだろうな。

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