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余韻が消えてしまう前に

場所も、時間も、一瞬にして、切り替わる。

本当に書くべきものを、書けていない。その自覚はずっとあった。忘れ物をしていることに、出掛けてから気付いて、否。気付きながら、出掛けた。

出先で、新しい“必要なこと“と馴れ初める。新しい出会いの刺激があって、休み時間に思い出す。ひとつ終えたら、また次の“必要なこと“と名刺交換。どうぞよろしく。遠くなる。思い出す。集中する。遠くなる。褪せてゆく。忘れ物。なくても回る。うまくなる。過ぎてゆく。

”必要なこと”が”重要なこと”の顔をして、それもそれなりに似合ってるような気がする。忘れてたということを思い出す。「ああ、そうね」鈍くなる。実感も曖昧に。もう少しで全部忘れる。夢からさめた、みたいに。新しい”現実”に、五感が、感性が、感情が適応する。

・・・


(子供の泣き声)


その忘れ物は、子供の泣き声だ。実際に音がするわけではない。空気だけが揺れるように泣いている。音はなくても、聞こえている。

後ろ手でドアを閉める。スグに帰ってくると。ちょっと用事があるんだと、体裁した。でも、本当に大事なことは、前に進み始めた気がしている後ろ側にあって、きっとそこからは離れてゆけないこと。わかっていた。

鍵はかけなかった。

だから、安全な場所と、きちんとした時間が得られたら、いつでもここに、戻ってくる。そのつもりだった。

それでも、とても時間がかかった。


さて、水曜日はリトルまさまさのこなくそ日記です。


***

やりました、ついにやりました。「慧眼の人」にはお気づきの方もあるかもしれませんが、毎週更新の予定のハズが、うっかり半年以上も飛びました。

約束が守れなくなるというのは、悲しいことです。ひとえにこれも僕自身の力不足。致し方ないが、それももう過ぎたこと。

確かにちょっとうまくいかなかった。とは言え、どうでもよくなってなどはいないし、いけない。まぁ兎にも角にも一番最初にやるべきは、ひとしきり再会を喜ぶことではなかろうか。「よぉ帰ってきたな。死んだかと思ったぞ」と。

そして願うべくは、寄り道の分だけ彩りを変えた世界。

場所も、時間も、一瞬にして、巻き戻そう。

***

さて、やりますか。

まずは、これまでの流れを「一筆書き」にする「寿限無」のコーナーから。ここでは、あれやこれや考えてきた生煮えのアイデアたちを、思いきって、一つの鍋でグツグツ煮詰めて、出来たどー!と大皿に盛ってお出しします。

以下の如く。

”先行きの見えない道をゆくのなら、計画よりも探索を重視したい。まずは店員を呼んで、自転車操業を始める。それからは歩幅に気をつけ、牛歩牛歩を続けつつ、そのムードを書き留める。未知先の案内には、巨人の肩乗せ屋を仲間にして、シブロクの現状把握と戦略的な習慣でもって進みたい。それでも焦る日は、フィボナッチ数列を眺めて、ごきげんを保つのさ”

ああ、懐かしい。笑

これを書けば、これまでの話がキーワードで要約され、個人的には不思議と「さて今回は」の足場になってくれると感じる。たとえこれがどれだけ久しぶりの更新でも、これまでの散らばった話を統合し、立体的な繋がりを与え、足場になってくれる「寿限無」のくだり。。。

そして、

これがよくない。それが読む人のストレスになる。過剰なるドリブル。持ちすぎ持ちすぎ。わかっているけど、やめられない。懐かしさ(を感じているのは僕だけかもしれないが)に免じて、ご容赦を頂きたい。

こんなエグみを含めてご海容頂ける方にお届けしています。基本的には自分の思索用途です。それでももし、上記の引用箇所(寿限無パート)なんかに何らかの意味深なところを感じてしまった場合には、同マガジンの過去noteをご参照下さい。そんなやつおらんか!

はい、オッケーです。ここまでが規定演技となります。

どうも、お世話になっております、まさまさです。
久しぶりのこなくそ日記です。お久しぶりです! お久しぶりです!

***

さて、落ち着いたところで。

これまで「何かしらの物事を上手になってゆけること」を、上記のごとく、何とも言えない奇説でもって、自分なりに紡いで参りました。そして取り掛かる、次なるフェーズ。

牛歩牛歩言うてやって来たのにも、少しばかりは意味があって(それしか出来ないというのもあるけど)
それは蛮勇、勇み足を避けるためでもありました。

何か自分なりに「これぞ」と言いたいことを言うまでに、必要なプロセス、助走もあらんかなと。それは、そうそれは書き手としての、信頼という名の、信頼という名の、、、これ以上は言うまい。

