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所詮素人(しょせんしろうと)

「所詮素人」
結局、素人は素人でしかない。どれだけ寝付きよく8時間熟睡し、カーテンをすり抜けた光の粒に包まれるよう目がさめて、朝一番の伸びをしたところで、プロの丈には敵わない。彼らが人生を捧げ、屍山血河くぐり抜け積んだ実戦の厚みは、その日の気分や調子で覆らない。これが多分表向きの意味。

所詮素人。

唐突ながら、僕はこの言葉をいたく気に入っている。好きな言葉ランキングのトップ20ぐらいには入るだろう。

ちなみに、このランキングの少し上に「人には人の乳酸菌」が、少し下に「なんて愚かな焦り」があるので、この場を借りて紹介したい。

「人には人の乳酸菌」
何かのCMのキャッチコピー。そうよね。人には人の、俺には俺のでいいんよな。誰かと自分を比べてみたって意味はないか。と間違ったメッセージを受けとりランクイン。
「なんて愚かな焦り」
鬼束ちひろ『Back Door』の歌い出し「なんて愚かな汗に…」を聞いた時にハッとした。なるほど。それこそアートだとか、曲だとか。いいものを作るには、どうしたって暇はかかる。焦ってみてもしょうがないか。と間違ったメッセージを受け取りランクイン。

人はその人が聞きたいように聞く、を体現したところで、本日の標題である「所詮素人」について述懐を始めたい。

***

まずは前口上。

人類が始まって何年が経つのだろうか。まだ人の平均寿命が30年程度だった頃から、日々の生き残りをかけて戦い、おびただしい無念の死を横目に、泥をすすり生き延び繋いだ命のバトンがあるとすれば、我々はその遺伝子の末裔である。少なからず、特別のものはあると考える。

生まれた時点で、ちょっとしたもの。

あの日の神の子、あの時の奇跡の子、あの場所での運命の子、的なものの末裔である。人類史始まって以来、幾千年、幾万年の星を継ぐ者である。これは歴とした事実だろう。

であるからして、ちっこいお釈迦さまがちょこちょこ2~3歩したためて、あちこち指差して宣言された通り、充分に「それなりに尊い」はずである。そう信じてよいと思っている。まずはその、遺伝子的に。

さらには、生まれただけで飽き足らず、この歳まで無事大きくなった。

さらなる偉業である。これにはかつて30年程度で絶えていた先祖も、我先にと群れ集い、押すな押すなの大盛況。スタンディングオベーション待ったなしであろう。勢い、文字なども使って、今やこの長老はその思想的な断片をWebに垂れたりもするという。

これに関しちゃ、イマイチ何やら、ご先祖様もサッパリのご様子だろうが、とりあえず元気でいいじゃない、と頷き合わせる。まずはそこから。現時点で既に素晴らしいよね、というところから始めたい。「既に傑物である」と手放しの称賛を与えたい。

そりゃ生きてりゃ迷うこともあろうけども、人生に意味や正解なんてないのだから、素直に、純粋に、好きに、自由に、歌舞いちゃえばいいんだよと。人には人の乳酸菌。言い聞かせて、少しニヤリとする。

そこにむくり立ち上がるは「我は不滅の芸術家である」という自信と誇り。いいぞいいぞ、やれやれと喝采。

ほな恐縮ながら、ワシに任せたらんかいと威勢よく、胸も張って、声高し。いざと飛び出した日も遥か。きちんとどこかで失速した。

錆びついた車輪。薄れはじめる最初の頃のトキメキの魔法。時期尚早の結果に囚われ、意味や効率を問い始める。忘れ始める遊び心。冷める熱量。いつの間にか遠くなって、うっちゃって、それでもどこかで楽になれたとホッとする。何かいいことないかなぁ。巻き戻る。

生きてりゃ迷うことも。正解はない。生まれながらの傑物。好きに歌舞け。少しニヤリ。いいぞやれやれ。いざと飛び出す。失速。ホッと。何かいいこと。この繰り返し。

この一連が腐ったプライドの吹き溜まり、退廃の小部屋。慣れてしまえば、学生の安アパートの寛ぎもある。でも、そうじゃない。まだまだこれから。言い聞かせる。なんて愚かな焦り。でもその力みはしなやかさを失わせる。

どうしたどうした。動きが固いぞ。

所詮素人(しょせんしろうと)

「所詮素人」
結局、素人は素人でしかない。だからこそ誰の期待も背負わない。無知ゆえのひらめきと、実績を持たぬゆえの軽やかさが売りである。うまくやろうなんて滅相もない。ただ純粋に没頭して楽しむ。それがアマの矜持、アマの本懐。そして、あわよくばもっと楽しめるよう研究するのさ。Just for Fun。これが裏向きの意味。我が意を得たる、真の意図。

「10点でも20点でもいいから、自分の中から出しなよ」

有村架純が、映画『何者』で放ったこのセリフは、僕に衝撃を与えた。うっかり涙も出た。

新しい風や変化は、自ら起こしていかないと。消費して分析してHackして、わかった気になって得意げに語るだけではチャンチャラ足りない。世慣れた分別ある常識的な態度や受け身ばかり長けたところで仕方ない。不滅の芸術家はどこに消えた。醜聞晒そうとも、自分の中から。

わかっちゃいるんだけど。

あぁそんな時に心に唱える。言い聞かせる。ハードルを下げる。所詮素人。心配するな。所詮素人のやること。何でも良い。新しい実験をしようぜ。


***

前回初の音声配信、「風の話」は楽しかった。清々しいほど無益であった。なんだか妙にワクワクしたし、緊張もした。世に出す時には、こんなことをして大丈夫だろうか、とも思った。

蓋を開けてみて安心した。大丈夫だった。凪であった。ただ、清々しい風は自分の内に吹いた。次はもっとうまく出来ると思う。10点でも20点でも、何かを試せば、それはまた違う何かとなって現れる。心に好奇の風が吹けば、次にまた試したいことが増える。

立派なおヒゲのサンタクロースも、昔は子供である。最初から立派なおヒゲは生やせない。先天的なヒゲの才能や、後天的な試行錯誤のヒゲの努力もあるだろうが、最初はつるりとした子供である。この話はどうでもいい。

とどのつまり、僕がいつも目指すべきは「何でじゃー!」と言いながらの、ぶつかり稽古なんだろう。遊びながら進化したい。所詮素人、されど素人。我はエスカレートするド素人。

(以上)

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。