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ヴァイキングのガラスビーズと目玉のビーズ

ヴァイキング女性の胸元を飾ったガラスビーズ

下の二つの写真、どこか似てませんか?中世前期のヴァイキングのビーズと、現在のトルコのナザールボンジュウです。
両者とも青いガラスのビーズで目玉が付いてます。
遠い時代と地域の隔たりがあるこの両者に何か関係があるのでしょうか?

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(ヴァイキングの遺跡から見つかった、目玉もようのガラスビーズ)

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(トルコで売ってるナザールボンジュウ)

古来より様々な地域の民族がガラスのビーズで作ったアクセサリーを身につけてきました。
個人的に思い入れ深いのはカラフルなガラスビーズで胸元を飾ったヴァイキングの女性たち。
細かい細工のされた亀甲型ブローチにひっかけられた色とりどりのビーズは、ヴァイキング時代の女性たちのおしゃれ感覚の表れです。

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(ビーズとペンダントを組み合わせて飾ってます)

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(出土品を複製したビーズたち)

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(二連、三連は当たり前!)

ヴァイキングの遺跡からは様々なガラスビーズのアクセサリーが見つかっています。
何故か左右対称でないものが多く、もしかしたらこれがヴァイキング女性たちの美的感覚であり、こだわりだったのかもしれません。

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(左右非対称がシブい)

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(こういったシンプル?なのもあります)

種類は無地のビーズや、カラフルなガラのついたド派手なビーズなど様々で、ガラありビーズは今の感覚だとかなり破天荒です。

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(スウェーデンの遺跡から見つかったガラスビーズ)

とにかくいろんなビーズが発見されていて、ヴァイキングの女性たちがいかにガラスビーズ好きだったのがうかがい知れます。
北欧と同様、アングロ-サクソンやフランクの遺跡でも似た様なビーズが発見されており、きっとゲルマン系の民族は全般的にド派手なガラスビーズを好んでいたのでしょう。

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(サクソンのビーズ)

ローマン ガラスビーズ

そして、ローマの人々もカラフルなガラスビーズを好んでいた様です。
ヴァイキングなどのゲルマン系民族のガラスビーズとそっくりなビーズがたくさん出土しています。
もともとはローマからもたらされたものなのかもしれませんね?

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(ローマのガラスビーズ)

そんなカラフルなガラスビーズの中にはおそらく魔除けの意味を持ったものもありました。
「目玉ビーズ」と言われるものです。

邪視除けのお守り、目玉のビーズ

邪視は悪意のある視線や、何気なく向けられる他人の視線の事で、大昔から災いを起こすものとして世界中で信じられてきました。

邪視を除けるお守りはたくさんあり、その中には「目には目を!」という考え方のお守りもありました。
力強い目のデザインが邪視を跳ね返す力を持つと信じられた様です。

参考記事:「ヴァイキング時代の三日月の魔除け」

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(紀元前3000年頃、古代メソポタミアの邪視を睨み返す偶像)

邪視除けのお守りとして、目をデザインしたガラスのビーズはかなり古い時代に誕生しました。
現在最も知られているのはトルコのナザールボンジュウでしょう。

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(ナザールボンジュウ)

このナザールボンジュウ とそっくりなものが古代ローマでも身につけられていました青い目玉のガラスビーズです。

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(古代ローマのガラス製目玉ビーズ)

目玉ビーズはローマによって広められた?

目玉ビーズの起源は古く、確認される最古はエジプトやメソポタミアで、フェニキア人も沢山の目玉ビーズを交易し、カルタゴでも人気だった様です。
その後も古代ローマ、東ローマ (ビザンティン帝国)と続き、ペルシャ、イスラム帝国に受け継がれ、現代にもナザールボンジュウとして残っています。

目玉ビーズはローマを通じて様々な地域に伝播していき、果ては中国にも渡っていった様です。

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(中国で見つかった紀元前5世紀からの戦国時代の目玉ビーズ)

そして、スカンジナビアのヴァイキング遺跡でも邪視除けの目玉のガラスビーズが見つかります。
ローマの属州だった頃のイギリス南部 (ブリタンニア) の遺跡でも見つかっています。

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(スカンジナビアのヴァイキング遺跡から見つかったガラス製目玉ビーズなど)

目玉ビーズのルーツは?

ガラスビーズの文化は地中海がその源流で、紀元前1600年には作られていたと考えられています。
目玉ビーズをはじめとする古代オリエントのカラフルなガラスビーズは、その後海上貿易に長けたフェニキア人たちが地中海とその周辺地域に流行らせたのかもしれません。

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(紀元前6世紀頃のフェニキアのガラスビーズ、目玉も居ます)

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(フェニキアのガラスビーズ、目玉どころか顔です、かなり手が込んでます)

青銅器時代のデンマークとエジプトの交易

ところが!さらに時代は遡り、北ヨーロッパの青銅器時代。
3400年前のデンマークのオルビーにある青銅器時代の女性の墓から発見されたガラスビーズを考古学チームが調べたところ、何とエジプトのアルマナおよびメソポタミアのニップルで見つかるガラスビーズと微量元素の化学組成が一致したていたそうです。
その中には目玉のビーズも。

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(エジプトやメソポタミアで作られていたとみられる、デンマークで発見されたガラスビーズ)」

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(なんと目玉ビーズも!)

さらにデンマークのオルビーで見つかったものと同じ工房で作られたと見られるガラスビーズが、紀元前1323年に埋葬されたツタンカーメン王の墓にも入っており、彼の墓には琥珀のアクセサリーも埋葬されていたそうで、紀元前1400年から紀元前1100年の間にデンマークと、エジプトおよびメソポタミアの間に交易路があったと考えられており、北アフリカ〜中東産のガラスビーズと、バルト海の琥珀が交換されていたと見られています。

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(3400年も前にすでに北欧から北アフリカや中東との間に交易があったといいます)

中東、トルコ、ギリシャ、イタリア、ドイツ、北欧まで、広範囲でガラスビーズと琥珀が一緒に発見されているらしく、琥珀とガラスビーズのセットが何らかの意味を持っているとも考えられています。

北欧のヴァイキングたちは1000年前に東欧を中継して東ローマ (ビザンティン) 帝国と交易をしていましたが、それよりもはるか昔から北欧はこれらの地域と交易をしていたのでしょう。

目玉ビーズはローマから、ヴァイキングを始めとするゲルマン系民族に伝わったのかと思いきや、そもそもそれ以前に北アフリカや中東から来た目玉文化が、北欧にはあったのかもしれませんね。


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