言い方を変えよう。この「こなくそ日記」を書く過程で、牛歩牛歩の地べたの道のりにあっても、視線を上げたらぶつかる「遠くの山」のように感じている事柄があった。

それは ー 即興 ー

てなわけで、次なるテーマは「即興」としたい。

”即興”とは何か、と話を進める前に

少し前口上を挟みたい(飛ばしても良いんだよ)

これまでの道のり経つつ、ようやくこの山の麓にまでは、到達出来たような気がする。そんな気がしている。

はっきり言って、面白いと思う。ただ、そのポテンシャルを感じるだけに、上手に育てて送り出す自信がなかった。これはまるで、日本ハム時代の大谷翔平のコーチの気持ちではあるまいか。

何せ、実践が足らない。物事の方法を検討するには、その効果効能、使用上の注意、想定されるリスクやその対処法など、そんな実践者ゆえの試行錯誤に基づいた学びを、実感とともに纏めるのがスジというものだろう。

実感の伴わない方法論など、小リスが考えた記憶術ではないか。パケットの無駄だ。犬にでもくれてしまえ! 出来てから言え!

***

というわけで。

ここで”即興”を取り上げたいのは、僕が好きな”情緒の可能性”というコンセプトに肉薄、最早その背骨にさえなりうる”予感”を感じているためだが、無論、ただの思い違いかもしれないので、以下の段取りで考えたい。

この”即興の山”を登るにあたり、思考の”旅のしおり”を準備します。
以下の如く。

①まずは鳥の目で大雑把な当たりをつける(上)-- イマココ
②先人の知恵を借りて、山岳ガイドとする(中)
③牛歩で実践の道に進む(下)

の3ステップで考えてみたい。

こんな風に、自分が「今知りたいこと」を考えて、生煮えのアイディアを、ひょいひょいご開陳する芸風になっております。

細かいことを全部端折って、ざっくり眺める

上記のとおり、”即興”を考えるにあたり、まずはこの全体像を俯瞰で眺めるところから試みたい。

前提条件
・世の変化は激しく、先が読めない。

基本指針
✔ 様々に変化が激しい中では、そのルールが変わり続けるため、これという決まった答えがない世界になる。そんな中でも、ひとつの物事がハネていくためには、”自ら”が自在に変化していく必要がある。

✔ どちらへ変化していくべきか?は、先が読めない以上、これまでの五感に蓄積された記憶から「こういうのがイケてる」と信じられる方向への、慣性と感性の舵切りになる。

✔ 結果として、最終的に取るべき具体的なアクションは、可能性に拓かれた「その瞬間のベスト」に収斂する。そこで大切になるのは、それらのひとつひとつの精度というより発展性。それらを単発に終わらせるのでも、単純な繰り返しでもなく、連続的に発展させていくことになる。

◇◇

言い換えると、

先のことは読めないから「想像もしないことが起こる」ことを前提として、その可能性を高めるように、色々と仕掛けを打つ。

まずは始めて、その響きの中で、また次の手を打って、徐々に音楽をグルーヴさせていくこと。その余韻があるうちに、次の音の波を立てていく。

この連続的な音の重なりが、複利に対応して、少しづつ積み重なった時に、より大きな意味を運べる「音楽」に編み上がっていくのではないか。

というのが、僕が「即興」というものに見ている景色です。どれぐらい伝わるのであろうか。

これを今回を含めた全何回か「余韻が消えてしまう前に」でまとめたい

そもそも”即興”とは何なのか?

これを言いそびれてたので、上記がピンとこない人もいらしただろう。稚拙の極み、大変申し訳ない。

ただ問題は先の通り、このテーマを語るに足るだけの「実践」が僕にないこと。ついに、この時が来てしまった。

つまり、”巨人の肩乗せ屋”を召喚する、ことになる。知らないことは知ってる人に、その道のプロに聞いてしまう。つまりはインタビュー。

わからんなりに仮説立てたことを、専門家に教えてもらう。自分の限りある思考能力では届かない「実践者の景色」で叩いてもらう。

もちろん話を聞いただけで、自分の知らない実感がインストールされることはないし、解釈の精度も甘かろう。ただ少なくとも、その未知の世界の「歩き方」なり、その断片が手に入る可能性がある。

例えるなら、バックパックで世界一周をする前に、深夜特急を読む感じ。

「ドミトリー宿では、財布は布団と枕の間に挟んで寝るべし」てなことは、実践者の声として響く。もちろん、泥棒防止のためである。

「自分の身は自分で守らなければならない」というセリフだけでは見えてこない具体性。これが巨人の肩に乗る目的。見えてる景色が違うのだ。

そんな具体的な「断片」を集めて、ストーリーに紡ぎ「歩き方」を捉えたい。それでもって、それを頼りに、自らのターンに活かしてゆきたい。

そんな感じで歩みたい。牛歩、牛歩で。
次回に続きます。

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①まずは鳥の目で大雑把な当たりをつける(上)
②先人の知恵を借りて、山岳ガイドとする(中)-- 次はココ
③牛歩で実践の道に進む(下)

(以上)

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。