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草コインと私

最近、長らく文章を書いてなかった筆力低下を感じつつも、言ってもこれしかないしなぁと、リハビリ短文をしたためます。

大きなネットワークの網目は、あまねく個人を国家の一部に紐づけて、あるところで起こる変化やエネルギーは、増幅され、減衰されて、その大小を異ねながらも、小さな網目の各点のそれぞれにそれなりの影響を伝えます。

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フィルターバブルと認知バイアスのダブルパンチで、生成AIが巷を席巻しているように見える今年、2023年。

「いざ新たな時代の幕開け」と、例えば資本主義市場のような変わらぬ前提をそのままに、そこでのポジション獲得やシェア拡大を目指す新しい変化やエネルギーは、経済ネットワークの網目を伝い、その一部に生きる(ざるを得ない)僕にも、影響を伝えます。

そのネットワークに認知的に(従って、感情的にも)繋がれている僕なので、そんな変化のひとつひとつを取り上げ(ざるを得ず)、何らかの前向きな動機づけを試みたりしながら、自分自身の来し方行く末の物語に置き換えたりしています。

それはまるで、実質的な趨勢にはチリほどの影響も持たなくとも、そこで繋がれた小さな質点として揺れる(ざるを得ない)草コインのようです。持てるのは気概と姿勢の物語だけ。

今日1年前に買った草コインを売りました。昔買ったときよりも、少し高く売れました。

(以上)

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。