愛すべき人

関西一円には、近鉄電車という私鉄が走っている。
午後3時半過ぎ、僕はその特急列車に乗り、名古屋へと向かっていた。

今日は、甲子園の決勝だ。
車窓から景色を眺めつつ、radikoでNHKの実況中継を聞く。

舞台は7回裏。石川の星稜が2点差を追いつき、なおも満塁のチャンスという局面を迎えていた。対する大阪の履正社は、エースに代えて登板した投手の制球がまだ整っていないようだった。1球づつ、打者有利なカウント状況になっていくのを、実況が熱を込めて伝えていた。

聞いてるこちらも力が入る。
恐らくここが、勝負の分かれ道。

まだ熱感のある午後の日差しが、窓から差し込む。

飛ぶように走り抜ける新幹線とは違い、大阪から奈良三重を経て、名古屋に抜けるこの近鉄特急は、のんびりとしている。

沿線には住宅地が広がる。代わり映えのない「一戸建て」がひしめく隙間を埋めるように、また似たような「一戸建て」が建設中であった。

背の高い建物は少なく、よく目立つ。聞いたことのないスーパーや、聞いたことのないホームセンターがそれであった。親近感がまるでわかない。

「しょうない川」の看板が「しょうもない川」に見えてドキッとする。そんな沢山の、素朴な町をタタンタタンと走り抜ける。

(後続倒れて、3者残塁。履正社、なんとかピンチを抑えました)

のどかで、なんてことのない、穏やかな道中。
さて、一日一恥。まさまさのターンです。

左耳ドリル女

名古屋駅に到着し、新幹線に乗り換える。

「そればっかりは、乗ってみないことにはわかりませんねぇ」という100点満点のセリフを吐く駅員に降参し、指定席券を買ってプラットフォームに上がった。

1本早いのぞみが到着する。念のため、自由席車両を覗いてみると、それほど混んでなかった。やっぱりか。指定席代金が惜しい気もしたけれど、これに乗って行くことにした。今日は少しでも早く着きたかった。

3人席の通路側2席が空いていて、僕は通路側に座った。その後、一人の女性がやってきて残る真ん中の席、僕の右隣に座った。これが後の、左耳ドリル女であった。

席に座って少しした頃、ゲッツーで試合が終わった。大阪の履正社が、春夏通じて初めての甲子園優勝校になった。

あー、負けたか星稜。とイヤフォンを外し、radikoを止めて、本でも読むかなぁとカバンをゴソゴソして目を上げたら、新幹線の電光掲示板に「星稜」の文字が見えた。甲子園の結果がこんな一瞬で流れるとは。あれは、誰のどんなお仕事なのだろう。

隣に座った女性は、PCで何やら作業をしていた。Macのキーボードには、ピンク色のビニールのカバーが敷いてあり、その真ん中は余った皮膚のように少しダブついている。どうやらメールを打っているようだ。ピアノだったら注意されそうな、伸ばした指の腹を使ったペタペタした打ち方であった。

ああ、なるほど。ネイルか。

彼女の5本の指には、指ごとに色模様のパターンが異なる3種類ほどのネイルが施されていて、根本や真ん中に石っぽいものもくっついていた。このネイル好きゆえの消音用カバーであり、ペタペタした打ち方だったのだろう。

中指には派手めな金色の少しトゲトゲした指輪もしていたが、僕の目には、彼女の小指が引っかかった。

細いわけでも長いわけでもないその小指は、たけのこの里みたいにも、チビってきた鉛筆のようにも見えた。これが後の、ドリルであった。

彼女はその左手の小指を、無造作に髪に隠れた先へと突っ込むと、手首ごとひねるようにして左耳をほじる、ほじる。ひとしきりほじったら、目の前に小指のネイルの先をもってきて、じいっと眺めて、収穫を確認する。

5~10分に一度、この作業が走る。

なるべく気にしないようにしていたが、ダメだ。あんまり見たくないなーと思うほどに、ああ、またや、またや、と気を取られる。

そのドリルは一度、人差し指に変わったが、結果に満足出来なかったのか、次からはまた元の小指に戻った。しかし、不思議なことに、僕から盗み見る限りにおいて、小指での結果も、毎回「何も取れていない」のだ。彼女には、何かが見えていたのだろうか。一体今は全体のどれぐらいの工程が済んだとこなんや。

いつ終わるともしれないこの繰り返しが、僕の精神を確実に蝕んだ。

こうなったら仕方ない。目には目をの発想で、真横の距離感でもって、まずは左耳、さらには右耳をほじくり「君がやってるのはこういうことだよ」とアピールしてみた。。が、女性の髪は視界を遮り、何の影響も与えないようだった。

