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苦手な声

決して、険のある声ではないが、日常的にぶつかる苦手な声がある。キーとしては、平均男性を原曲キーとして、その1-2個上ぐらいの高さ。息を多めに、喉から押し出すように出すその声は、少し掠れている。

”考えたらわかるじゃん”

年齢的には50を少し超えたぐらいか。髪の毛はもう白髪がベースで、ハイライトにダークグレーが入っている。髪の毛は長くもないし、短くもない。

”ほんっと質問が一個も出てこないんだね”

この声の主である、僕が通っているコワーキングスペースにいる彼は、吉田さん(仮名)と言う。JAZZRADIOがゆるっと流れる空間にあっては、彼のハスキーがちの、ボリュームの大きな声はよく響く。もしここがカラオケなら、BGMの音量を上げ、マイクの音量を下げてるところだ。

その声には、年寄りのボヤきにみるような「ハァ…」という諦観と、恨みがちに不満が爆ぜる「あぁもう!」という批難の両方が同居した響きがある。

”オレに聞けばいいとか思ってない?”

吉田さんは今日も、いつもと同じグレーのスウェットのズボンを履いている。視線の端に、通り過ぎる吉田さんを捉える。僕はその足首がゴムできゅっと詰まっているのを見て、ああ、いつものスウェットだなと思う。歩き方にはほんの少しだけ、不自由さが伺える。吉田さんは、1階の喫煙スペースまで、時々タバコを吸いに出入りするのだ。

"ケンジは説明してもわからない"

彼の叱責の対象になっているのが、30ほども歳の離れた大学生と思しき兄ちゃん(ケンジと呼ぶ)である。詳しくは知らないが、親類の吉田さんにアドバイスを貰っているのだろう。彼も時々ここに来て、相談ともメンタリングとも言えない話し合いを、長いこと続ける。

隣り合って話す2人。吉田さんの声は、なぜか10数メートル離れた僕にまで届く。ケンジの声は聞こえない。

地獄的に冗長で人を不安にさせる抑揚

わからないな、と思う。

その長々とした、何がどうあるべきかの説明は、途中から半分以上が愚痴となり「お前の不出来で、俺はしんどい」のメッセージばかりが色濃く残る。その意図がよくわからない。

聴いてるだけで苦しいぜ。そのムードは、僕にも伝染るから。

もちろん、ケンジにも問題はあるのだろう。吉田さんが期待している「理解力や表現力」には未だ不足があるようだ。彼が何かを言おうにも言い淀み、確信もないまま手探りで、自分の中にない言葉をモゴモゴ言うのを、前に漏れ聞いた日には、はっきりせえへんなと感じる節はあった。

ただそれは実は2人の問題で、ケンジがそう振る舞ってしまうのには、吉田さんが醸し出す、不味い梅干しを食べたような不快感への遠慮が、多分に影響しているのではあるまいや。

大学生の仲間内での彼は、ビジネスを始めて、すごい人に師事していて、イケてる快活な男なのではなかろうか。全くの想像だけれど。

"すっとぼけ過ぎだって!"

そう吐き捨てて席を立ち、吉田さんはタバコを吸いに行った。
ケンジは一人で何かを考えている。つられて一緒に暗くなっても嫌なので、イヤフォンをつける。すまないケンジ、後は任せた。

いい声を探しに記憶を巡れば

翻って、好きな声を考えてみることにして、心の中和を図る。

思い出せばいつも心が温かくなるような、そんな「声」を記憶の中に探してみる……が、うまくいかない。結局そんな「声」の印象は、その「声の人」の印象に帰着してしまうようだった。

その人の声を思い出し、そこで僕が抱く印象から、純粋な「声色のみ」で与えられる部分を取り出すことは難しく、どちらかと言えば、高いとか低いとかよりもずっと、その声が彼や彼女のキャラクターと一致していることや、その言葉に嘘がないことの方が、心に響いている感じがする。

軽薄そうな声も、優しく素っ頓狂で人を楽しませることが好きな彼が発せば心地よいし、同じような声色でも、本心を見せない計算高い彼が発すれば、自分の中に防衛的な態度を感じる。

好きな人の声は、いい声だ。

緊張よりも安堵を、拒絶よりも内省を促す「声」。それは相手に寄せる好感や信頼によって獲得された音なのだろう。

そう思えば、僕にとっては不快だった吉田さんの大きな大きなボヤキ声も、ケンジにはいい声に聞こえてたのかもしれない。
2人は19時を少し過ぎた頃、一緒にコワーキングスペースを後にした。

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さて、そんな自分はどんな声をしてるのかふと気になって、携帯に録音して聞いてみる。歌や英語の発音は録音して聞いたことはあったけど、普段の会話調のものは余り憶えがない。

なるほど、ちょっととぼけた感じもする。

(以上)

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。