相手を変えることが出来ないなら、受け流すほかない。心頭を滅却し、この手元の本に没入できればなんとか、などとやっていると、

彼女はメールを書き上げて送ったようで、もうこの新幹線内でやるべき仕事はやっちゃったよー、といった風に見えた。

すると、この5分~10分に一度だった左耳ドリルが、エンドレスリピートになった。

気狂うわ!!と思ったが、いったい何ができようか。周りの席を見渡しても空いてる席はひとつもない。注意の仕方もわからないし、注意するようなことかもわからない。ただただ、新しいタイプの苦痛からの、逃げ場がない。

そんなエンドレス小指ドリルが、僕の心をえぐり続けることしばらく、Macを30度ぐらいまで畳んだのをサインに、ついに腕を組み寝始めてくれた時、心の底からホッとした。

ようやく本の内容が頭に入るようになった。

Kさん送迎会

品川に到着。
今日、地元から出てきた理由は、一つだけ。

前職時代にとてもお世話になり、僕がその前職最後の仕事として2年ほど、一緒に働いてきたお客さん(Kさん)が、この度、新天地へ異動が決まったことを受け、これまでの関係者を集めての送迎会であった。

そこに僕も招かれていたのだ。

19時ピッタリに到着すると、まだ誰も来ておらず、3年前に辞めた僕だけ先に来てる、という変な絵になった。

前職側、お客さん側のいずれも、誰が来るかは知らされてなかったのだが、案内された四角いテーブルを囲む椅子の数は10もあった。この配置は、どこが上座なのかい?などと、久しく考えていなかった問題に答えを出して、手前の角に座ってみた。

そうこうしていると、前職側のメンバーが到着した。そこには、オフィスの全体管理をするえらいおっさん(アメリカ人)もいたので、懐かしさに任せて名前を呼びつつ、「久しぶりじゃないかー」的な感じで、すかさず握手を交わしたが、とっさの英語が出てこず「Nice to meet you!」と言ってしまうという、なかなかの失態を犯した。

ミスへの照れや何やでモゴモゴっとなってから、自分の中で「最後につけるハズだったagainが消えちゃった説」とかを立てたが、やはりmeetは、初回対面時の表現っぽいので、きっと駄目だろう、と諦めた。Nice to see you (again) ならまだ行けたのに。

でもアメリカ人側は、特に気にしてない様子だったので、隣に座った後輩に「英語久しぶりで思っきりミスったわ」と、こそっと共有した。

***

しばらくして、Kさんが到着した。

到着する頃にはわかっていたが、お客さん側は、Kさん1人だけで、前職側が9人という、なかなかの偏り具合だった。

このプロジェクトは、4年ほど前に始まり、現在進行形で続いている。Kさんが率いるチームに、前職側が2人体制で常駐し、一緒に季節ごとのお困りごとに取り組むといったものなのだが、この2人にも入れ替わりがあって、iPodで言うところの、僕は第2世代、現在は第4世代まで来ていた。

Kさんは、色々とメンバーのこれまでのことの話をする。

僕の場合だったら「お休みの日だったけど、新潟の花火会場に行ってる僕に電話をしたらスグに出てくれて、そこで細かい数字の確認をしたこと」や、

「他組織から降りてきた新しい分析モデルを検証して貰ったら、不具合をたくさん見つけてくれて、それは良かったんだけどその後が大変だったね」など、今となっては楽しかった、その時は大変だった思い出、を話す。

今のメンバー(第4世代)に対しては、より現実的に。今の彼らの大変なところを聞いたりしつつ、その性格面の特徴も踏まえて、感謝と期待を、しっかり伝える。そして他のメンバーのエピソードを絡めて、笑いを入れる。

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最後の方になって、Kさんは、ほんと◯◯(前職の名前)さんあっての、私達だから。最初はチームもなく、私一人から始まって、そこから人を少し増やして4人になった時からヘルプに入って頂いて、それから今のチームにまで大きくなったけれど、今回の異動もこれまでやってきたことの結果だから、◯◯さんのおかげだと思っている。とか、ほんとうに感謝しています、というような内容を、何度も、何度も、言った。

「いやいや!それはもう、こちらこそですよー」と、最近まで、このプロジェクトに関わっていた前職時代の上司が言う隣で、僕は否定も肯定もなく、ただじっと聞いていた。

ああ、こういうことなんだろうな。
なぜこの人が、好かれるのかよくわかる。
この人は、自分の苦労した仕事の成果を人にあげてしまう。

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解散してから、Kさんから個別のメッセージが届く。

お会いできてよかったです。元気そうで安心しました。

一番しんどかった時にサポートしてくれた、◯◯や◯◯への感謝の気持ちはほんと大きいです。

新天地に行って挫けそうになったら、みんなと一緒に頑張ったことを思い出して、頑張る!

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帰り道の電車にて、Kさんが話したいくつものエピソードを反芻する。この人の話は、いつも僕の心の奥に届いて、留まる。

事前に耳をかっぽじっておいてよかった。

(以上)

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。